悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 食後のクレープも平らげ、すっかり元気を取り戻したレオンはジークフリートからこの地の伝承に耳を傾けながら、ひとつひとつのお店を見て回っていた。
 その様子を生暖かく見守っていると、ふと袖を引かれた。

「イザベル様! あっちにアクセサリーのお店もあるみたいです。一緒に行ってみませんか?」
「新しいお店かしら? ぜひ行きましょう」

 フローリアに導かれるままに足を進めると、雑貨店があった。店の前には女の子が好きなアクセサリーが並べられている。
 小さな宝石やガラスで作ったブレスレット、貝殻や星屑が詰められた瓶、透き通った海が描かれた栞、花をかたどったブローチなど、乙女心をくすぐるアイテムが所狭しと陳列してある。
 店の中を覗くと、誕生石ごとに小さな石を埋め込んだ指輪がショーケースに並んでいた。その横には開運や厄除けといったグッズがあり、真向かいの棚には恋愛成就のコーナーがででんっと作られていた。

「わっ、たくさん種類がありますねー」
「このイヤリングも可愛いわね」
「そうですね。どれも可愛くて、見ているだけでも幸せになります」

 うっとりと眺めているフローリアを微笑ましく見て、イザベルは壁際のコーナーを見て回る。ちりめん生地で作られたうさぎをつまむと、ちょうど手のひらサイズだった。手作業だからか、どのうさぎも違う色合いになっている。
 少し名残惜しくも陳列棚に戻すと、ふと、その下にある商品に目が吸い寄せられる。
 髪飾りやつげ櫛は別段珍しいものではない。しかし、白い薔薇の意匠が彫られた櫛は初めて見た。惹きつけられるように、イザベルは手を伸ばす。
 薔薇の四隅には小さい石が埋め込められ、値札を裏返すと意外と高かった。

(白薔薇だからジークフリートみたいって思うのは安直かしらね。自分用のお土産にしようかと思ったけれど、諦めるしかないわね)

 買おうと思えば、買える。しかしながら、そのお金は自分が稼いだお金ではないのだ。領民が汗水流して働いて納税してくれたお金だ。無駄遣いはよくない。

「ここにいたのか」

 この場にいるはずのない声にびくりと肩を震わす。おずおずと振り返ると、ジークフリートが一人で立っていた。レオンはどうしたのだろうか。
 とっさに返事ができずにいると、ジークフリートがイザベルが戻そうとしていた手櫛に気がつく。

「その櫛が気に入ったのか?」
「……い、いえ。ちょっと目に留まっただけですわ」
「ちょうどいい、僕がプレゼントしよう」
「え?」

 驚く間に手櫛を抜き取られ、ジークフリートはそのまま会計を済ませてしまう。そして、イザベルの両手には簡易包装された櫛が載せられた。

(え……これって、イベントのシーンよね?)

 本当なら、ヒロインが攻略相手からプレゼントされる場面だ。プレゼントされる品目は違うけれど。
 まさかの事態にイザベルはお礼することも忘れ、同じように民芸品を眺めていたフローリアを一瞥し、ジークフリートに詰め寄った。

「わ、わたくしだけもらうのは不公平です。フローリア様にも何かプレゼントなさってください!」
「別段、婚約者に物を贈ることは不公平ではないと思うが……。フローリアは何か欲しいものはあるか?」

 貝殻のイヤリングを耳に当てていたフローリアは商品を陳列棚に戻すと、ジークフリートとイザベルを交互に見やった。
 何かを察したらしい彼女はイザベルに目配せし、首を横に振った。

「いいえ、特にはありません。私はこの別荘に招待していただけて、大変満足しております。お気遣い感謝いたします」
「彼女はこう言っているが?」
「…………ありがたく頂戴します」

 頭を下げながら、イザベルはお礼を述べた。視線を上げられないまま、ジークフリートと一緒に店の外に出る。正直なところ、まだ頭は混乱している。

(どうしてこうなったの……!? これって、フローリア様がもらうべき贈り物じゃない。悪役令嬢が受け取ってどうするのよ……っ)

 声にならない叫びを発しながら、イザベルは空を仰ぐ。夏らしい空には、入道雲がもくもくと膨らんでいた。

      *

 その日の夜。
 レオンが宿泊することになったからか、昨日より豪勢なメニューの晩餐を終え、各自が部屋に戻った。イザベルも入浴を済まし、あとはベッドに潜るだけだ。
 しかしながら、こんなときでしか話せない相手もいるわけで。

