悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
エルライン伯爵令嬢の元には、お茶会や鑑賞会などのお誘いがひっきりなしに来る。貴族同士の横のつながりはその子供にも当てはまる。必然と付き合う友人も限られ、今日の集まりもその例外ではない。
正直、この間の身体測定の悲しみはまだ晴れていない。その心中を察したかのような薄曇りの空は、強い日差しを遮ってくれている。
本日のイザベルの衣装は、桃色のワンピースだ。胸元には適度にレースとリボンがあしらわれ、子供っぽいのではないかしら、とメイドに質問したら「お嬢様にはこちらがお似合いですから」と太鼓判を押されてしまった。
似合う服がどうしても子供服よりになってしまうのは、由々しき問題だ。
「イザベル、よく来てくれた。日傘もなしに出歩いて大丈夫なのか?」
振り返ると、ジークフリート・オリヴィルが眉根を寄せていた。
いつもと変わらず、公爵令息にふさわしい絢爛豪華な衣装をまとっている。膝丈まであるフロックコートは緻密な刺繍がされた最高級の生地だし、コートからのぞく襟なしベストも凝った意匠が施されている。
澄んだ青空のような天色の髪は涼しげで、首回りに巻きつけるクラヴァットがふわりと広がる。切れ長の双眸は落ち着いたダークブラウンに染められ、目が合った令嬢たちは頬を染めて言葉を失ってしまう、というのが巷の評価らしい。
(まあ、わたくし個人の評価では、可もなく不可もなしといったところだけど)
なぜならイザベルたちは、幼いときに親同士が決めた形式だけの婚約者だからだ。そこに恋や愛などといった感情は存在しない。空気のように横にいるだけの、あっさりとした付き合いなのだから。
とはいえ、令嬢たるもの、婚約者として恥じないようにしなければならない。与えられた役割ぐらいこなさなくては、エルライン伯爵家の家名にも泥を塗ってしまう。
いつものように目線を少し落として、憂いの令嬢を装う。笑顔は慎ましく、気品を忘れずに。
「ええ。日差しも穏やかですから平気ですわ。それに日傘があると、この素晴らしい薔薇の香りをかぐことは難しいですから」
今日は公爵家が主催する薔薇の園遊会だ。公爵家自慢の薔薇園は、華やかな薔薇が誇らしげに出迎えてくれ、人目をはばかって嘆いているだけだったイザベルの心もいくぶん和らいでいた。
「君は本当に我が家の薔薇が好きだな」
「もちろん! 何度見ても飽きませんわ」
「そうか。だったら、これを受け取ってほしい」
差し出されたのは、燃えるように真っ赤な薔薇が一輪。怪我をしないよう、棘はすべて取り除かれ、茎の中心には桃色のリボンが結ばれていた。
「まあ! 見事な大輪ですわね。ありがとうございます」
さりげないプレゼントに胸をときめかせていると、ジークフリートを呼ぶ声が聞こえてきた。声の方向に振り返ると、そこには複数の女性の姿があった。
公爵家主催ということもあり、園遊会には貴族の令嬢も多く招待されている。
「イザベル、すまない。他の客人の相手もあるので、これで失礼する」
「ええ、どうぞ。わたくしのことはお気になさらず」
ジークフリートは名残惜しそうに背を向け、令嬢たちの元へ足を向ける。微笑んで婚約者を見送り、改めて薔薇を見下ろす。
薔薇は国王が住まう宮殿でも愛用され、とくに今の主流は剣弁高芯咲きの品種だ。
高芯咲きは花芯が高く、中央部は花芯を包みこむように咲くため、見栄えが美しいと貴族たちがこぞって庭園に植えている。蕾から花びらが一枚ずつ降りて開く様子も人気の理由のひとつ。
そして剣弁咲きは、花びらの先が裏側に反り返り、先端が尖っている。一方、半剣弁咲きは剣弁よりは鋭さが控えめになり、やや丸みを帯びたのが特徴だ。
ジークフリートが贈ってくれたのは半剣弁高芯咲きなので、全体的にやわらかな印象だ。フルーティーな香りが強い品種なので、顔を近づけなくても薔薇の香りが立つ。
(はあ……いい匂い)
香水もいいが、直接嗅ぐ花の香りは癒やされる。個人的には、このプレゼントだけで十分だ。
彼は婚約者としての義務感からか、この一輪の薔薇のように、ささやかなプレゼントをよく贈ってくれる。仰々しいものではないので断るのも気が引け、いつも受け取ってしまうのだが、今日はいいものをもらった。
(でも、「白薔薇の貴公子」が赤い薔薇を贈るのは変な感じね)
彼が学園内で呼ばれている愛称は、白薔薇の貴公子だ。もちろん、本人の前で呼ぶわけではなく、女生徒の間でのみ使われる略称だ。もっとも命名した彼女たちは崇拝の気持ちをこめて呼んでいるようだが。
受け取った薔薇を両手で持ち直し、本来の目的である薔薇の鑑賞にいそしむ。ひとつひとつの咲き誇る様子を見ながら、広い薔薇園を歩く。
