悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
「お昼前とはいえ……暑いわね」

 真夏の日差しに目がくらみそうになっていると、頭上に小さな影ができた。横を見やれば、リシャールが日傘を差し出していた。一言礼を言って持ち手を受け取り、自分で差す。
 レオンとフローリアはすでに車に乗り込んでいる。次はイザベルの番だ。
 王子をあまり待たせてもいけない。そう思って足を踏み出すと、ジークフリートが後ろから声をかける。

「イザベル、体調は大丈夫か?」

 振り返ると、ダークブラウンの瞳と目が合う。優秀な執事のおかげで日傘も手元にあるし、車移動なら倒れる可能性も低いはずだ。
 イザベルは淑女らしい微笑みとともに言葉を返す。

「ご心配には及びません。言い出したのはわたくしですもの。それに何かあれば、リシャールがそばにいますから」
「……そうだな」

 リシャールの名前を出したせいか、ジークフリートの顔が曇った。イザベルは横目で専属執事の様子を窺うが、顔を伏せているせいで顔色が読めない。

(早いところ、この空気をどうにかしないといけないわね)

 ジークフリートに手を引かれ、イザベルも車に乗り込む。従者の不手際は主人の責任だ。しかし、ひとまず状況を把握する必要がある。手っ取り早く吐かせるためには、事情聴取から始めなくてはならない。
 イザベルは使命感に燃えながら、助手席に座ったリシャールの方向を見つめた。その横で、婚約者が気難しげな顔で腕を組んでいることには気づかなかった。

      *

 別荘から麓の町へは車で十分ほどで着く。
 王都から北に延びた街道沿いにある町は、交易の中継地としてもにぎわっている。
 雨粒をしのげるよう、中央市場はアーケード街となっており、観光客の姿も多い。道の両脇にお店が軒を連ね、客を呼び込む声が行き交う。

「こ、ここが……おすすめの場所なのか……?」

 鶏肉が吊り下げられている様子は生々しく、レオンが慄いたように後ずさる。
 イザベルは今にも逃げ出しそうな王子の腕をつかみ、目線を違う方向へ誘導した。

「そこは刺激が強すぎるので、こっちのお店を見てください。ああほら、向こうからスパイシーな香りがしますよ。どれも食べごたえがありそうですね!」

 揚げ物やジュッと肉を焼いた匂いが漂ってくる。イザベルはごくりと生唾を飲み込んだ。その横の店では、さまざまな形の青果が並べられ、手書きの値札がカゴに挿してある。
 レオンは物珍しそうに左右を眺めていたかと思えば、あっ、と声を上げた。

「何か気になるものがありましたか?」

 イザベルが問いかけると、レオンは我に返ったのか、小声で答えた。

「いや……向こうから甘い匂いがして……」
「ああ、クレープのお店ですね。さすが王子、このカオスな匂いの中から嗅ぎ分けるとは」
「おまえ……俺をバカにしていないか?」
「いいえ、とんでもない。せっかくの機会です。クレープも食べましょうね」

 引率する保護者の気分で仕切ると、後ろに控えていた専属執事の名を呼ぶ。

「リシャール」
「何でしょうか、お嬢様」
「レオン王子におすすめの料理とクレープを見繕ってちょうだい」
「かしこまりました」

 前回の王都お忍びのときはともかく、通常、伯爵令嬢は財布を持っていない。ドレスにポケットはなく、食べたければ、付き人に買ってもらう方法しかないのだ。
 イザベルはちらりと後ろを見やる。レオンほどではないが、初めて見るお店にフローリアも興味津々の様子で、ジークフリートに質問をしていた。

(うんうん、あっちは順調そうね)

 総菜店や土産物のお店を素通りし、レオンをアーケードの奥にある休憩所に連れ込む。だだっ広い休憩所には、粗末な机と椅子があるだけ。本来は王族を通すような場所ではないが、今日はお忍びだから大目に見てもらおう。
 ちょうど昼時だからか、幅広い年代の層がおのおの自由にくつろいでいた。椅子に座り休憩をしているご老人、観光客と思しき若い男女のグループ、お忍びで訪れたような着飾ったご婦人、さまざまな人が集まっている。
 その中で、市井の雰囲気になじめないのか、レオンはそわそわとしている。

「奥のスペースが空いていますね。行きましょう!」
「お、おい……」

 ずんずんと進んで、残りわずかになった空席を無事確保。大きなテーブル席を囲むようにして丸椅子が並んでいる。

(ここなら、みんなで食べられそうね)

 レオンの肩を押さえつけ、奥の席に強引に座らせる。休憩所の入り口ではジークフリートとフローリアが誰かに話しかけられているらしく、足止めをくらっている。
 しばらくして帰ってきた彼らの手には、たくさんの食べ物があった。

「それは……?」
「領民から、どうぞ食べてくれと押し付けられた。がたがただった街道を整備した、そのお礼だそうだ」
「まあ」

 テーブルの上に並べると、なかなかの量だ。さて、どこから食べようかと悩むほどである。そこへ追い打ちをかけるように、リシャールが戻ってきた。

「お嬢様。ご所望の品をお持ちいたしました」
「あら、早かったわね。どうもありがとう」
「とんでもないです」

 追加で机に並んだのは、紙で包んだだけの豚まん、串刺しの牛肉、ワンタンが入ったスープ、そして二種類のクレープ。どれも食欲をそそる匂いがする。

「なあ、イザベル」
「何でしょう?」

 テーブルに並べられた食べ物とイザベルを交互に見つめ、レオンはおそるおそるといった風に口を開く。

「まさかとは思うが……このガヤガヤとした中で食べるのか?」
「そうですよ。さあさあ、食べてください! 焼きたては美味しいですよ」
「ぐふっ」

 レオンの口に焼き鳥の串刺しを突っ込み、それ以上の言葉を封じた。
 美味しさを堪能するのに、余計な心配は必要ない。
 やがて、口がもごもごと動いたかと思えば、次第に食いつきが良くなる。目にも正気が戻り、あっという間に完食した。

「大味だが、意外とイケるな」
「シンプルイズベストってやつです。たまには庶民の味も悪くないでしょう?」
「ああ。これはクセになる味だ」

 美味しいものを食べて緊張が解けたのか、次はスープを口につける。思ったより熱かったのか一瞬硬直したものの、ふーふーと息を吹きかけて、はふはふと食べている。どうやら満足してくれたようだ。
 イザベルも食べようと手を伸ばすと、すっと横から紙の皿とフォークが差し出された。串に刺されていたはずの牛肉は行儀よく横に整列し、どこから用意したのか、紙の皿に載せられている。

(……これでは楽しみが半減だわ)

 串焼きはかぶりついてこそ、美味しさが倍になるというのに。
 だがそんな本音は、伯爵令嬢が口に出すセリフではない。前世云々の話も当然アウトだ。そんなわけで今、イザベルは内心で葛藤していた。

(貴族の娘としては間違ってはいないのだけど……どうせならレオン王子のようにかぶりついて食べたかった……)

 庶民らしい食べ方を禁じた元凶ともいえるリシャールは、それぞれの食事を取り分けることで忙しくしていた。いつの間にか、すっかり給仕の役目に徹している。

「どうした? イザベルは食べないのか」
「この朝穫れサラダセットもみずみずしくて美味しいですよ」

 ジークフリートとフローリアが心配の声をかけてくれるが、イザベルは曖昧に笑うしかなかった。
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