悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 お昼休みのサロンは、ほのかに甘い匂いが漂っていた。
 今日はジェシカが用意した生チョコレートが振る舞われ、全員がその味を堪能した。もちろん、イザベルも例外ではない。
 子爵家のお抱えショコラティエが作るチョコレートは、王宮御用達のお店と引けを取らないくらい美味だった。
 前世で食べた板チョコレートとは格が違う。食べた瞬間から、チョコレートの質がいつもと違うのがわかった。口どけや後味、すべてが今までの常識を凌駕していた。

(ああ、なんて幸せな瞬間だったのでしょう……)

 至福のひとときを思い出し、イザベルは息をつく。
 そして、視線はテーブルの上にくぎ付けになる。レースのついたテーブルの上に置かれた箱には、まだ生チョコが半分以上残っている。

(ううう。本当は食べたいけど、これ以上は危険……)

 イザベルは現在、ビターな残り香の誘惑に全力で抗っている最中だった。
 前世のような過ちを繰り返すわけにはいかない。
 チョコレートの食べ過ぎは、肌トラブルの元だ。伯爵令嬢の威厳を保つためにも、この誘惑は振り切らなくては。
 イザベルがひとり顔をしかめていると、隣に座るジークフリートが心配そうに声を潜めて言う。

「さっきから考え込んでいるようだか、何か深刻な悩み事か?」
「っ……い、いえ。些細なことですので、どうぞお気になさらず!」

 早口にまくし立てると、ジークフリートは一瞬目を丸くした。それから、言葉を選ぶように視線をそらす。

「ところで、今週の週末だが……」
「申し訳ございません。ここしばらく、予定が立て込んでおりまして、お会いするのは難しいと思いますわ」
「……そうか」

 こうして誘いを断るのは何度目だろう。毎回悲しそうな顔をされるので、イザベルの良心もズキズキと痛む。
 しかし、明るい未来のためにも、ここは初志貫徹が鉄則だ。
 たっぷり数十秒、生チョコに未練がましい視線を送ってから、イザベルは立ち上がる。

「所用がありますので、お先に失礼しますわ」

 淑女らしく優雅な動きを心がけ、膝を曲げて頭を下げる。退室の非礼を詫びると、ジークフリートは諦めたように頷いた。

「それが君の役目なら仕方あるまい」
「話が早くて助かります。ではごきげんよう、ジーク」
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