悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 フードを着直したイザベルは、長いため息をつく。

(なに、ここ。行きたい場所は確かに見えているのに、全然たどり着かないってどういうことなの……)

 見晴台へのルートは一本道ではなかった。
 一番厄介なのは階段だった。下り階段の先には、左右に上り階段が待っていた。仕方なく右の階段をのぼるが、一向に目的地にたどり着かない。
 段数も多いうえに、都内の線路のように複雑に交差されており、非常に入り組んだ迷宮と化していた。
 途中にすれ違った観光客に聞いた話では、城壁や王宮の拡張に合わせて新しい道を作った弊害によるものらしい。
 乙女ゲームでは常に瞬間移動、転生後の移動は車が通れる広い道だったため、こんなトラップがあることなど、つゆほども知らなかった。
 目的地が見えていても、初見のイザベルにやすやす突破できるはずもない。
 何度か通り過ぎた場所を戻ったり、さっきとは逆方向へ進んだりして、頭がくらくらするほどの試練を乗り越え、見晴台の手前に着いたときはやつれきっていた。
 へとへとになったイザベルをねぎらうように、一陣の風が吹く。

(そっか……ここは風の通り道なのね)

 横からの風に吹き飛ばされないように藍色のフードを押さえながら、らせん状の橋の上を歩く。くるくると巻いたコロネのような道をのぼっていくと、見晴台に着く。
 柵の向こう側には、城下町が広がる。
 奥には休憩用のスペースとして、屋根付きのテーブルと椅子が置いてある。そこに先客がいることに気づき、反射的に体がこわばる。
 けれど、見覚えのある眼鏡と波打った黒髮だとわかると、ホッとして彼の元へ早足で向かう。

「会えてよかったわ、クラウド」
「……その声はイザベル? そのフードはどうしたの?」

 指摘されてフードを外すと、髪がふわりと背中に流れる。
 前髪を手櫛でちょいちょいと直してから、即席の笑顔でごまかす。

「ええと、これにはちょっと事情が……。でも、すぐに合流できてよかった。これから乗り込むのよね。わたくしも連れて行ってほしいの」
「連れて行って……って、まさか一人で来たんじゃないよね?」
「そのまさかよ」

 得意げに言うと、クラウドは片手で顔を覆ってしまった。

「もしバレたら俺まで殺されかねないよ……」
「……ま、まぁ。それはひとまず置いといて。取り引き場所はどこなの?」

 じとりと目を据わらせていたクラウドだったが、ここで口論しても得るものはないと悟ったのか、渋々といったように口を開く。

「取り引き場所は郊外の廃屋だよ。明日の夜明け前に、納屋にお金を置いてくるように指示されている」
「代理人になったって聞いたけど……そのお金は持ってこなかったの?」

 クラウドは軽装だった。ショルダーバッグは持っているが、大金を入れるようなトランクや鞄は持っていない。

「お金は俺の実家に用意してもらっているよ。フローリアのお父さんは、まだうなされて寝込んでいるし。今は犯人たちの隠れ家を探していたんだ」
「そういえば、犯人の正体もわかっていないんだったわね」
「いや、それは目星がついている」

 驚いてクラウドを凝視するが、彼は城下町を見下ろしながら淡々と述べた。

「調べたら、半年前にルルネ商会で問題を起こして解雇されたやつがいた。二十代と三十代の男だ。体格の特徴も一致するし、ほぼ確定だろう。彼らの寝床はときどき変わるみたいで、足取りがつかめなかったけど、場所はいくつか絞り込めたから」

 ふと、クラウドが横を向き、イザベルに向き直る。
 真正面から視線がぶつかる。静かな眼差しに射すくめられ、イザベルは次の言葉を待つことしかできなかった。やがて、クラウドがふっと息を吐いた。

「犯人たちが隠れ家として使っているのは、ルルネ商会の店舗だと思う。川沿いにある古い店で、今はちょうど改装中で誰もいない」
「つまり、強行突破というわけね?」
「うん、まぁ。いつまでもフローリアを待たせられないし、お金だけ奪われる事態も避けたいし……」

