悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
ジークフリート様は、学園で一人ダンスの特訓をしていた私をみかねて、週末に特別レッスンを申し出てくださいました。何から何までお世話になりっぱなしで、正直、心苦しいくらいです。ですが、これもイザベルのためだ、と言われては甘んじて受けるしかありません。
これで少しはイザベル様の横に立っていても恥ずかしくないでしょうか。
「ジークフリート様には感謝してもしきれません。今夜のドレスも見立てていただきましたし……あの、どこかおかしくないですか?」
「いや、とても似合っている」
「お世辞でも……うれしいです」
「世辞ではない。淡いピンクにして正解だったな。清楚なフローリアに一番似合っている」
薄紅から白のグラデーションのドレスは公爵家が見立ててくれたものです。イザベル様は蜂蜜色の髪によく映えた新緑のドレスで、大人びた印象になっています。
学園での可愛らしい一面から一転して、これぞ淑女の鏡という装いです。借り物を着ている私とは雲泥の差ですね。
けれど、イザベル様の顔色はどこか優れないようです。
「申し訳ございません。……お化粧を直してまいります。ジークフリート様は、フローリア様をエスコートなさってください」
「え……」
「イザベル?」
去っていくイザベル様を呼び止められず、闇の中へと消えてしまわれました。ジークフリート様と目を見合わせますが、困ったように肩をすくめられました。
「あの……追いかけられたほうがよいのでは?」
「いや、今夜は君のエスコートをしなければならない。イザベルには後で詫びを入れるから心配はいらない」
「……そう、ですか」
本当にそうでしょうか。気丈に振る舞われていましたが、どこか寂しげなお顔が脳裏に焼き付いています。
ホールではクラウドが足早に近づいてきて、ジークフリート様は挨拶があるからと別れました。豪華な食事に目移りしていると、クラウドが苦笑いを浮かべます。
「せっかくの機会だし、何か食べる?」
「もちろん!」
色気より食い気です。貴族の食事はどれも魅力的で、私は小皿に少しずつ取っていきます。一口食べると、ここに幸せがあったのかと感動の連続でした。
お腹を満たしてクラウドと談笑していると、曲が変わりました。華やかな宮廷音楽はジークフリート様のお屋敷で練習した曲です。
「あ、この曲……」
私が思わず声をこぼすと、クラウドが反応します。
「知っている曲? じゃあ、踊ろうか」
「で……でも足を踏んでしまうかもしれないわ」
「大丈夫だよ」
手を取られ、ホールの中央に誘導されます。曲の区切りを見計らい、クラウドがリードしてダンスが始まりました。公爵家との練習では優秀な従者が相手でしたが、クラウドのリードは安心感があるからか、私も余計な力みもなく、スムーズに踊れます。
(楽しい……)
くるくると踊っている中、視界の端にイザベル様の姿が見えました。
(よかった。戻られたのですね)
彼女はジークフリート様と一緒にバルコニーへと向かわれました。婚約者同士のお話があるのでしょう。ダンスを二曲踊って休憩をしていると、小さな悲鳴が聞こえてきました。気づくと、バシャンと音がしてドレスに赤い液体がついていました。
(借り物のドレスが……っ!)
