サヨナラ、セカイ。
答えは難しくないだろうと勝手に思い込んでいた。『会うな』か、『沙喜が決めて』。命令か、反対にわたしを試す。『どっちでもいい』なら問題外。

でも先生は。じっとマグカップに視線を落としたまま沈黙していた。

小賢しい女だと不愉快になった?こんな女だったのかと失望した?

わたしは待って、彼の横顔を見つめる。数分経ったのか、もっと長かったのか。深く息を吐いた気配。そして。

「・・・・・・沙喜。俺はね」

やっとこっちを向いた眼差しに哀しみに似た烈情を閉じ込め。先生はわずかに口角を上げる。

「沙喜を抱いてやれないんだよ機能障害で」

その時の先生は医師の顔になっていたようにも思えた。客観的に冷静に、事実を伝えようとするように。

「気が付いたら一年くらい前からね。最初は疲れてるだけだと思ってた。開業するので忙しかったし一時的なものだろうって。・・・でもまるで反応しなくなってた。二人目を欲しがってた(かのじょ)は、心底軽蔑したような目で俺を見てたな。体裁が悪いから治療も必要ない、建前(かたち)だけ“夫”でいてくれたら離婚もしない、家族に恥をかかせるのだけはやめてくれ、ってね」

淡々とした告白。ああ違う。傷付いてないんじゃない。抉られすぎてガランドウになった、このひとも。

「・・・その人に抱いてもらえって言ってやりたいけど、言いたくない。言う資格があるとは思ってないけど、・・・もう『会うな』」

わたしをきつく抱きすくめ、先生は小さく震えた。
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