悪役令嬢は執事見習いに宣戦布告される
(もう帰ってきてしまったの? ど、どうしよう……!)
フローリングに降り立ったフローリアの顔にも緊張が走る。
動揺を隠しきれずに視線を泳がすと、クラウドが人差し指を唇に当てているのに気づく。うっかり声がもれないよう、慌てて両手で口元を押さえる。
「二人はこのまま二階にいて。俺がなんとかするから」
小声で言うと、クラウドはそろりそろりと階段へ向かう。一階にいる犯人の靴音が響き、そのたびに身を縮ませる。恐怖が体を這い上がり、ちょっとしたパニックになっていた。
「イザベル様。落ち着いてください。クラウドは頼りになりますから、きっと大丈夫ですよ」
にこりと笑顔とともに両手を握られ、イザベルは曖昧に頷く。
「でも……助けに来たほうが慰められるなんて、わたくしもまだまだね……」
「鍵は自分で開けられても、やはり一人は心細くて。イザベル様とクラウドが助けに来てくれて、本当にうれしいです」
フローリアの手は冷たい。おそらく彼女も緊張しているのだろう。
そんな状況にもかかわらず、狼狽するイザベルを励まそうと懸命に言葉を尽くしてくれている。すごいのは彼女のほうだ。
「フローリア様の勇気はすごいと思うわ。ラミカさんを守るために自ら人質になったぐらいですもの。怖くはなかったの?」
「そうですね……怖いというより、ラミカさんを助けたい気持ちのほうが大きくて。それに捕まっても、きっと誰かが助けに来てくれると信じていましたから」
「……どんな状況でも信じられることは、なかなかできないと思うわ」
素直に褒めると、フローリアはくすぐったいように苦笑した。だが、不意にその顔から笑みが消える。
彼女の視線の先を追うと、白いもやが確認できた。急いで廊下まで出ると、階段の下から、もくもくと膨らんだ煙が迫ってきている。
(えっ……火事!?)
おろおろと慌てる間に、何やら物が倒されたような音と、たたらを踏んだような足音が聞こえる。耳を澄ましていると、やがて一階からの物音が聞こえなくなる。
不安がピークになった頃、階段からクラウドが現れた。口元にはハンカチが押し当てられている。
「犯人はどうしたの……?」
クラウドが階段近くの窓を開けたことで、するりと風が家の中に入り込む。
一階に充満していた煙は外の空気と入れ換えられ、クラウドの足元を漂っていた白いもやも雲散霧消する。
「二人とも、もう大丈夫だよ。犯人はしばらく起きないだろうから」
「……ええと、クラウド。状況を説明してもらえる?」
「うん。まずは視界を奪うために煙玉を投げてから、犯人が右往左往としているところに麻酔薬を打ち込んだわけ。この隙に憲兵に連絡して、彼らを牢屋に連行してもらおう」
涼しげに言い置いて、すたすたと外に出て行ってしまった。
その場に取り残されたイザベルは、同じく呆然としてフローリアと向かい合わせになる。自然と声が小さくなるのは、断じて怖いからではない。
「気のせいかもしれないけど、クラウドが別人みたいに見えたわ……」
「そ、そうですね。言うのは簡単ですが、あれは凄腕の狩人のような、正確性と俊敏性がないとできない技ですよね……」
二人でこくこくと頷き合い、その場に座り込む。緊張の連続から解放されて、膝にも休息が必要だった。
重ねて言うが、暗殺者としての素養を見せつけられたことによる怯えではない。
*
あれからクラウドが憲兵を三人連れてきたが、全員新米らしく、誘拐犯の捕縛はこわごわとした手つきだった。
縄で絞められた後、意識を取り戻した犯人たちは、背中をせっつかれながら引っ立てられていく。その道中で、筋肉質の男がイザベルの前で立ち止まる。
「お前、貴族か?」
「うちはエルライン伯爵家よ。それが何か?」
緊張による汗をかいたため、ローブは脱いでいた。今着ているのは普段着のドレスだが、庶民にはその違いはわからないだろう。
首筋にはりついた髪をうっとうしげに払うと、男が顔をしかめた。