青ざめていると、どこかで聞いたことのある高飛車な声が聞こえてきます。
「あら、ごめんなさい。大事なドレスがダメになってしまったわね。でも、ここはあなたみたいな人がいるべき場所ではないの。恥を知りなさい」
「……っ……」
「だいたい、庶民風情が生意気なのですわ。一度、殿方と踊れたからって、いい気にならないでちょうだい」
横にいたクラウドが口を開きかけますが、私は目で制しました。
貴族階級が下の私は口答えすら許されない立場なのです。耐えるしかありません。
「ちょっと、どいてくださる?」
ナタリア様より高いトーンの響きに、思わず顔を上げます。
野次馬で集まっていた人が左右に割れて、そこから出てきたのはイザベル様でした。泣きそうになっている私はとっさに言葉が出ず、屈んだイザベル様を見つめることしかできませんでした。
「こんなところで涙を見せるものではないわ。その綺麗な涙は、もっと効果的な場面に取っておきなさい。……ほら、こうすれば染みの跡は見えなくなるわ」
ドレスについた染みを見事な機転でカモフラージュし、言葉を続けます。
「以前は庶民だったとしても、今のあなたは男爵令嬢。その身分に恥じないよう、お作法やダンスも特訓したのでしょう? だったら胸を張りなさい。あなたに礼儀を教えたジークフリート様に恥をかかせないで」
その一見冷たい言葉は、私を思っての言葉で。
恥ずかしくて自分のつま先を見つめていた顔を上げ、涙を拭きました。
「……はい! ありがとうございます」
「このぐらいのことで、いちいち動揺していたらキリがないわよ。次からは一人でも立ち回れるようにしないと、やっていけないわ」
「ど、努力します……!」
苦笑いをされましたが、私の熱意は伝わったようです。
その後、イザベル様とジークフリート様のダンスが始まりました。二人が見つめ合う様子は、まるで絵本に出てくる王子様とお姫様のようでした。
*
数ヶ月、お二人の恋をこっそり応援していましたが、重大なすれ違いに気づきました。どうやら、イザベル様は身を引こうとしているようなのです。
ジークフリート様の好きな相手はバレバレなのに、なぜか相手には想いがまったく通じていない事実に、私は言葉を失いました。
初めは半信半疑でしたが、つぶさにお二人を観察していれば疑念は確信に変わりました。
本当に、気の毒なほどに、気づかれていないのです。
不憫でなりません。婚約者なのに関係が発展する気配はなく、イザベル様へのアプローチを続けるジークフリート様がおいたわしいです。
(私にできることは何かないでしょうか……)
しかしながら、何もいい方法が思いつきません。恋愛事は第三者が介入することで余計こじれることがあると聞きます。だとすれば、私はただ見守ることしかできません。
何かきっかけがあればと思いますが、こればかりは二人に任せるしかないようです。
これで少しはイザベル様の横に立っていても恥ずかしくないでしょうか。
「ジークフリート様には感謝してもしきれません。今夜のドレスも見立てていただきましたし……あの、どこかおかしくないですか?」
「いや、とても似合っている」
「お世辞でも……うれしいです」
「世辞ではない。淡いピンクにして正解だったな。清楚なフローリアに一番似合っている」
薄紅から白のグラデーションのドレスは公爵家が見立ててくれたものです。イザベル様は蜂蜜色の髪によく映えた新緑のドレスで、大人びた印象になっています。
学園での可愛らしい一面から一転して、これぞ淑女の鏡という装いです。借り物を着ている私とは雲泥の差ですね。
けれど、イザベル様の顔色はどこか優れないようです。
「申し訳ございません。……お化粧を直してまいります。ジークフリート様は、フローリア様をエスコートなさってください」
「え……」
「イザベル?」
去っていくイザベル様を呼び止められず、闇の中へと消えてしまわれました。ジークフリート様と目を見合わせますが、困ったように肩をすくめられました。
「あの……追いかけられたほうがよいのでは?」
「いや、今夜は君のエスコートをしなければならない。イザベルには後で詫びを入れるから心配はいらない」
「……そう、ですか」
本当にそうでしょうか。気丈に振る舞われていましたが、どこか寂しげなお顔が脳裏に焼き付いています。
ホールではクラウドが足早に近づいてきて、ジークフリート様は挨拶があるからと別れました。豪華な食事に目移りしていると、クラウドが苦笑いを浮かべます。
「せっかくの機会だし、何か食べる?」
「もちろん!」
色気より食い気です。貴族の食事はどれも魅力的で、私は小皿に少しずつ取っていきます。一口食べると、ここに幸せがあったのかと感動の連続でした。
お腹を満たしてクラウドと談笑していると、曲が変わりました。華やかな宮廷音楽はジークフリート様のお屋敷で練習した曲です。
「あ、この曲……」
私が思わず声をこぼすと、クラウドが反応します。
「知っている曲? じゃあ、踊ろうか」
「で……でも足を踏んでしまうかもしれないわ」
「大丈夫だよ」
手を取られ、ホールの中央に誘導されます。曲の区切りを見計らい、クラウドがリードしてダンスが始まりました。公爵家との練習では優秀な従者が相手でしたが、クラウドのリードは安心感があるからか、私も余計な力みもなく、スムーズに踊れます。
(楽しい……)
くるくると踊っている中、視界の端にイザベル様の姿が見えました。
(よかった。戻られたのですね)
彼女はジークフリート様と一緒にバルコニーへと向かわれました。婚約者同士のお話があるのでしょう。ダンスを二曲踊って休憩をしていると、小さな悲鳴が聞こえてきました。気づくと、バシャンと音がしてドレスに赤い液体がついていました。
(借り物のドレスが……っ!)
