悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
 改装中の看板は取り外され、建物の外壁には工事中であることを示すための養生シートがかけられていた。
 片手でぎりぎり持てるほどの木製のカゴを抱え、イザベルは静かにノックする。
 しばらくして、ガチャリと鍵を回す音がしてドアが開く。
 ひょろりとした細面の男は警戒心をあらわに、突然の訪問者であるイザベルを値踏みするように見やる。
 イザベルは笑みを浮かべ、カゴを少し持ち上げる。

「こんにちは。ご要望の品を持ってきました」
「ああ? 品だと?」
「お疲れだと聞いて、栄養になりそうなフルーツ各種の差し入れです」
「え? 差し入れ? それはどうも……」

 反抗的なヤンキー風の口調から一転、低姿勢で受け取りながら犯人が首をひねる。

「って一体、誰からだ……?」
「差し入れのご指示については、カゴに入れたカードをご覧ください」
「カード? ああ、これか……」

 男がカードを抜き取り、そこに書かれた文面を目で追う。だが、時すでに遅し。
 一瞬の隙を見逃さず、クラウドが犯人の背中に回り込んで、男の口元にハンカチを押し当てる。急に口を覆われて混乱した男が、抗議しようと口を大きく開ける。

「何、を……っ……っ!」

 しかしながら、男のうめき声は吐息だけがもれ、振り上げようとしていた腕もだらんと下がる。歯を食いしばって耐えているようだが、必死の抵抗も虚しく、瞼が閉じていく。
 やがて男は仰向けに倒れ、どーんと派手な音の後は静かになる。不思議に思って近づくと、すぴーすぴーと平和な寝息が聞こえた。

「えっと……何をしたの?」
「うん? ちょっと眠ってもらっただけだよ。俺は武力行使には向いていないし、痛いことはできれば避けたいし」
「なるほど……?」

 それで、強力な眠り薬というわけか。
 イザベルは無言のまま、仰向けに倒れた犯人を見下ろす。体が時折ぴくぴくしているから、しびれ薬も盛っているのかもしれない。

(入手経路とか実践記録の有無とか、ちょっと気になるけれど。……うん、これはきっと聞かないほうがいい質問ね)

 世の中には知らなくていいことがあふれている。相応の覚悟もなしに、他人の秘密を無闇に暴く真似は避けるべきだ。見なかったふり、気づかなかったふりをするのもマナーである。

「もう一人の犯人が外に出ている間に、フローリアを助け出そう」
「ええ、そうね」

 実は数時間前から、この店舗を二人で張っていたのだ。ラミカから犯人は二人組の男だと教えられていたので、犯人が別行動をしたときが作戦開始の合図だった。

「俺は二階を探すから、イザベルは一階をお願い」
「了解よ」

 クラウドが階段を上っていくのを見送り、イザベルは一階を見て回る。上の階からは部屋の粗探しをしている物音がするが、こちらも入念に調べなければならない。
 一階は改装中のためか、ほとんどの家具が運び出されており、人を隠しておけるようなスペースはない。カーペットの下や厨房も探したが、地下の入り口も見つからなかった。
 しばらくして二階からクラウドが降りてきたが、その顔は浮かない。

「おかしいわね。一体どこに……」
「……待って。ここは確か、隠し部屋があったような……」
「隠し部屋? クラウドはここに来たことがあるの?」
「いや、来たのは初めてだよ。でも、ここは元々ルルネ商会の建物だし、昔、屋根裏部屋があるって聞いた気がする……」

 記憶が曖昧なのか、いつになく自信なさげだが、彼の記憶力はずば抜けていい。
 似たようなタイトルの話でも、主人公の生い立ちやライバルキャラのエピソードをいつも生き生きと語っているぐらいなのだから。
 彼の記憶力を信じるなら、ひとまず探す価値はあるだろう。

「屋根裏部屋ってことは当然、二階に入り口があるのよね」
「そのはずだけど……」
「探しましょう」

 クラウドと手分けをして、二階をもう一度くまなく見て回る。屋根裏部屋に通じる道が隠されていないか、念入りにチェックするが、結果は空振りだった。
 とぼとぼと廊下を歩いていると、クラウドが階段すぐそばの部屋にいるのに気づく。
 なかなか出てこないことに訝しんで中に入ると、彼はイザベルが先ほど素通りしたクローゼットの前に立ち、首を傾げていた。