「イザベル様、今よろしいでしょうか」
「ええ、入ってきてちょうだい」

 ネグリジェに薄いガウンをまとった姿で、リシャールを出迎える。彼は安眠用のホットミルクを持ってきていた。
 記憶が戻った当初はそれほど気にしていなかったが、やはり背が低いのは不便だ。
 前世なら届いたであろう本棚にも手が届かず、脚立を使わなければ読みたい本が手に取れない。流行のドレスは背丈が足りず、着こなすことができない。そして、一番の問題は子供扱いされることである。
 少々きつい角度で顔を上げなければ、目線を合わすことすら難しい。

(寝る前にも、カルシウムをしっかり摂ってやるんだから)

 野望を胸にカップを受け取る。熱いミルクにはシナモンが粉砂糖のようにまぶされていて、一口飲むと味わいに深みが増すようだった。
 温かいミルクで心身ともにぽかぽかになったところで、イザベルはリシャールへ身近な椅子に座るように目線で促す。
 商店街や車内ではとても尋問できる雰囲気ではなかったが、今は別だ。逆に今を置いて、誰にも邪魔されずに問いただす機会はないに等しい。暇さえあれば、フローリアやレオンが部屋に遊びに来るからだ。

「早速だけど……あなた、ジークフリート様に喧嘩でも売ったの?」
「めっそうもない。ただの執事見習いが公爵令息を愚弄するような真似、自分の首が飛ぶだけです」
「そうね、普通ならそうでしょう。でも、相手はジークよ? 昔からよく知っている従者の言葉が多少失礼でも、彼はきっと許してくれるわ。そのことは、リシャールもわかっているでしょう?」

 追及の手をゆるめず、すかさず言葉を重ねる。
 リシャールは困ったように眉を下げた。一度、視線を絨毯に落としてからイザベルを見つめる。

「お嬢様は……私が何かをした、とお疑いなのですね」

 声のトーンを下げ、悲しげにうつむく。しかし、そんな小芝居で動じるイザベルではない。侮られては困る。いったい、何年そばにいると思っているのか。
 肩に流れた髪を横に払いのけ、悪役令嬢らしく、ふんぞりかえる。

「あのジークが、あからさまにリシャールを遠ざけようとするぐらいですもの。主人に宣戦布告した前科がある執事を疑うのは当然ではなくて?」
「なるほど、一理あります」

 納得したように頷くリシャールは、ただ、と前置きしてから語を継ぐ。

「お嬢様が危惧するような真似はしていませんよ。フローリア様と仲睦まじい様子を見せつけられて、お嬢様の機嫌はすこぶる悪いようです、とお伝えしただけです」
「…………」
「ちなみにジークフリート様は、フローリア様のことはただの友人だと答えていらっしゃいました。ですが、それで信じろというのも無理があるでしょう?」

 主人の本音を代弁するように言われ、反撃の言葉に詰まる。

(リシャールがそう思うのも無理はないわよね。だって、一緒にその現場を目撃したのだから)

 しかし、もう少し言い方があったのではないだろうか。温厚なジークフリートがあそこまで不機嫌をあらわにする原因を考え、一つの答えがひらめく。

「ねえ……さっきの発言だけで、彼があなたを警戒するかしら。他には何を言ったの?」

 その予想は当たっていたようで、リシャールは目を見張る。だがそれも一瞬で、すぐに淡々と答えた。

「イザベル様との婚約破棄をお願いしましたが、却下されました。ですから、僭越ながら釘を刺しておきました」
「それは、執事の領分を越えているのではなくって?」
「…………」

 否定も肯定もせず、リシャールは唇を引き結ぶ。イザベルはわざとらしくため息をつき、首を傾けながら言う。

「婚約は当人の意思でどうにもならないのだから、その反応は当然でしょう。ちなみに何と言ったの?」
「お答えできません」
「それは、主人の命令でも言えないこと?」
「……ご容赦ください」

 しおらしく頭を垂れて言われると、イザベルといえど強く出られない。

(きっと、リシャールはわたくしが軽んじられていると思って、怒ってくれたのでしょうね。だけど、それで二人がいがみ合う関係になるなんて……本当にどうしようかしら)

 彼はどんな方法をとっても、この婚約を白紙に戻したいと願っている。
 無論、その結末はイザベルも望むところだが、悪役令嬢として破滅する手段では困るのだ。平和かつ穏便に、関係を解消したい。
 ぬるくなったホットミルクを飲み干し、コトン、とテーブルに置く。リシャールは流れるような動作でカップを片付け、そのまま退室していく。

(何を言ったのかは気になるけれど……あれは簡単には教えてくれそうにないわね)

 退室する際の執事の横顔は、どこか憂いを帯びていた。
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