 そこで言葉を切り、奇妙な間が空く。
 なんだろうと続きを待っていると、クラウドが神妙な面持ちで、眼鏡のブリッジを押し上げる。

「だからね。本当に危ないから、今回はイザベルは連れて行けないんだ」
「……どうしても?」
「僕にとって、イザベルも大事なんだ。どうかわかってほしい。それに……僕のせいで、もし君が傷ついてしまったら……僕は君を愛する人たちから殺される」

 やけに重く響く声に、イザベルは口をつぐむ。
 妹への愛が重いルドガーをはじめ、何だかんだ言って主人に甘いリシャール、形だけの婚約者にも最大限に配慮してくれるジークフリート。学園の友人の顔も思い浮かび、彼らが敵意を向けたときを想像して言葉をなくした。
 イザベルの周囲にいる者たちを本気で怒らせたら、そこに待っているのは生か死か。究極の選択に迫られることは想像にかたくない。

「それは……一番だめなパターンね」
「でしょ? だからこそ、安全な場所で待っていてほしい」
「じゃあ、こうしましょう。危なくなったら、わたくしは逃げて応援を呼ぶ。クラウドはフローリア様を奪還して逃げる」

 クラウドは唇を引き結び、何かを考え込むように黙り込む。おそらく、どう言えばイザベルがすごすごと引き下がるかを考えているのだろう。
 その気持ちは純粋にうれしいが、ここまで来たのに自分だけ安全な場所にいるなんて真似、もはやできない。
 何が何でも、クラウドを納得させなければ。

「とにもかくにも、一人で乗り込むほうがリスクが高いわ。それに、女のわたくしだと犯人が気を緩めるかもしれない。クラウドはその隙を狙って、忍び込めばいいと思うのだけど」
「……イザベルが囮役ってこと?」
「端的に言えば、そうなるわね」
「いや。その方法だと、かえってイザベルのほうが危険にさらされる。人質にされるかもしれないし、逆上した犯人が何をするかわからない」

 もっともな懸念事項を指摘されるが、イザベルも簡単には引けない。

「でもね……ただ待っているだけなのも、心が張り裂けそうなほど、つらいの。お願い、わたくしにもフローリア様の救出を手伝わせて」

 本来であれば、イザベルがイベントに介入するのはおかしい。頭ではわかっているが、ゲームのシナリオが狂い出した今、クラウドだけに任せるのは不安だった。
 もし彼まで捕まってしまったら、フローリアを救出できなかったら。よくない未来を考えてしまい、とても一人で待っていられない。
 イザベルにとって、この世界はやり直しができない、リアルな世界なのだ。

(……誰も傷つけることなく、フローリア様を助けたい)

 両手をぎゅっと重ね合わせ、うつむく。ローヒールの靴は煤けている。ローブの下に着ているドレスの裾もところどころに黒いシミがつき、伯爵令嬢の面影はない。
 急に羞恥心が芽生え、ローブを深く被り直す。目深まで被ったせいで、視界が急に暗くなる。そのことに不安を覚えていると、クラウドが諦めたように言う。

「わかった。もしも何かあったら、死ぬときは一緒だからね」

 なんていう殺し文句だろう。
 つまりは、一蓮托生ということだ。本望だ。思わずそう答えそうになったところで、藍色の瞳が思いつめた色をしているのに気づき、慌てて言葉を換える。

「……そ、そうならないように頑張るわ!」
「うん。全員無事に戻ることが最優先だ。フローリアもイザベルも守ってみせる」
「なら、わたくしはクラウドを守ればいいのね」
「……イザベルらしい返事だね。じゃあ、作戦を練ろうか」

 いくつかの案を提示され、二人で問題点を協議する。臨時作戦会議はいくつかの意見を交わして、変更案が受理される。
 ――決戦の準備は整った。
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