悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 翌朝、登校してきたイザベルを待ち構えていたのは、二年特Aクラスのご令嬢一行だった。

「イザベル様。少しよろしいでしょうか?」
「どうかしましたか、ナタリア様」

 取り巻きを数人連れたナタリアは、自慢の縦ロールを後ろ手に払い、澄ました声を出す。
 つり目仲間で気位が高いという点では、彼女にも悪役令嬢の素質があるように見える。
 ちなみにナタリアは先輩でもあるが、子爵家の令嬢だ。つまり、貴族の身分がモノをいうこの学園において、伯爵令嬢であるイザベルの方が実質的な地位は高い。
 したがって、イザベルに面と向かって意見する人物は限られる。爵位が上の公爵令息のジークフリートやレオン王子、友達のジェシカなどだ。
 例外的には目の前のナタリアのような、派閥を持っているグループだ。

「昨日のハンカチ事件、耳にしましたわ」

 初めて聞く事件名に、イザベルは耳を疑った。
 しかし、ナタリアは生真面目な顔を崩さず、イザベルを褒め称えた。

「庶民のハンカチを拾い、宣戦布告なさるイザベル様はさすがですわ」
「ちょ、ちょっと待ってください……宣戦布告とは?」
「イザベル様自らがハンカチを突きつけ、貴族と庶民の格の違いを見せつける場面は、さながら本に出てくる名シーンだったと、皆が申しております。それに、あなたは学園にふさわしくありません、と堂々と言い切るなんて、お話を聞いただけでもしびれましたわ」

 頭の整理が追いつかない。

(ナタリア様は今なんておっしゃったの?……っていうか、別にハンカチも突きつけていないのだけど)

 混乱するまま、昨日の会話を振り返ってみるが、いたって普通の朝の挨拶をしただけだ。友好的に接した覚えはあれど、敵対した覚えは一つもない。

「あの……そんなことを言った記憶はありませんが」
「口に出さずとも、皆わかります。庶民のハンカチなど捨て置いて当然なのに、それを敢えて拾うことにより、宣戦布告をしたも同然ですわ」

 曲解だ。だがふと思う。
 貴族社会は、腹の探り合いだ。つまり、言葉の裏、はたまた裏の裏の裏まで見抜くことができなければ、弱肉強食の社会を生き抜くことは難しいのかもしれない。
 けれども、イザベルは口には出していないし、そもそも思ってもいない。

(甚だしい誤解だわ)

 しかし、それを公の場で直接口にすることは、ナタリアをおとしめることになる。
 それだけの発言権がイザベルにはあるのだ。貴族社会において、一度、孤立させられた者の未来はないに等しい。
 どう反論しようかと考えていると、ナタリアは頬に手を当てて嘆息する。

「ですが、フローリア様に近づくのはおやめください。令嬢とはいえ、成り上がりの男爵の娘ですもの。イザベル様とはつり合いが取れませんわ」

 そうでしょう、と同意を求めてくる視線にイザベルは困り果てた。
 ナタリアとフローリア、両方の地位を脅かすことなく、この場を穏便に済ませる方法。考えあぐねた結果、角が立たないように返すのが精一杯だった。

「……ご忠告、ありがとうございます。心に留めておきますわ」

 ナタリアは言いたいことが言えてスッキリしたのか、ではごぎげんよう、とイザベルを追い抜き、靴箱の方へ行ってしまった。

(一体なぜ……。どうあがいても、わたくしは悪役令嬢にしかなれないというの?)

 自分の目論見が外れたことを悟り、イザベルはその場に立ち尽くす。

(これでは完全に手詰まりだわ。悪役令嬢フラグを折るどころか、逆に立ててしまっているわ)

 良策だと思っていたことでさえ、裏目になってしまうなんて、どうしたらいいのか。
 もはや、悪役令嬢になる宿命からは逃れられそうにない。
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