悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
白いリムジンから降り、イザベルは校舎を見上げる。
立派な正門をくぐれば、ラヴェリット王立学園の高等部がある。道路を挟んで真向かいにあるのが中等部だ。
「イザベルお嬢様。あなたの行動には伯爵家の名誉がかかっています。ゆめゆめお忘れなきように」
通学用の鞄を差し出しながら、リシャールが最後の釘を刺す。
イザベルは鞄を受け取り、口を尖らした。
「心配性ね。少しは信用してちょうだい」
「お嬢様はそうおっしゃって、私が油断するのを狙ったように厄介ごとに首を突っ込むではありませんか」
「そ、そうだったかしら……」
「まさか覚えておられないと?」
表面上は笑顔を取りつくろっているが、怒りのオーラが隠し切れていない。
これはまずい、と直感が告げる。
リシャールの注意をそらすものはないか、と視線をさまよわせていると、彼の背中越しにポニーテールが見えた。
「ジェシカ! おはよう」
声を張り上げて呼び止めると、ジェシカは優雅な足取りでこちらにやってきた。イザベルとリシャールを見比べ、小首を傾げる。
「今日は弟くんも一緒なの?」
「おはようございます、ジェシカ様。何度も申し上げていますが、私は弟ではありません」
「似たようなものじゃない。姉弟同然に育ったという話だし」
「ですから、それはイザベル様が勝手に言っているだけで、私は承諾した覚えはありません」
興味が削がれたのか、ジェシカはわかりやすく話題を変えた。
「それはそうと、イザベルはもう具合はいいの? 昨日は休んでいたでしょう?」
「見てのとおりよ。一日寝たら熱も引いたし、みんな大げさなのよ」
「そうなの? ジークフリート様も心配していたわよ。今日は早めにサロンに行くことね」
「わ、わかったわ」
ノート集めで遅れたときも不機嫌だったのを思い出し、親友の言葉を心に刻む。
ジェシカは腕時計を確認して、あ、と声をこぼす。
「そろそろ始業時間よ」
「イザベル様、本日のデザートはサロンに運ぶように手配しています。……私はこれで失礼しますが、ジェシカ様。くれぐれも、お嬢様のことをよろしくお願いいたします」
「うーん。私も忙しいのだけど……」
「今度、社交界デビュー前のご令嬢を集めたお茶会が、内々に開かれるそうです。ジェシカ様もご参加されますか?」
「私に任せて。お安いご用よ」
渋っていた態度を一変させ、安請け合いする親友に目で訴える。
だがジェシカは気づかないふりをして、一礼して中等部へ向かうリシャールに手を振って見送っていた。
そして、小さくなる背中に目線を固定したまま、つぶやく。
「あなたの執事は、本当に過保護ね」
「……それは否定しないわ」
ジェシカはそつなくこなすタイプなので、周囲から世話を焼かれるイザベルとは正反対だ。
校門を通り過ぎると、後ろからばたばたと忙しない足音が聞こえてきて、足を止める。
音のする方向を見やると、並木道から小走りで急ぐのは、あろうことか高等部の女生徒だった。
いつもなら淑女としてはしたない、と注意するところだが、その女生徒がフローリアだと気づき、声をかけるのをためらう。
一方のフローリアもイザベルに気づいたらしく、会釈だけして前を通り過ぎる。
そのとき、目の前を舞うのは純白のハンカチ。ひらりひらりと揺れる様子を目で追いながら、やがてイザベルは動きを読み切り、パシッとつかむ。
「フローリア様。ハンカチを落としましてよ」
イザベルが声をかけると、フローリアだけでなく、周囲にいた生徒も一斉に振り向く。注目されることに慣れているイザベルは、そのまま彼女の元に近づく。
視線を一身に浴び、フローリアは緊張した面持ちでハンカチを受け取った。
「あ……ありがとうございます。イザベル様」
「ふふ、今日もいいお天気ね」
「そうですね」
予鈴が鳴り、会話はそこで途切れる。失礼します、と足早に去って行くフローリアの姿を見送り、イザベルは満足していた。
ジェシカと教室に向かいながら、作戦成功を確信する。
(これで、わたくしたちの不仲説はなくなるはずよ)
和やかに話すことで、悪役令嬢のような高圧的な態度ではなく、友好的な態度が周囲にも印象づけられたはずだ。
根も葉もない噂を消すには、新しい噂を流すことが一番だ。
(フローリア様とは友達になったんだもの。そのわたくしが彼女に嫌がらせなんて、するわけないじゃない)
