悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 奧の二人がけの椅子にレオンが一人で座る。その真向かいにジークフリートとイザベルが座り、横の一人用の椅子にフローリアが腰かけた。リシャールは壁際に控えている。

「それで、殿下はどうしてこちらに?」

 代表してジークフリートが尋ねると、全員の視線が集まったのに気づいてか、レオンが居住まいを正す。

「……うむ……その、避難先を探していてな。イザベルに相談しようと思ったが、ジークフリートとともに別荘に向かったと聞いた。それなら、自分が直接出向けば一石二鳥だと考えた。だが急な訪問になってしまい、申し訳なく思う」
「いえ、殿下が謝る必要はございません。幸い、部屋も空いております。なにやら、のっぴきならない事情があるようですね。理由をお聞かせいただけますか」

 神妙な顔つきで唇を引き結び、レオンは薄く息を吐き出す。

「ああ……事のはじめは生誕祭だ。いつもは怯えて遠くから見てくるだけの令嬢たちが押し寄せ、舞踏会までは一人で乗り切った。これで山場は越えたと思っていたのだが、次の日から手紙が山のように届くようになった」
「手紙……ですか?」

 ジークフリートが尋ねると、レオンがうな垂れるように頷いた。

「最初は一通だけで、お礼を述べた手紙だった。初めてで嬉しかったから、返事もすぐに認めた。だが手紙の数は日に日に増えていく一方で、手紙の中身は自分を生涯の伴侶に選ぶとどんなメリットがあるか、俺の容姿の好きなところについて、直した方がいい部分など、ダメ出しも含まれるようになっていた」

 要は結婚のターゲットとして狙われたのだ。おそらく、最初の真心を込めた返事をした話が、他の令嬢たちの耳にも入ったのだろう。
 けれど自分を売り込み、愛を囁く文面だけに飽き足らず、欠点をわざわざ指摘する真似はやりすぎだと思う。将来の伴侶として直すべき部分があるところは否定しないが。

「……イザベル……俺は何か間違ったのか? かつてこれ以上、女性がおそろしいと思ったことはない」

 切実なつぶやきに、フォローの言葉が見つからない。

(完全な女性不信に陥っているわね……どうしたらいいかしら)

 一匹狼でロクに女性免疫がなかった王子が突然、女性の輪に放り出されたのだ。きっと相当な洗礼を受けたに違いない。しかしながら、ここまで傷が深いとは思わなかった。ようやく自立できたのだ、と遠くから見ていたのがあだになった。
 眉を寄せて悩んでいると、フローリアが労わるようにレオンを見つめる。

「それは怖い思いをされましたね。ですが、もう大丈夫です。イザベル様に歯向かう女性はなかなかいませんわ。そうですよね、イザベル様?」

 期待を含んだ眼差しを向けられ、イザベルは目を瞬いた。

(えっと……これは皮肉じゃなくて、純粋に頼られているのよね?)

 ここはポジティブに考えよう。そう自分に言い聞かせ、こほん、とわざとらしく咳払いをした。

「わたくしの支配力はさておき、レオン王子の平和を取り戻す方法はあります」
「方法があるのか! もったいぶらずに早く教えてくれ」

 レオンは切羽詰まったように早口で言い、その次の言葉を急かす。期待と不安が詰まった瞳を見つめ、イザベルは端的に答えた。

「婚約者を決めればよろしいのです」
「……待ってくれ。その、婚約したい相手がいない場合は……?」
「耐えるしかないでしょう」

 二者択一を迫られたレオンはグッと声を詰まらせ、そのまま化石のように固まってしまう。もう少しオブラートに包んだ方が良かったかもしれない。
 心の中で反省していると、しばらくして、レオンの化石状態が雪解けのように解けた。ゆっくりとした仕草でレオンは立ち上がり、フローリアの前まで歩く。かと思ったら、勢いよく頭を下げた。