青ざめていると、どこかで聞いたことのある高飛車な声が聞こえてきます。
「あら、ごめんなさい。大事なドレスがダメになってしまったわね。でも、ここはあなたみたいな人がいるべき場所ではないの。恥を知りなさい」
「……っ……」
「だいたい、庶民風情が生意気なのですわ。一度、殿方と踊れたからって、いい気にならないでちょうだい」
横にいたクラウドが口を開きかけますが、私は目で制しました。
貴族階級が下の私は口答えすら許されない立場なのです。耐えるしかありません。
「ちょっと、どいてくださる?」
ナタリア様より高いトーンの響きに、思わず顔を上げます。
野次馬で集まっていた人が左右に割れて、そこから出てきたのはイザベル様でした。泣きそうになっている私はとっさに言葉が出ず、屈んだイザベル様を見つめることしかできませんでした。
「こんなところで涙を見せるものではないわ。その綺麗な涙は、もっと効果的な場面に取っておきなさい。……ほら、こうすれば染みの跡は見えなくなるわ」
ドレスについた染みを見事な機転でカモフラージュし、言葉を続けます。
「以前は庶民だったとしても、今のあなたは男爵令嬢。その身分に恥じないよう、お作法やダンスも特訓したのでしょう? だったら胸を張りなさい。あなたに礼儀を教えたジークフリート様に恥をかかせないで」
その一見冷たい言葉は、私を思っての言葉で。
恥ずかしくて自分のつま先を見つめていた顔を上げ、涙を拭きました。
「……はい! ありがとうございます」
「このぐらいのことで、いちいち動揺していたらキリがないわよ。次からは一人でも立ち回れるようにしないと、やっていけないわ」
「ど、努力します……!」
苦笑いをされましたが、私の熱意は伝わったようです。
その後、イザベル様とジークフリート様のダンスが始まりました。二人が見つめ合う様子は、まるで絵本に出てくる王子様とお姫様のようでした。
*
数ヶ月、お二人の恋をこっそり応援していましたが、重大なすれ違いに気づきました。どうやら、イザベル様は身を引こうとしているようなのです。
ジークフリート様の好きな相手はバレバレなのに、なぜか相手には想いがまったく通じていない事実に、私は言葉を失いました。
初めは半信半疑でしたが、つぶさにお二人を観察していれば疑念は確信に変わりました。
本当に、気の毒なほどに、気づかれていないのです。
不憫でなりません。婚約者なのに関係が発展する気配はなく、イザベル様へのアプローチを続けるジークフリート様がおいたわしいです。
(私にできることは何かないでしょうか……)
しかしながら、何もいい方法が思いつきません。恋愛事は第三者が介入することで余計こじれることがあると聞きます。だとすれば、私はただ見守ることしかできません。
何かきっかけがあればと思いますが、こればかりは二人に任せるしかないようです。