悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 思えば、その日は朝から不運の連続だった。星のめぐりが悪いとでもいえばいいのか、何をやっても裏目に出る。
 朝の爆発したような寝癖もさることながら、送迎用の車はエンジントラブルときた。徒歩で行くことにしたら、散歩中の大型犬に追いかけ回されるわ、謎の鳩の集団が行く手を防ぐわと、あらゆる妨害行為に出くわす始末。
 ちなみにリシャールは指導委員の仕事があるらしく、イザベルが朝ごはんを食べる間にすでに登校している。彼は一人だけで登校するときは送迎車は使わないので、車の不調にも気づくことはなかったのだ。
 結局、遅刻ギリギリの時間になり、イザベルは教室に駆け込むことになった。
 そして現在、まだその不運は続いていた。

(……これが注意力散漫の結果というやつかしら)

 体育の授業中、バスケットボールで突き指をしてしまった。
 だが不運はさらに続く。保健室へ向かおうと背中を向けたとき、背後から流れ玉が襲い、慌てて避けようとして足首に激痛が走った。

「イザベル、今の当たってないわよね!? どこか痛いの?」

 逆側にいたコートから真っ先にジェシカが飛んでくる。ボールは壁際に当たり、床に転がっている。

「大丈夫……でもちょっと、足首をひねったみたい」

 突き指した手をかばいながら、目線を足首に向ける。ジェシカは憐れむような視線を向けた。

「本当に今日はとことんついてないみたいね。でもどうしようかしら、担ぐとなったら男子の手を借りないと」

 今日は男女ともに体育館での授業だ。ネット越しに男子を見ると、騒ぎをいち早く嗅ぎつけてきたのか、クラウドがひょっこり顔をのぞかす。

「何か困りごと?」
「あーうん。イザベルが突き指した挙げ句、足をひねったみたいでね」
「そうなんだ。じゃあ、俺が運ぶよ」

 首の後ろとひざ下に腕が差し込まれたかと思うと、そのまま体を持ち上げられる。俗に言う、お姫様抱っこというやつだ。

「え、ちょっ……クラウド!?」
「ごめん。あまり動かないで。落ちるといけないから」
「でも! 重たいわ」
「ん? そうかな、羽みたいに軽いけど」
「……そ、そんなわけないわよ……」

 漫画みたいな台詞だが、現実はかなり重いはずだ。
 イザベルは低身長ながら肉付きはいい方だ。牛乳やチーズ、小魚や小松菜と海藻類もしっかり摂取しているのに、身長は伸びず、胸やお尻だけ肉付きがよくなっている。
 彼の細腕に、相当な負担になっているのではないだろうか。

(ああ……あとでなんとお詫びをしたらよいのか……)

 夢にまで見たシチュエーションだが、いざ現実にすると、幸せタイムに浸る余裕はまったくない。やはり、漫画やゲームは非現実の空間なのだ。

(うう……恥ずかしい……)

 羞恥心で顔全体が熱くなる。
 さっきから心音が激しいし、どうにかなりそうだ。ドキドキは強くなる一方で、うまく呼吸ができている気がしない。
 酸欠になるのも時間の問題だとイザベルが覚悟したとき、クラウドが小さくつぶやいた。

「これはナイトの登場かな?」
「へ?」

 ひたすら両手で顔を覆っていたイザベルは、反射的に手をのける。すると、社会科準備室から出てくるジークフリートと目が合った。
 ただならぬ様子と判断したのか、早足で近づいてくる。

「イザベル? どうしたんだ?」
「……ちょっと足をくじいてしまって、動けなくなったところを助けてもらったのです」
「そうだったのか。ここまで運んでくれて感謝する。彼女のことは僕が預かろう」
「よろしくお願いします」

 言うや否や、そっと降ろされる。足が地面に着き、ふらついたところをジークフリートがすかさず支えた。
 痛む右足をやや浮かし、イザベルはクラウドに向き直る。

「クラウド、腕は大丈夫? もし痛くなったら言ってね。わたくしができることなら、何でもするから!」

 息巻いて詰め寄ったせいか、クラウドは及び腰になる。

「あー……うん……本当に平気だから。それよりイザベルこそ、しっかり休むんだよ」
「もちろんよ。もう無理はしないわ。本当にありがとう」
「気にしないで。たまたま近くにいただけだから。じゃあ、またね」

 踵を返し、まるで逃げるように早足で去っていく。
 その後ろ姿が完全に見えなくなってから、ジークフリートは前髪をかきあげた。その表情はどことなく疲れている。

「……イザベル。男相手になんでもする、という約束は今後一切しないように」
「え? 相手はクラウドですよ?」
「彼も男だろう。頼むからこれ以上、僕の心を乱してくれるな」
「……わかりました」

 腑に落ちないまま了承の意を伝えると、ジークフリートは優しくイザベルの髪を撫でた。
 まさか、第二のルドガーが現れようとは思いもしなかった。今後、ジークフリートの前でうかつな発言は注意しよう、とイザベルは心に誓った。
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