見事な薔薇のアーチの前でうっとりしていると、すぐ横に大きな影ができた。
「アーチ状にするのは難しいと聞いたことがありますが、いや、こちらの薔薇は見ごたえがありますね」
正直、この間の身体測定の悲しみはまだ晴れていない。その心中を察したかのような薄曇りの空は、強い日差しを遮ってくれている。
本日のイザベルの衣装は、桃色のワンピースだ。胸元には適度にレースとリボンがあしらわれ、子供っぽいのではないかしら、とメイドに質問したら「お嬢様にはこちらがお似合いですから」と太鼓判を押されてしまった。
似合う服がどうしても子供服よりになってしまうのは、由々しき問題だ。
「イザベル、よく来てくれた。日傘もなしに出歩いて大丈夫なのか?」
振り返ると、ジークフリート・オリヴィルが眉根を寄せていた。
いつもと変わらず、公爵令息にふさわしい絢爛豪華な衣装をまとっている。膝丈まであるフロックコートは緻密な刺繍がされた最高級の生地だし、コートからのぞく襟なしベストも凝った意匠が施されている。
澄んだ青空のような天色の髪は涼しげで、首回りに巻きつけるクラヴァットがふわりと広がる。切れ長の双眸は落ち着いたダークブラウンに染められ、目が合った令嬢たちは頬を染めて言葉を失ってしまう、というのが巷の評価らしい。
(まあ、わたくし個人の評価では、可もなく不可もなしといったところだけど)
なぜならイザベルたちは、幼いときに親同士が決めた形式だけの婚約者だからだ。そこに恋や愛などといった感情は存在しない。空気のように横にいるだけの、あっさりとした付き合いなのだから。
とはいえ、令嬢たるもの、婚約者として恥じないようにしなければならない。与えられた役割ぐらいこなさなくては、エルライン伯爵家の家名にも泥を塗ってしまう。
いつものように目線を少し落として、憂いの令嬢を装う。笑顔は慎ましく、気品を忘れずに。
「ええ。日差しも穏やかですから平気ですわ。それに日傘があると、この素晴らしい薔薇の香りをかぐことは難しいですから」
今日は公爵家が主催する薔薇の園遊会だ。公爵家自慢の薔薇園は、華やかな薔薇が誇らしげに出迎えてくれ、人目をはばかって嘆いているだけだったイザベルの心もいくぶん和らいでいた。
「君は本当に我が家の薔薇が好きだな」
「もちろん! 何度見ても飽きませんわ」
「そうか。だったら、これを受け取ってほしい」
差し出されたのは、燃えるように真っ赤な薔薇が一輪。怪我をしないよう、棘はすべて取り除かれ、茎の中心には桃色のリボンが結ばれていた。
「まあ! 見事な大輪ですわね。ありがとうございます」
さりげないプレゼントに胸をときめかせていると、ジークフリートを呼ぶ声が聞こえてきた。声の方向に振り返ると、そこには複数の女性の姿があった。
公爵家主催ということもあり、園遊会には貴族の令嬢も多く招待されている。
「イザベル、すまない。他の客人の相手もあるので、これで失礼する」
「ええ、どうぞ。わたくしのことはお気になさらず」
ジークフリートは名残惜しそうに背を向け、令嬢たちの元へ足を向ける。微笑んで婚約者を見送り、改めて薔薇を見下ろす。
薔薇は国王が住まう宮殿でも愛用され、とくに今の主流は剣弁高芯咲きの品種だ。
高芯咲きは花芯が高く、中央部は花芯を包みこむように咲くため、見栄えが美しいと貴族たちがこぞって庭園に植えている。蕾から花びらが一枚ずつ降りて開く様子も人気の理由のひとつ。
そして剣弁咲きは、花びらの先が裏側に反り返り、先端が尖っている。一方、半剣弁咲きは剣弁よりは鋭さが控えめになり、やや丸みを帯びたのが特徴だ。
ジークフリートが贈ってくれたのは半剣弁高芯咲きなので、全体的にやわらかな印象だ。フルーティーな香りが強い品種なので、顔を近づけなくても薔薇の香りが立つ。
(はあ……いい匂い)
香水もいいが、直接嗅ぐ花の香りは癒やされる。個人的には、このプレゼントだけで十分だ。
彼は婚約者としての義務感からか、この一輪の薔薇のように、ささやかなプレゼントをよく贈ってくれる。仰々しいものではないので断るのも気が引け、いつも受け取ってしまうのだが、今日はいいものをもらった。
(でも、「白薔薇の貴公子」が赤い薔薇を贈るのは変な感じね)
彼が学園内で呼ばれている愛称は、白薔薇の貴公子だ。もちろん、本人の前で呼ぶわけではなく、女生徒の間でのみ使われる略称だ。もっとも命名した彼女たちは崇拝の気持ちをこめて呼んでいるようだが。
受け取った薔薇を両手で持ち直し、本来の目的である薔薇の鑑賞にいそしむ。ひとつひとつの咲き誇る様子を見ながら、広い薔薇園を歩く。
見事な薔薇のアーチの前でうっとりしていると、すぐ横に大きな影ができた。
「アーチ状にするのは難しいと聞いたことがありますが、いや、こちらの薔薇は見ごたえがありますね」