「フローリア。もし、こんな俺でもいいと思ってくれるなら……」

 だが、一縷の望みをかけた言葉は最後まで続かなかった。

「ごめんなさい。無理です」
「そう……か……」
「我が家は男爵家ですし、由緒ある家柄でもありませんから」

 追い討ちをかけるように続く理由に、イザベルは同意した。

「確かにそうですわね。普通に考えて、王族と男爵令嬢の婚約は認められないでしょう」
「……身分とは難儀なものだ。いっそ遠くの国へ行きたい……」

 本音がダダ漏れだ。これはひょっとして、相当に追い詰められている状態ではないだろうか。
 彼の危うい状態を感じ取ったのだろう。ジークフリートが口を開いた。

「僭越ながら、亡命を考えておられる気持ちが本当なら、公爵家がバックアップいたします」
「本当か?」
「ただ……他国に行っても、同じ事態に陥る可能性は否定できません。殿下の美貌はこのラヴェリット王国の宝。世界のどこにいても、その輝きを消すことはできないでしょう」

 ジークフリートは淡々と事実を述べる。レオンには死刑宣告にも等しい内容だったらしく、遠くを見つめる瞳は深い悲しみに揺れていた。

「つまりは、どこにも逃げる場所はない……ということか」

 現実に打ちのめされた独白が聞こえてくる。まばゆい金髪ですら、今日ばかりはくすんで見える。

(数少ない友人の一人として、さすがに見過ごせないわね……)

 友人の心の危機に、イザベルは切り札を切った。

「……わかりました。一年以内に婚約者を自力で見つけることを条件に、ルドガーお兄様に令嬢たちのアピールを控えるようにお願いしておきます」
「そんなことが可能なのか?」

 疑うような視線がちくちくと刺さったが、イザベルは笑顔でレオンの不安を吹き飛ばした。

「お兄様は交渉術のスペシャリストですもの。妹の頼みとあらば、秘書官で培ってきた外交スキルを発揮してくれるはずですわ。……ただし、最終的に自分の伴侶を選ぶのはレオン王子です。仮に、候補者が見つからなかった場合は、おとなしく国が決めた相手と結婚なさるのですよ」
「わかった……猶予が得られたのなら、俺も腹をくくろう。誠心誠意、相手を選ぶことを誓う」

 厳かな誓いに満足し、イザベルは話題を変えた。

「話もまとまったところで、町へ行きませんか」
「なに?」
「ちょうど、フローリア様と麓の町へ行く予定だったんです。せっかくここまでいらしたのですから、レオン王子もいかがですか? 今まで王宮で気詰まりしていたんでしょう。ここなら件の令嬢も追ってこないでしょうし」

 少し悩んだ様子のレオンだったが、気兼ねなくできる場所だと気づいたようで、頬の緊張を緩める。

「俺も行ってもいいのか?」
「もちろんです。ジークはどうされます?」
「僕も行こう。リシャールは朝から疲れただろう、しばし休んでおくといい」
「なぜ、しれっと置いて行こうとなさるんです? 私もお伴しますよ。お嬢様の専属執事なのですから」

 リシャールが食い下がると、ジークフリートは嘆息した。だがすぐに立ち上がり、用意をしてくる、と応接室を出てしまった。

(あれ? ちょっと険悪な空気っぽい……?)

 気のせいかなと首を傾げていると、レオンとフローリアの内緒話が耳に入ってくる。

「なぁ、フローリア。……ジークフリートとリシャールは、なんかギスギスしていないか?」
「うーん。そう見えますよね。でも、原因がわからないんですよね」
「こういうのは下手に口出しすると、こっちまで火の粉が飛んでくるやつだろ」
「やっぱり、そうですよね……」

 二人ともこそこそと小声で喋っているが、内容は丸聞こえだった。
 ふと目が合うと、フローリアが気遣わしげにイザベルを見やる。その視線の意味がわからず、曖昧に笑みを返してみるが、心配そうな顔は変わらなかった。
 先ほどの会話は、おそらくリシャールの耳にも聞こえていたはずだ。そう思って専属執事に「何かあったのか」とアイコンタクトで問いかけるが、「お嬢様には関係ありません」とばかりに目を伏せた。

(むむ……これは問い詰める必要があるわね)
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