嫌がらせは自分の指示という、不名誉な噂も下火になるだろう。このとき、イザベルはそう信じて疑わなかった。
立派な正門をくぐれば、ラヴェリット王立学園の高等部がある。道路を挟んで真向かいにあるのが中等部だ。
「イザベルお嬢様。あなたの行動には伯爵家の名誉がかかっています。ゆめゆめお忘れなきように」
通学用の鞄を差し出しながら、リシャールが最後の釘を刺す。
イザベルは鞄を受け取り、口を尖らした。
「心配性ね。少しは信用してちょうだい」
「お嬢様はそうおっしゃって、私が油断するのを狙ったように厄介ごとに首を突っ込むではありませんか」
「そ、そうだったかしら……」
「まさか覚えておられないと?」
表面上は笑顔を取りつくろっているが、怒りのオーラが隠し切れていない。
これはまずい、と直感が告げる。
リシャールの注意をそらすものはないか、と視線をさまよわせていると、彼の背中越しにポニーテールが見えた。
「ジェシカ! おはよう」
声を張り上げて呼び止めると、ジェシカは優雅な足取りでこちらにやってきた。イザベルとリシャールを見比べ、小首を傾げる。
「今日は弟くんも一緒なの?」
「おはようございます、ジェシカ様。何度も申し上げていますが、私は弟ではありません」
「似たようなものじゃない。姉弟同然に育ったという話だし」
「ですから、それはイザベル様が勝手に言っているだけで、私は承諾した覚えはありません」
興味が削がれたのか、ジェシカはわかりやすく話題を変えた。
「それはそうと、イザベルはもう具合はいいの? 昨日は休んでいたでしょう?」
「見てのとおりよ。一日寝たら熱も引いたし、みんな大げさなのよ」
「そうなの? ジークフリート様も心配していたわよ。今日は早めにサロンに行くことね」
「わ、わかったわ」
ノート集めで遅れたときも不機嫌だったのを思い出し、親友の言葉を心に刻む。
ジェシカは腕時計を確認して、あ、と声をこぼす。
「そろそろ始業時間よ」
「イザベル様、本日のデザートはサロンに運ぶように手配しています。……私はこれで失礼しますが、ジェシカ様。くれぐれも、お嬢様のことをよろしくお願いいたします」
「うーん。私も忙しいのだけど……」
「今度、社交界デビュー前のご令嬢を集めたお茶会が、内々に開かれるそうです。ジェシカ様もご参加されますか?」
「私に任せて。お安いご用よ」
渋っていた態度を一変させ、安請け合いする親友に目で訴える。
だがジェシカは気づかないふりをして、一礼して中等部へ向かうリシャールに手を振って見送っていた。
そして、小さくなる背中に目線を固定したまま、つぶやく。
「あなたの執事は、本当に過保護ね」
「……それは否定しないわ」
ジェシカはそつなくこなすタイプなので、周囲から世話を焼かれるイザベルとは正反対だ。
校門を通り過ぎると、後ろからばたばたと忙しない足音が聞こえてきて、足を止める。
音のする方向を見やると、並木道から小走りで急ぐのは、あろうことか高等部の女生徒だった。
いつもなら淑女としてはしたない、と注意するところだが、その女生徒がフローリアだと気づき、声をかけるのをためらう。
一方のフローリアもイザベルに気づいたらしく、会釈だけして前を通り過ぎる。
そのとき、目の前を舞うのは純白のハンカチ。ひらりひらりと揺れる様子を目で追いながら、やがてイザベルは動きを読み切り、パシッとつかむ。
「フローリア様。ハンカチを落としましてよ」
イザベルが声をかけると、フローリアだけでなく、周囲にいた生徒も一斉に振り向く。注目されることに慣れているイザベルは、そのまま彼女の元に近づく。
視線を一身に浴び、フローリアは緊張した面持ちでハンカチを受け取った。
「あ……ありがとうございます。イザベル様」
「ふふ、今日もいいお天気ね」
「そうですね」
予鈴が鳴り、会話はそこで途切れる。失礼します、と足早に去って行くフローリアの姿を見送り、イザベルは満足していた。
ジェシカと教室に向かいながら、作戦成功を確信する。
(これで、わたくしたちの不仲説はなくなるはずよ)
和やかに話すことで、悪役令嬢のような高圧的な態度ではなく、友好的な態度が周囲にも印象づけられたはずだ。
根も葉もない噂を消すには、新しい噂を流すことが一番だ。
(フローリア様とは友達になったんだもの。そのわたくしが彼女に嫌がらせなんて、するわけないじゃない)
嫌がらせは自分の指示という、不名誉な噂も下火になるだろう。このとき、イザベルはそう信じて疑わなかった。