「はっ……所詮、お貴族様は執事やメイドがいないと何にもできない腰抜けだろーが。そんなやつらなんて、みんなくたばっちまえばいいんだ!」
クラウドが厳しい目を向けるが、罵倒する声は止まらない。
「お前らが路頭に迷ったら、金で雇われているやつなんて、すぐに手のひらを返すに決まってる。金がなくなれば誰も相手にしてくれねーぜ!」
「そうだそうだ! 貴族は下っ端のことなんて、どうせゴミくず程度にしか思ってないんだ。だから平気で使い捨てるんだ!」
イザベルの中で、ぶちん、と何かが切れた音がした。
「ねえ……この人たち、もう少し反省が必要だと思うの。わたくしがきつくお灸を据えておくから、クラウドたちは先に戻っていて。フローリア様はまずはお医者様に診てもらったほうがいいでしょうし」
一日とはいえ、薄暗い小さな部屋に押し込められ、さぞ心細かっただろう。
見た目には健康そうだが、心の中まではわからない。そして、心のケアはもっと穏やかに過ごせる場所がいい。
だがフローリアは眉を寄せ、首を横に振る。
「そんな……イザベル様は一緒に戻られないのですか?」
「ごめんなさい。たった今、とても大事な用事ができたの」
言いながら犯人を一瞥すると、殺気を感じたのか、彼らの肩がびくりと震えた。
ただならぬ雰囲気を察したクラウドは、イザベルを刺激しないように慎重に問う。
「ちなみに……何をする気なの?」
「わたくしのお友達を誘拐しただけでは飽き足らず、我が家の執事やメイドまで愚弄したのだもの。相応のお返しをしてあげないとね……うふふふ」
「……このまま牢屋に連れて行けば、万事解決だと思うんだけど……」
「いいえ、それだけでは生温いわ。誘拐事件を引き起こしたぐらいだもの。しっかり後悔させなくちゃ」
新米憲兵を手招きし、買い出しを頼む。しかし、買い出しリストを聞いた少年は不思議そうに首をひねった。
「あの……これは一体、何に使われるものですか?」
「お仕置きに必要なの。どれかひとつでも欠けたら意味がないわ。お買い物、よろしくね?」
「は、はぃぃ! 喜んで!」
さて、彼が戻ってくる間まで、前世の怪談話のひとつやふたつ、たっぷりと聞かせてあげましょうか。
イザベルが振り向くと、犯人たちは退路を断たれた獲物のように身を寄せ合った。
フローリングに降り立ったフローリアの顔にも緊張が走る。
動揺を隠しきれずに視線を泳がすと、クラウドが人差し指を唇に当てているのに気づく。うっかり声がもれないよう、慌てて両手で口元を押さえる。
「二人はこのまま二階にいて。俺がなんとかするから」
小声で言うと、クラウドはそろりそろりと階段へ向かう。一階にいる犯人の靴音が響き、そのたびに身を縮ませる。恐怖が体を這い上がり、ちょっとしたパニックになっていた。
「イザベル様。落ち着いてください。クラウドは頼りになりますから、きっと大丈夫ですよ」
にこりと笑顔とともに両手を握られ、イザベルは曖昧に頷く。
「でも……助けに来たほうが慰められるなんて、わたくしもまだまだね……」
「鍵は自分で開けられても、やはり一人は心細くて。イザベル様とクラウドが助けに来てくれて、本当にうれしいです」
フローリアの手は冷たい。おそらく彼女も緊張しているのだろう。
そんな状況にもかかわらず、狼狽するイザベルを励まそうと懸命に言葉を尽くしてくれている。すごいのは彼女のほうだ。
「フローリア様の勇気はすごいと思うわ。ラミカさんを守るために自ら人質になったぐらいですもの。怖くはなかったの?」
「そうですね……怖いというより、ラミカさんを助けたい気持ちのほうが大きくて。それに捕まっても、きっと誰かが助けに来てくれると信じていましたから」
「……どんな状況でも信じられることは、なかなかできないと思うわ」
素直に褒めると、フローリアはくすぐったいように苦笑した。だが、不意にその顔から笑みが消える。
彼女の視線の先を追うと、白いもやが確認できた。急いで廊下まで出ると、階段の下から、もくもくと膨らんだ煙が迫ってきている。
(えっ……火事!?)
