悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 お昼のサロンは、いつもより閑散としていた。聞けば、二年生は課外授業で校内にいないとのことだった。
 三年生と一年生だけのサロンは静寂に包まれ、どことなく落ち着かない。
 そわそわとしながら、サロンの最奥に向かえば、ソファに優雅に座る婚約者がいた。

(さすが白薔薇の貴公子ね、長い足を組んだ姿も絵になるわ……)

 ジークフリートは読書に集中しているらしく、イザベルに気づいていない。
 これは好機だ。目の前の光景を脳内のスクショに保管するべく、頭からつま先まで不躾なまでに見つめる。
 その姿を目に焼き付けて満足したイザベルは、静かに声をかける。

「ジークフリート様」
「……高熱に浮かされて面会謝絶と聞いていたが、もう平気なのか」

 深刻そうな顔で尋ねられ、イザベルは瞬いた。
 熱が出たと言っても、平熱より少し高いぐらいだった。とても面会謝絶などという単語が出てくるような重い症状なわけがない。

「……誰がそんなことを?」
「リシャールだ。昨日、朝早く高等部までやってきて、サロンには来られない旨を伝えに来た」
「え? それは申し訳ございません。夕方は割と元気だったのですが」
「イザベルが元気そうなら、別にいい」

 ぶっきらぼうに言う横顔は、どこか疲れた様子が窺えた。うなだれるように俯き、両手を頭の前で交差する。

(……わたくしが休んでいる間に、何かあったのかしら)

 気にはなったが、ジェシカのように気安く理由を聞ける間柄ではない。
 婚約者として、そばにいるように義務づけられてはいるが、イザベルとジークフリートの間には明確な線引きがある。

(ジークは優しいけれど、どこかよそよそしいというか、遠慮している節があるのよね。これって、わたくしに気を許していない証よね)

 心の距離は、むしろ幼い頃よりも遠ざかっている。ジークフリートはそのことをどう思っているのか、イザベルはその答えを聞くのが怖い。

(当たり前だけど、悪役令嬢にも悩みはあるのよね……)

 近すぎるからこそ、聞けないのだ。嫌われてはいないと思うが、ヒロインと親しくなるにつれて、邪魔に思われるかもしれない。
 無言のイザベルを不審に思ったのか、ジークフリートが顔を上げる。

「イザベル? どうかしたか」
「いいえ。心配してくださって、ありがとうございます」
「婚約者なら心配して当然だ」
「そんなことはありません。優しいのはジークだからですわ。たとえ婚約者ではなくても、きっと心配してくれたと思います。だって、ジークは思いやりがある方ですもの」

 前世でも、こういう気遣いができる男はモテる。打算や下心がなく、困っている人が求めている言葉や優しさを与えることができる人は少ない。
 とはいえ、男女においては、その優しさがあらぬ誤解を生むこともままあるのだが。
 ジークフリートは権力だけでなく、周りから慕われる素質を持っている。権力を武器に、学園内での地位を確立したイザベルとは違う。
 尊敬のまなざしを送ると、ジークフリートはパッと目をそらす。
 しかし、そっぽを向いた彼の耳が朱に色づいているのに気づき、イザベルの乙女ゲージが跳ね上がる。

(生真面目なタイプが恥ずかしがる様子もグッド! やっぱり、これぞ正統派のヒーローの醍醐味よね)

 ふと、イザベルは目線を落とし、ジークフリートの膝にある本に目を留める。一冊は王国経済の本、その下にはカラフルな色彩の本がある。

「何をご覧になっているのですか?」
「……大したものではない」

 ジークフリートは俊敏な動きで本を背中に隠す。だがイザベルは、その裏にお菓子の写真があったのを見逃さなかった。

(レオン王子はともかく、ジークってお菓子好きだったかしら……)

 ゲーム内の記憶と、今世の記憶を思い返してみるが、甘い物好きという印象は抱いたことがない。

(もともと好きではないとすると、やっぱりヒロイン絡みのイベント?)

 予想よりも早く進展しそうな気配に、自滅エンド回避への道が塞がれつつある予感がした。
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