悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
「イザベル、今日は遅かったな。何かあったのか」
「……お待たせして申し訳ございません。ノートを集めて職員室に運んでいたのです」
「それならいい」

 学園のサロンは、三年特Aクラスであるジークフリートも利用している。
 ジークフリートはサロンの一番高級なソファに座り、イザベルに隣に座るように目で促した。深紅のソファに背中を預ける姿は、なかなか様になっている。

(それもそのはず。だって、授業を抜け出したヒロインと密会するスチルで初登場した、あのソファだもの!)

 前世の記憶を思い返し、イザベルは胸が熱くなった。
 つい先週までは普通のソファだったものでさえ、ゲームのファンという視点が加わると、全く違ったものに見えてくる。
 これで興奮するなという方が無理な話である。
 もし悪役令嬢ではなく、ヒロインに転生していたら、あのイベントでしか見る機会はなかったはずだ。反対に、イザベルは悪役令嬢なので毎日見ることができる。
 もはや、役得以外の何物でもない。

(これもゲームのプレイでは味わえない「悪役令嬢の特権」ってやつかしら)

 お昼時間のサロンは、楽しそうな話し声でにぎわっていた。
 部屋のあちこちに一流品の家具が置かれ、大きな談話室になっている。ランチは専用の給仕がおり、食事用のテーブル席も別に用意されている。
 隣接する形で温室もあり、季節の花を見ながらお茶を楽しむスペースも設けられている。
 サロン内を見渡すと、ジェシカは先輩のお姉様方と楽しく歓談中、クラウドは手前のソファで読書タイムに勤しんでいた。
 レオンの姿は見えない。学園一の権力があるはずの第二王子は、裏庭で昼食を一人きりで摂っているに違いない。

(そういう設定のキャラだから仕方ないとはいえ、なんだか不憫だわ。約束もしたし、あとでちゃんとデザートを届けないとね……)

 機会を見て一緒に食べるように説得しよう、とイザベルは心に誓う。
 ジークフリートの横に座ると、給仕係のメイドが昼食の準備を始めた。
 一般生徒が利用する学食とは違い、サロンでは基本的に出されるものを食べるスタイルだ。要望があれば事前に伝えておけば、何でも用意してくれる。
 高級な食材をふんだんに使ったサンドイッチが用意され、イザベルは手を伸ばす。ジークフリートはすでに昼食を済ませていたらしく、珈琲を飲んでいた。

「そういえば、リシャールは最近どうしたんだ? しばらく見かけないが」
「ああ……家では、変わらずわたくしのお世話をしてくれているのですが……。休日はお父様のお仕事の手伝いや、お母様の買い物の付き添いにかり出されているようですわ」

 服を着替えたあと、毎朝イザベルの髪を整えるのはリシャールの仕事だ。櫛で丁寧に髪を梳き、毛先を見事なカールに巻いてくれる。
 王宮御用達のエッセンシャルオイルをなじませ、毎日欠かさずケアをしてくれるだけあって、イザベルの髪は美しさに磨きがかかっている。陽光で艶やかさが際立つのは、ひとえにリシャールの努力のたまものと言っていいだろう。

(あの子、前世なら美容師に向いているのではないかしら……)

 ふう、息をつくと、ジークフリートが気遣うように言う。

「リシャールは優秀な執事だものな」
「とはいっても、まだ見習いなのですけど」
「そうだったか。……しかし、まだ慣れないな。君のそばには、いつも彼がいただろう。高等部から離ればなれになって、何か不都合なことはないのか?」

 イザベルが高等部に進学して一ヶ月が経つ。一歳下のリシャールは中等部に通っている。校舎は道路を挟んだ真向かいなので、会おうと思えばすぐに会える距離だ。
 しかし、適度な距離感も必要だとイザベルは考える。

「いいえ、特に問題はありません。というより、過保護すぎるのも問題だと思います。あの子はわたくしに甘いのですから」
「まあ……それは否定しないが」

 いつだって、彼の仕事は完璧だ。ただ、完璧すぎるのも問題だ。
 何かを言う前に先回りしてくれる気遣いはいいのだが、イザベルが望むのはもっとフラットな関係だ。

「ところで、イザベル。フローリアについて、何か知っていることはないだろうか」
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