おろおろと慌てる間に、何やら物が倒されたような音と、たたらを踏んだような足音が聞こえる。耳を澄ましていると、やがて一階からの物音が聞こえなくなる。
不安がピークになった頃、階段からクラウドが現れた。口元にはハンカチが押し当てられている。
「犯人はどうしたの……?」
クラウドが階段近くの窓を開けたことで、するりと風が家の中に入り込む。
一階に充満していた煙は外の空気と入れ換えられ、クラウドの足元を漂っていた白いもやも雲散霧消する。
「二人とも、もう大丈夫だよ。犯人はしばらく起きないだろうから」
「……ええと、クラウド。状況を説明してもらえる?」
「うん。まずは視界を奪うために煙玉を投げてから、犯人が右往左往としているところに麻酔薬を打ち込んだわけ。この隙に憲兵に連絡して、彼らを牢屋に連行してもらおう」
涼しげに言い置いて、すたすたと外に出て行ってしまった。
その場に取り残されたイザベルは、同じく呆然としてフローリアと向かい合わせになる。自然と声が小さくなるのは、断じて怖いからではない。
「気のせいかもしれないけど、クラウドが別人みたいに見えたわ……」
「そ、そうですね。言うのは簡単ですが、あれは凄腕の狩人のような、正確性と俊敏性がないとできない技ですよね……」
二人でこくこくと頷き合い、その場に座り込む。緊張の連続から解放されて、膝にも休息が必要だった。
重ねて言うが、暗殺者としての素養を見せつけられたことによる怯えではない。
*
あれからクラウドが憲兵を三人連れてきたが、全員新米らしく、誘拐犯の捕縛はこわごわとした手つきだった。
縄で絞められた後、意識を取り戻した犯人たちは、背中をせっつかれながら引っ立てられていく。その道中で、筋肉質の男がイザベルの前で立ち止まる。
「お前、貴族か?」
「うちはエルライン伯爵家よ。それが何か?」
緊張による汗をかいたため、ローブは脱いでいた。今着ているのは普段着のドレスだが、庶民にはその違いはわからないだろう。
首筋にはりついた髪をうっとうしげに払うと、男が顔をしかめた。
「はっ……所詮、お貴族様は執事やメイドがいないと何にもできない腰抜けだろーが。そんなやつらなんて、みんなくたばっちまえばいいんだ!」
クラウドが厳しい目を向けるが、罵倒する声は止まらない。
「お前らが路頭に迷ったら、金で雇われているやつなんて、すぐに手のひらを返すに決まってる。金がなくなれば誰も相手にしてくれねーぜ!」
「そうだそうだ! 貴族は下っ端のことなんて、どうせゴミくず程度にしか思ってないんだ。だから平気で使い捨てるんだ!」
イザベルの中で、ぶちん、と何かが切れた音がした。
「ねえ……この人たち、もう少し反省が必要だと思うの。わたくしがきつくお灸を据えておくから、クラウドたちは先に戻っていて。フローリア様はまずはお医者様に診てもらったほうがいいでしょうし」
一日とはいえ、薄暗い小さな部屋に押し込められ、さぞ心細かっただろう。
見た目には健康そうだが、心の中まではわからない。そして、心のケアはもっと穏やかに過ごせる場所がいい。
だがフローリアは眉を寄せ、首を横に振る。
「そんな……イザベル様は一緒に戻られないのですか?」
「ごめんなさい。たった今、とても大事な用事ができたの」
言いながら犯人を一瞥すると、殺気を感じたのか、彼らの肩がびくりと震えた。
ただならぬ雰囲気を察したクラウドは、イザベルを刺激しないように慎重に問う。
「ちなみに……何をする気なの?」
「わたくしのお友達を誘拐しただけでは飽き足らず、我が家の執事やメイドまで愚弄したのだもの。相応のお返しをしてあげないとね……うふふふ」
「……このまま牢屋に連れて行けば、万事解決だと思うんだけど……」
「いいえ、それだけでは生温いわ。誘拐事件を引き起こしたぐらいだもの。しっかり後悔させなくちゃ」
新米憲兵を手招きし、買い出しを頼む。しかし、買い出しリストを聞いた少年は不思議そうに首をひねった。
「あの……これは一体、何に使われるものですか?」
「お仕置きに必要なの。どれかひとつでも欠けたら意味がないわ。お買い物、よろしくね?」
「は、はぃぃ! 喜んで!」
さて、彼が戻ってくる間まで、前世の怪談話のひとつやふたつ、たっぷりと聞かせてあげましょうか。
イザベルが振り向くと、犯人たちは退路を断たれた獲物のように身を寄せ合った。