悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
「……そういえば、母方のおばあさまが小柄な方だったと聞いたことがあるわ」
「じゃあ、そのせいね」
「…………」
「イザベル。身長が低いと嘆いているけど、周りはそんなあなたが大好きだと思うわよ」
「……え?」
谷底に突き落とされた子ウサギのように目を丸くしているので、エレーナは説明不足だったかと思って、再度口を開く。
「小さいことは悪いことだけじゃないわ。庇護欲をかき立てられるし、見ていて和むもの。あなたの存在が誰かの癒やしになっていると言っても過言ではないと思うわ」
ない知恵を絞って選んだ言葉は、イザベルのかたくなだった心に届いたらしい。
その証拠に、目の前の彼女は憑き物が落ちたように静かな顔つきに戻っている。けれど、それも長くは続かなかったようで、震える子鹿のように小さい声が語りかけてきた。
「で、でも……これは悲願なの。人並みの身長を手に入れて、誰にも背が低い伯爵令嬢なんて思われたくないのよ」
「そう……あなたにとって、なかなか根が深い問題のようね」
「魔女に頼るしか、わたくしに残された手はなかったというのに……!」
「そんなに大きくなりたいの?」
「もちろんよ!」
拳を作って頷く様子に良心が刺激され、エレーナは横を向いてつぶやくように言った。
「…………ひとつ、手がないわけじゃないわ」
「なんですの!? ぜひ教えてくださいませ!」
「現実の身長はどうにもならないわ。だけど、夢の中なら魔女の力が使えるの」
それは特別な相手にしか明かせない、古の魔法。
悪用を避けるために封じられてきたものだが、イザベルはきょとんと瞬くだけだった。
「なんというか、夢のようなお話しね」
「……どう? 試してみる?」
「当然よ! この際、夢の中でも構いはしないわ。わたくしは身長を伸ばして、皆をぎゃふんと言わせてみせるもの!」
「…………」
「それで、具体的にはどうすればいいのかしら?」
エレーナは席を立ち、木箱の中に入れておいた中から目当ての瓶を一本、取りだした。そして、それをイザベルの前に置く。
「寝る前にこの薬を飲み干して。それは夢見の秘薬。魔女が夢に現れて、あなたの夢に関与するための薬だから」
「まあ、エレーナがわたくしの夢に?」
いまいちピンときていないのだろう。
空想のおとぎ話を聞いたような顔つきで、考えこんでいる。
「言っておくけど、これは特別よ。私の友人でもあるイザベルだから渡すのであって、本来なら持ち出し厳禁なんだから」
「そんな貴重な薬を……本当にもらっていいのかしら」
「これでも私、あなたには感謝しているの。リシャールを救ってくれたこと。あの子が思い詰める前に、自分でどうにかしちゃったんだもの。だから、言わばお礼とでも思ってちょうだい」
そう、本来ならば。
イザベルはこうして今、目の前で笑っているはずなんかないのだ。
最初の予知夢で見た「魔女狩りが行われるはずの未来」はリシャールの行動で変化した。
イザベルは物語の悪役令嬢のように断罪された挙げ句、呪いの薬で老婆の姿となり、人里離れた山奥でひっそり暮らすはずだった。けれどその未来でさえ、彼女は変えてしまった。
悪役令嬢だけでなく、魔女さえも幸せになる結末とともに。
「そういうことなら……ありがたくいただくわ」
大事そうに小瓶を抱えるイザベルがいそいそと帰り支度を始める。イザベルがパーティション代わりの布をめくる直前、エレーナは注意事項を思い出した。
「……あ、言い忘れていたけど。その薬、とっても苦いから」
「へ……」
「まあ、夢を叶えるには代償はつきものよね。頑張って飲み干して」
「わ、わかったわ……」
渋い顔つきだったが、大丈夫だろうか。わずかな不安を残したまま、イザベルの背中を見送った。
*
イザベルに渡した薬が持ち出し厳禁なのは、理由がある。
他人の夢を媒介して魔法を使うには、魔女も同じ薬を飲む必要があるためだ。
ゆえに、本当に信頼できる者にしか渡さない決まりなのだ。
(そろそろかしら……)
時計の針を確認し、エレーナはベッド横のサイドボードに置いていたガラス瓶を手に取った。蓋をひねると、キュポッという音がする。
琥珀色の液体からは甘い香りがするが、その味が正反対なことは鍋に材料を入れた張本人だからこそ、よく知っている。
「…………」
エレーナはごくりとつばを飲み込んで、ガラス瓶を傾けた。途端にうめきたくなるような苦みが襲うが、気合いで飲み干した。口の端からあふれた薬液を袖口でぬぐい、息を吐き出す。
(うう。味はもう少し改良したいところね……)
反省点をかみしめながら、ベッドに倒れ込む。
しびれ薬を盛られたように手足が小刻みに揺れている。全身から力が抜け、意識がもうろうとする。抗いきれない睡魔に瞼を伏せた。
そして次に目を開けると、右も左もわからない霧の中にいた。
(…………ここは?)
