悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 クラウドとの間に締結された「イザベルの名誉回復同盟」は、当面は各自で調査することで話がまとまった。お互い、何かわかったら報告をすることになっている。
 本日のイザベルの活動内容は、フローリアの下駄箱に異常がないかを確認することだった。周囲に人気がないのを念入りに確認したうえで、彼女の名前が書かれたプレートのドアを開けたが、特に異常はなかった。

(……そういえば、ジェシカが言っていたっけ。バケツ落下事件から、過激な嫌がらせはなくなったみたいって)

 誰かの圧力か、天の配剤か。どちらかはわからないが、フローリアが無事ならそれでいい。そう納得したイザベルは、まっすぐに帰宅することにした。
 玄関で靴を脱いでいると、リビングから楽しげな声が聞こえてくる。

(来客なら応接室を使うだろうし……ひょっとして)

 リビングのドアをそっと開けると、予想どおりの人物がいた。

「ルドガーお兄様、お戻りだったのですか」

 長身の青年がソファ越しに振り返る。
 背中につくアッシュブロンドの髪はブルーのリボンで束ねられ、その瞳はイザベルと同じ若葉色。年齢は今年二十六歳になる。記憶が正しければ、第一王子と同い年のはずだ。
 ルドガーは無言のまま、部屋の入り口にいたイザベルの元に早歩きで近づく。その距離が縮まったかと思ったときには、イザベルの小さい体は、彼の腕の中に閉じ込められていた。

「嗚呼、愛しいイザベル。会いたかったよ!」
「く……苦しいです……」

 思わず呻くと、拘束していた腕の力が緩まった。脱出するなら今だと、イザベルは暑苦しい抱擁から抜け出す。一人分のスペースの距離を取り、改めて兄であるルドガーを見上げる。 
 ルドガーと、こうして直接会って話すのも久しぶりだ。
 カリス第一王子の遠方視察前に、もろもろの政務を前倒しする関係で、何週間も王宮で缶詰め生活だと聞いていた。数週間ぶりに見る兄は、どこか少しやつれた印象がある。

「ごめんごめん。リシャールから園遊会では日射病で倒れ、先日は風邪で寝込んだと聞いたものだから。王宮で缶詰めにされていなかったら、この兄がすぐに駆けつけたものを……」
「お気持ちだけで結構です」

 丁重にお断りを入れると、ルドガーは悲しげに言い募る。

「イザベルはぶれないね。でもそういうところも、たまらなく可愛い」
「……お兄様」
「心配には及ばない。イザベルの気持ちはわかっているつもりだ。君が恥ずかしがり屋だということは、兄様はよく知っているよ」

 だめだ、話が通じない。
 基本的に面倒見がよくて妹想いの兄だが、時として愛が重い日もある。
 年が離れていることもあってか、鬱憤がたまると、ネジが吹き飛んだように妹への接し方が過剰になってしまうのだ。
 幸か不幸か、ゲームでは攻略対象には含まれていない。

(外交官の秘書官で優秀らしいけど……正直、攻略対象にはしたくない)

 ルドガー本人は視察には同行しないようだが、第一王子の側近として、存分にこき使われたのだろう。
 端正な顔立ちなのに、目の下の隈がそれを物語っている。

「そんなことより、お仕事はもう大丈夫なのですか?」
「ああ。山場は通り越したからね。ここ最近はろくに寝ていないから、兄様はつらい。どうか癒やしてほしい」

 さあ、と両手を広げる兄を見つめ、イザベルはすげなく断った。

「抱擁は先ほど充分いたしました。お兄様は、早く恋人を作るべきだと思います」
「心配はいらない。僕には、イザベルという天使のような妹がいるのだから」
「…………」

 かけるべき言葉が見つからず、哀れむような目で見つめる。
 しかし、妹の冷たい視線には気づかないフリをし、ルドガーは笑みを崩さない。秘書官で培った腹黒気質を感じ、イザベルは警戒心を強めた。
 妹の警戒モードを和らげるためか、ルドガーは笑顔をキープしたまま、話題を変える。

「レオン殿下の生誕祭まで、まだ各方面の調整が残っているけど。明日にはカリス殿下も旅立たれる。しばらくは平穏な日々が戻るだろうから、王宮に寝泊まりの毎日からも解放されるよ」
「生誕祭……ああ、そういえば。招待状が来ていましたね」
「イザベルはレオン殿下とも仲がいいんだって? 同じクラスだと父上から聞いたけど」

 探りを入れるような視線を感じながら、イザベルは学園内でのツンデレ王子の様子を思い出す。

「仲は悪くはないと思いますよ。ただ……一匹狼とでも呼べばいいんでしょうか。クラス内では、孤高の存在感を放っています。まあ、わたくしには皆さんが怖がる理由がよくわかりませんが」
「……レオン殿下は、まだ愛想すら取り繕えないのか……。そろそろ対人スキルも習得してほしいところだね」

 ルドガーは顎に手を当て、しみじみと語る。しょうがないな、という風を装っているが、妹の目は誤魔化せない。その瞳には何かを決意したような強い意志が宿っていた。
 経験則から言って、この冷たい瞳をしているときは、悪に染まる覚悟をしているときだ。
 妹にデレデレの様子は、家族や親しい者だけが知る、完全なるオフの姿だ。イザベルがオンの様子を見る機会はほとんどないが、その片鱗は日常生活でも垣間見えるものだ。
 一度、彼の逆鱗に触れたクラスメイトの男の子が、言葉の刃によって追い詰められたことがある。容赦がない、と子供ながらにも戦慄したものだ。
 次の日、イザベルをからからっていた男の子は、イザベルを女王様のように崇めはじめた。次第に、彼の行動は周りにも波及し、イザベルの学園内での地位は盤石のものとなった。
 兄にまつわる噂の内容は怖くて聞いていないが、一度やると決めたときの行動力は、甘く見てはいけない気がする。

(これはマズい、非常にマズいわ。レオン王子の個性が、この腹黒兄のせいで奪われてしまう……!)

 不安が加速し、手懐けられてすっかり丸くなったレオンの姿を想像する。ヒロインの手ではなく、一従者によって性格を矯正され、生涯消えないトラウマが植えつけられた王子。想像しただけでも、胸が苦しくなる。
 イザベルは、一友人として、レオンを擁護することにした。

「お兄様、王子はただツンツンしているのではありませんわ。たまにデレます。そして、そこが大変可愛らしいのです。外交では王子の仮面をかぶる必要がありますが、あの素質は、そのままにおくべきですわ!」
「……そうなの?」
「貴重なツンデレなんです!」

 熱く語るイザベルを見つめ、ルドガーは困ったように苦笑した。

「……言っていることがよくわからないけど、イザベルの熱意だけは伝わってきたよ。最低限の対人スキルは必要だけど、根本的には無理に変わることはない、ということだね?」
「さすが、ルドガーお兄様ですわ。わたくしの言いたいことを的確に表現してくださり、ありがとうございます」

 異世界の言語の壁すらも超えた理解力に、尊敬の眼差しを向ける。
 ルドガーは気分をよくしたのか、今回はそういうことにしておくね、と妹の要望に快諾した。
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