「難しい顔をして、どうしたの?」
「んー……いや、建物の位置的にこのあたりが怪しいと睨んでいるんだけど。このクローゼットも普通なんだよね」

 困ったな、という独白が聞こえてくる。イザベルも開きっぱなしのクローゼットの中をのぞきこみ、従業員用の制服が何着かかけられている後ろを手探りで確かめる。そのとき、手に触れた部分が何か違う材質に当たった気がした。
 クローゼットの中に洋服を左右にかき分けると、終わりだと思っていた扉がまた続いていた。

「ねえ見て。ここ、二重扉になっているみたい」
「……ここが隠し扉だったのか。よし、開けてみよう」

 二重扉の向こうには、急勾配の階段が続いていた。小さい頃なら秘密基地のようにワクワクしていただろうが、今は囚われのお姫様の救出がかかっている。
 ふと、何かに気づいたクラウドが部屋の机にあったランプを取って戻ってくる。明かりを灯し、ランプを近づけて階段とその先を検分する。

「階段の埃の上に靴の足跡があるよ。最近出入りがあったみたいだね」
「じゃあ、ここにフローリア様が?」
「可能性は高いと思う」

 クラウドを先頭に階段を一段ずつのぼっていく。手すりがなかったため、壁伝いに慎重にのぼると、鍵付きの部屋にぶち当たった。ずいぶんと用意周到である。

「…………」

 無言のまま頷き合って、イザベルが前に進み出る。
 鍵穴があるから、犯人のどちらかが鍵を持っているのだろう。鍵は後で回収するとして、まずはフローリアの所在を確かめる必要がある。
 意を決して、控えにノックをする。

「フローリア様、そこにいるの?」

 戸口に向かって問いかけると、数十秒のタイムラグを経て、中から返事がする。

「もしかして……イザベル様ですか?」

 声は思ったより普通だ。怯えているようでもない。
 イザベルは横にいるクラウドに目配せした。そして部屋の中にいる彼女に安心させるべく、優しく語りかける。

「そうよ。クラウドもいるわ」
「……少しお待ちくださいね」

 ガタゴトと物音がした後、ギギィと軋んだ音をしながら戸が開く。
 天窓から差し込む明かりで逆光になり、とっさに目をつむる。顔を確認しようと目を細めると、おぼろだった人影が形づいていく。

「こんなところまで迎えに来てくださったのですか?」

 朝の挨拶をするぐらいの気軽さで反応され、イザベルは返答に困った。彼女の衣服にも乱れはない。もちろん、多少の汚れはあるが、手荒に扱われた様子はないようだ。
 はっきり言って、拍子抜けだ。

「……思ったより元気そうね」
「あれ、鍵はかかってなかったのかな」

 クラウドの疑問にそういえば、と視線をめぐらす。
 戸には古い鍵穴がある。部屋の隅には、ほどけた縄が無造作に置かれていた。

(これは……もしかして……もしかしなくとも)

 ある予感がして、イザベルがゆっくりと振り返ると、フローリアが得心したように頷き返す。彼女がポケットから出したのはヘアピンだった。

「鍵はこれで開けておきました。紐も初歩的な結い方だったので、すぐに解けました」
「え?……え?」

 状況についていけないクラウドが、面食らった顔でフローリアを凝視する。
 その気持ちはわかる、と心の中で同意してからフォローを入れた。

「クラウド。フローリア様は、学園の事件があってから、いざという時のために脱出テクニックを身につけたそうよ」
「へ、へえ。……そう、なんだ?」

 微妙に顔が引きつっている。正しいリアクションに、イザベルは同情した。
 しかし、今はこんなところで談笑している場合ではない。

「次は脱出ね。こんなところに長居は無用だわ。さっさと逃げましょう」
「はい!」

 イザベルが先導し、フローリアが続く。最後尾はクラウドだ。
 クローゼットの外に出ると、戸口から悲鳴に似た野太い声が聞こえた。改装中の店舗に来る者はルルネ商会の関係者か、あるいは、犯人の片割れか。
 続く荒々しい足音に、悪いほうの予想が当たったのを悟った。
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