悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 放課後、イザベルは普通科クラスの棟にいた。

(フローリア様の噂、この目で確かめなければならないわ)

 過激派が動いているというならば、事態は急を要する。傍観者に徹しているわけにはいかない。
 なぜなら、ジェシカからもたされた情報によると、その主犯格はイザベルとなっているからだ。フローリアの危機は、悪役令嬢のフラグに直結する。
 お昼の会話を思い返し、イザベルは眉根を寄せる。

(ジェシカはともかく、ジークは少なからず疑っているようだったわね)

 彼から探るような視線をひしひしと感じた。ジェシカがうまく話をそらしてくれたから、その場を乗り切ることはできたが、ずっとこのままというわけにもいかない。
 しかしながら、ここでひとつ問題がある。
 ゲーム中であれば、嫌がらせをしてきたのは悪役令嬢であるイザベルだ。けれども当の本人に嫌がらせをしてきた記憶はない。ということは、主犯格は他にいるということだ。

(一体、誰が何の目的でやっているのかしら……)

 それも、わざわざイザベルがやったように仕向けて。
 平和的に婚約破棄されるのならば、むしろ、婚約破棄はどんとこい状態なのに。お互いを想い合う男女が結ばれた方がいいに決まっている。

(……って噂をすれば、あれはフローリア様?)

 桜色の髪を背中に流した女生徒が、中庭にしゃがみ込んでいた。
 あれだけ目立つ髪の色はフローリア以外にいないだろう。
 具合でも悪いのかと様子をうかがえば、どうやら花壇に捨てられた教科書を拾い集めているようだ。その健気な姿に涙ぐんでしまう。

(ひな鳥を見守る親は、こんな気持ちなのかしら……)

 感傷的になった気持ちを切り替えようと、イザベルは顔を上げる。すると、三階の渡り廊下から、何かが空中に突き出されるのを見つけた。

(あれは……?)

 光の反射でよくは見えなかったが、その真下付近にフローリアがいることに気づき、嫌な予感がした。
 もし、あれが落下して彼女に当たれば、怪我だけでは済まないかもしれない。
 イザベルは考えるより先に走りだす。

「あぶないっ!」

 フローリアを突き飛ばした途端、頭上から水しぶきがイザベルを襲った。カランという無機質な音の方向を見やれば、空のバケツが転がっていた。
 イザベルはしばらく呆然とし、やがて意識を取り戻す。

(そうだわ。フローリア様は……?)

 つい力を入れて突き飛ばしてしまったが、怪我はしていないだろうか。安否を確かめようと周囲を見渡すと、放心した状態のフローリアと目が合う。
 アメジストと同じ紫の瞳は少し赤みがかっており、光の反射できらきらと輝く宝石のようだった。そのきれいな瞳に思わず見惚れていたイザベルは、はっと意識を取り戻す。

「フローリア様、大丈夫ですか!?」
「わ、私は平気です。それよりイザベル様の方が……すぐにお召し替えしないと」
「……そうですね。こんな姿ではしたないわ……」

 なんてざまだろう。濡れた髪から、ぽたりぽたり、と水滴が地面を濡らしていく。

(今どき、こんな古典的な嫌がらせもあるのね……)

 不幸中の幸いは、頭からかぶったのが泥水ではなく、きれいな水道水だったことだろうか。そのあたりの配慮は、さすがは名門の学園と思っておくべきか。
 しかし、もっとスマートに助けられていれば、こんな失態を演じずに済んでいたはずだ。それだけが悔やまれる。
 バケツが落ちてきた方向を見上げると、人影は見当たらなかった。もう犯人は逃げたあとだろう。

「……で、では。わたくしは失礼しますね」

 今回はつい成り行きで助けてしまったが、フローリアとの接触は少ないに越したことはない。そそくさと回れ右をすると、後ろから呼び止められた。

「お待ちください。私も付き添います」
「え? あの……一人で大丈夫ですから」
「そんなわけには参りません。イザベル様が濡れたのは、私をかばってのこと。せめてお手伝いだけでもさせてください」
「……はい……」

 強い口調で言い切られ、イザベルは断れなかった。
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