先ほどとは違って、意識ははっきりしている。
他人の夢に入るのは生まれて初めてだ。緊張で口の中が乾く。だけど、ここまで来た以上、後戻りはできない。
覚悟を決めて前を向く。すると、白い霧が徐々に晴れて、緑の絨毯が目の前に現れた。
足元を見やると、ふさふさの芝生があった。名もなき小花も咲いている。横から風が吹き、そちらへ視線を向けると、見覚えのある蜂蜜色の髪が見えた。
(いた……イザベルだわ)
その身長は、今よりもっと小さい。初等部に入る前の頃かもしれない。
彼女は芝生の上に座り込んで、花の冠を作っている途中だった。
エレーナはイザベルの後ろにたたずみ、その様子をつぶさに観察した。不器用な花冠はところどころ歪んでいる。花の向きも下に垂れ下がっているため、全体的にもう一息というレベルだった。
だけど、今もイザベルは真剣にせっせと編んでいる。
エレーナは彼女の横に腰を下ろし、花冠が完成するのを待つことにした。はじめから自分の存在は見えないのか、まったく気づく様子はない。
しばらくして、イザベルが立ち上がった。頭の上にはできたばかりの冠が載っかっている。達成感と高揚感で頬が上気している。
子供らしい笑顔を間近で見つめ、エレーナは右手の人差し指をくるりと回した。
すると、右手から金の蝶が生まれ、イザベルの真上をひらひらと舞う。蝶が羽を動かすたび、金の粒子が降り注ぎ、彼女の小さい体をあっという間に覆い尽くす。
指をパチンと慣らすと、蝶は跡形もなく消えて、うずくまっていたイザベルが起き上がる。その顔つきは記憶と同じものに変わっていた。
ただ、一点だけ異なるのは、彼女の身長だった。エレーナが見下ろしていたはずの身長はぐんと伸び、今はエレーナより少しだけ目線が高い。
イザベルは自分の体をひねり、背が伸びたことを何度も確認している。気のせいではないことがわかると、一気に顔が華やぐ。
それから遠くでイザベルを呼ぶ声がし、喜色満面で声の方へと走っていく。
(私にできるのはここまでね……)
夢の接続を切るため、そっと瞼を伏せる。
エレーナの意識はそこで途切れた。
*
翌朝、イザベルが従者も連れずに突撃訪問してきて、文句を言う前に抱きしめられた。ありがとう、と繰り返す横顔はゆるみきっていて、叩き起こされた怒りはどこかに消えていた。
「じゃあ、そのせいね」
「…………」
「イザベル。身長が低いと嘆いているけど、周りはそんなあなたが大好きだと思うわよ」
「……え?」
谷底に突き落とされた子ウサギのように目を丸くしているので、エレーナは説明不足だったかと思って、再度口を開く。
「小さいことは悪いことだけじゃないわ。庇護欲をかき立てられるし、見ていて和むもの。あなたの存在が誰かの癒やしになっていると言っても過言ではないと思うわ」
ない知恵を絞って選んだ言葉は、イザベルのかたくなだった心に届いたらしい。
その証拠に、目の前の彼女は憑き物が落ちたように静かな顔つきに戻っている。けれど、それも長くは続かなかったようで、震える子鹿のように小さい声が語りかけてきた。
「で、でも……これは悲願なの。人並みの身長を手に入れて、誰にも背が低い伯爵令嬢なんて思われたくないのよ」
「そう……あなたにとって、なかなか根が深い問題のようね」
「魔女に頼るしか、わたくしに残された手はなかったというのに……!」
「そんなに大きくなりたいの?」
「もちろんよ!」
拳を作って頷く様子に良心が刺激され、エレーナは横を向いてつぶやくように言った。
「…………ひとつ、手がないわけじゃないわ」
「なんですの!? ぜひ教えてくださいませ!」
「現実の身長はどうにもならないわ。だけど、夢の中なら魔女の力が使えるの」
それは特別な相手にしか明かせない、古の魔法。
悪用を避けるために封じられてきたものだが、イザベルはきょとんと瞬くだけだった。
「なんというか、夢のようなお話しね」
「……どう? 試してみる?」
「当然よ! この際、夢の中でも構いはしないわ。わたくしは身長を伸ばして、皆をぎゃふんと言わせてみせるもの!」
「…………」
「それで、具体的にはどうすればいいのかしら?」
エレーナは席を立ち、木箱の中に入れておいた中から目当ての瓶を一本、取りだした。そして、それをイザベルの前に置く。
「寝る前にこの薬を飲み干して。それは夢見の秘薬。魔女が夢に現れて、あなたの夢に関与するための薬だから」
「まあ、エレーナがわたくしの夢に?」
いまいちピンときていないのだろう。
空想のおとぎ話を聞いたような顔つきで、考えこんでいる。
「言っておくけど、これは特別よ。私の友人でもあるイザベルだから渡すのであって、本来なら持ち出し厳禁なんだから」
「そんな貴重な薬を……本当にもらっていいのかしら」
「これでも私、あなたには感謝しているの。リシャールを救ってくれたこと。あの子が思い詰める前に、自分でどうにかしちゃったんだもの。だから、言わばお礼とでも思ってちょうだい」
そう、本来ならば。
イザベルはこうして今、目の前で笑っているはずなんかないのだ。
最初の予知夢で見た「魔女狩りが行われるはずの未来」はリシャールの行動で変化した。
イザベルは物語の悪役令嬢のように断罪された挙げ句、呪いの薬で老婆の姿となり、人里離れた山奥でひっそり暮らすはずだった。けれどその未来でさえ、彼女は変えてしまった。
悪役令嬢だけでなく、魔女さえも幸せになる結末とともに。
「そういうことなら……ありがたくいただくわ」
大事そうに小瓶を抱えるイザベルがいそいそと帰り支度を始める。イザベルがパーティション代わりの布をめくる直前、エレーナは注意事項を思い出した。
「……あ、言い忘れていたけど。その薬、とっても苦いから」
「へ……」
「まあ、夢を叶えるには代償はつきものよね。頑張って飲み干して」
「わ、わかったわ……」
渋い顔つきだったが、大丈夫だろうか。わずかな不安を残したまま、イザベルの背中を見送った。
*
イザベルに渡した薬が持ち出し厳禁なのは、理由がある。
他人の夢を媒介して魔法を使うには、魔女も同じ薬を飲む必要があるためだ。
ゆえに、本当に信頼できる者にしか渡さない決まりなのだ。
(そろそろかしら……)
時計の針を確認し、エレーナはベッド横のサイドボードに置いていたガラス瓶を手に取った。蓋をひねると、キュポッという音がする。
琥珀色の液体からは甘い香りがするが、その味が正反対なことは鍋に材料を入れた張本人だからこそ、よく知っている。
「…………」
エレーナはごくりとつばを飲み込んで、ガラス瓶を傾けた。途端にうめきたくなるような苦みが襲うが、気合いで飲み干した。口の端からあふれた薬液を袖口でぬぐい、息を吐き出す。
(うう。味はもう少し改良したいところね……)
反省点をかみしめながら、ベッドに倒れ込む。
しびれ薬を盛られたように手足が小刻みに揺れている。全身から力が抜け、意識がもうろうとする。抗いきれない睡魔に瞼を伏せた。
そして次に目を開けると、右も左もわからない霧の中にいた。
(…………ここは?)
先ほどとは違って、意識ははっきりしている。
他人の夢に入るのは生まれて初めてだ。緊張で口の中が乾く。だけど、ここまで来た以上、後戻りはできない。
覚悟を決めて前を向く。すると、白い霧が徐々に晴れて、緑の絨毯が目の前に現れた。
足元を見やると、ふさふさの芝生があった。名もなき小花も咲いている。横から風が吹き、そちらへ視線を向けると、見覚えのある蜂蜜色の髪が見えた。
(いた……イザベルだわ)
その身長は、今よりもっと小さい。初等部に入る前の頃かもしれない。
彼女は芝生の上に座り込んで、花の冠を作っている途中だった。
エレーナはイザベルの後ろにたたずみ、その様子をつぶさに観察した。不器用な花冠はところどころ歪んでいる。花の向きも下に垂れ下がっているため、全体的にもう一息というレベルだった。
だけど、今もイザベルは真剣にせっせと編んでいる。
エレーナは彼女の横に腰を下ろし、花冠が完成するのを待つことにした。はじめから自分の存在は見えないのか、まったく気づく様子はない。
しばらくして、イザベルが立ち上がった。頭の上にはできたばかりの冠が載っかっている。達成感と高揚感で頬が上気している。
子供らしい笑顔を間近で見つめ、エレーナは右手の人差し指をくるりと回した。
すると、右手から金の蝶が生まれ、イザベルの真上をひらひらと舞う。蝶が羽を動かすたび、金の粒子が降り注ぎ、彼女の小さい体をあっという間に覆い尽くす。
指をパチンと慣らすと、蝶は跡形もなく消えて、うずくまっていたイザベルが起き上がる。その顔つきは記憶と同じものに変わっていた。
ただ、一点だけ異なるのは、彼女の身長だった。エレーナが見下ろしていたはずの身長はぐんと伸び、今はエレーナより少しだけ目線が高い。
イザベルは自分の体をひねり、背が伸びたことを何度も確認している。気のせいではないことがわかると、一気に顔が華やぐ。
それから遠くでイザベルを呼ぶ声がし、喜色満面で声の方へと走っていく。
(私にできるのはここまでね……)
夢の接続を切るため、そっと瞼を伏せる。
エレーナの意識はそこで途切れた。
*
翌朝、イザベルが従者も連れずに突撃訪問してきて、文句を言う前に抱きしめられた。ありがとう、と繰り返す横顔はゆるみきっていて、叩き起こされた怒りはどこかに消えていた。