惡ガキノ蕾
~スーパーマーケット~
「昨日の火事で、今月に入って三軒目なんだってよ」
起きて来た一樹の前におみおつけを置いて、鮭の焼け具合を確かめる。
「誰か怪我したの?」とあたし。
鮭とご飯をカウンターに並べて丸椅子に座る。お新香を切らしていたから、替わりに紅白の蒲鉾《かまぼこ》を二切れ添えてお茶を濁した。
「サンキュ。いただきます!」
おみおつけを一口啜って一樹が続ける。
「いや、今んとこ……味噌汁うまっ!…三軒共、家に誰も居ねえ時に火出してるし、早めに鎮火出来てっから、怪我人は今んとこ出てねえって話だったけどな」
「そうなんだ」
──…一樹の話に依ると《よると》、昨日を含めて火事になった三軒は、同じ町内と言う訳じゃないけど、あたし達の家から一番近い家までが約三百メートル、他の二軒も一キロと離れていない場所に在るらしかった。あたし達の家は、北綾瀬駅と言う東京メトロ千代田線の終点に当たる駅から歩いて10分位の処で、東京都と埼玉県の県境近くに在って、ギリで東京にぶら下がってるような感じの場所に在る。家を出て、ちょっと考え事でもして歩こうものなら、5分もしない内にそこはもう埼玉だべ、てな位置取り。火事に遭った三軒の家は、千代田線の線路とほぼ平行に流れる川に沿う形で、概ね《おおむね》直線上に在った。…あ、川って言うのは、夜にきむ爺と歩くあの川の事ね。
外階段を降りてくる控え目な音が聞こえて、裏口に双葉が顔を見せる。一樹の隣に腰を下ろしたその顔を見て、冷ました緑茶を置いた。
「飲み過ぎた…」
知ってる。ご飯は?って聞く心算《つもり》で目を合わせると、首を振ってグラスに手を伸ばす双葉。
「お茶うまっ…」
声小っさ。
カウンターの中に入って来た一樹が、シンクの中に空いた器と「ごちそうさん」を浸して出て行く。
「いってらっしゃい」あたしと双葉の声が揃った。パパ譲りの作業着。背中に咲いた小さな櫻の刺繍が一輪、朝日にキラリと反射してみせる。
「もう一回寝てくる…」
一樹の食器と自分のグラスを洗った双葉が、1分前に降りて来た外階段を軽くない足取りで上がって行く。あたしは煙草をくわえてマッチを擦ると、スマホの留守電メッセージを再生した。
「ピー…。ああ…今日ちょっと遅くなっちまうからぁ…晩飯何か取って先に喰ってて…ああ…後、一樹と双葉の電話…電源が入ってねえとか電波が届かねえとか情けねえ事言ってから……はなみ頼んだよ…お願いな……ブツツ」
──了解。今日はいい天気になりそうだよパパ。
裏口から外に出て、真っ青な空を見上げる。微かな暖かさの真ん中に向かって大きく躰を伸ばして深呼吸したら、なんかちょっと元気出てきた。よし、今日もいってみよう。
そこから冬の貴重な晴れ間を逃がさないよう、午前中の内に大量の洗濯物をベランダに飾りつける。少し昼寝した後、散々苦労して行方不明だった手袋の片割れをポストの中から見付け出すと、買い物に出掛ける事にした。30キロカロリー程消費して見えてきた四階建ての建物は、一階はホームセンター、二階が目指す処のスーパーって造り。あ、30キロカロリーは自転車で5分位走った時のカロリー消費量なんだって。まぁなんてたって、この店がこの辺りの食材置いてるスーパーじゃ一番でっかいし、品揃えも豊富なのだ。そういう訳で、平日の真っ昼間だっていうのになかゝの混み具合なのも致し方ない。三階、四階、屋上と3フロアが駐車場になってるから、遠くから来てる人も結構居るみたいだしね。この辺りに元々在った商店街はすっかり廃れ《すたれ》ちゃって、きむ爺はよく、「活きのいい魚を置いてる店がねえ」なんて文句言ってるんだけど…。そう言えば、町の魚屋さんて少なくなったと思わない?これも世知辛い世の流れってやつですかねえ。消費税もまた上がるとか上がらないとかニュースで言ってたし、ガソリンの値段は一向に下がんないし…は―ぁ……、皆さんお元気ですか!?
──入口でカートにカゴを載せて、冷蔵庫の中をざっと思い浮かべる。
…野菜売り場から回って、あれ買ってこれ買って…なんてスケジュールを立てていると…おっと、ちょっと早目の蜜柑!高っ。あたしも双葉も蜜柑は大好き。…なんだけど、果物は高い内は旨くねえってじいちゃん言ってたしなあ。云うことを聞いてここは我慢、我慢。一息つく間も無く、今度は横の鮮魚コーナーで筋子に三割引きシール付き発見。からの即ゲット。しかもラスイチ。よし!今日きむ爺が帰る時に持たせてあげようっと。ん?‥なんだ?背中に悪寒を感じて周囲を見回すと、斜め後ろにあたしを…、正確に言うとあたしのカゴに入っている三割引き筋子を恨めしそうに見詰めるおばさんが居るのに気が付いた。さては……狙ってたのか、YO!!!
♪ガチで都会のルールは早い者勝ち♪
♪買い物慣れした主婦躊躇しガチで躰
ガチガチ♪
♪よう!が済んだら逃げるがカチYO!!!♪
…と、リリックを背中で語って、黙ってあたしは歩き去る。ヤバい、今のこの後ろ姿、写真撮ってインスタに載せたいわ。横に筋子三割引きを並べてね。(それじゃあ)とおばさんに流し目をくれて、コンビとトリオでパックされた秋刀魚《さんま》達を横目に鮮魚コーナーを抜ける。…あれっ、なんか忘れてる気がするけどなんでだろ…なんだっけ?…
「!」そうだ。双葉に食パン頼まれてたんだった。赤、白、青、オレンジ、ピンク、黒、緑、紫、イエロー、虹の色よりカラフルなドリンク売り場を過ぎて、お目当てのパンコーナーへ。双葉の好みは厚切りだから、買うのは何時も4枚切りなんだけど、4枚、4枚、4枚切りは‥‥。棚から棚へと探しながら歩いていたあたしの両の目は、食パンより先に通路の真ん中で立ち止まっている小さな背中で止まった。小学校の低学年位に見える小さな背中の持ち主は、一点を見詰めて固まっている。その女の子の思い詰めたよな真剣な表情に気を引かれて、目と一緒に足も止めたあたしは、何の気なしにその視線の先にピントを合わせた。……おっと~、パッと見女の子と背丈もそう変わらない男の子が、お菓子売り場でなにやらごそゝやってるのが見えた。ってか見えちゃった。あたしの視線の先でその男の子は手にしたブツを乱暴にポケットの中に押し込むと、一目散で此方《こちら》に向かって駆けて来る。んっ?と一瞬息を止めたあたしの脇で女の子の手を取ると、立ち止まる事無くそのまま走り抜けて行った。
二人の後ろ姿を見送って振り向いたら、今度はスーパーのエプロンを付けたおばさんが恐ろしい形相で近付いて来るのが見えた。ってか見えちゃった。どうやらあたし以外にも目撃者が居たらしい。余計なお世話だけど、今のおばさんの顔トプ画にしたら、確実に友達とかフォロワーの数は減りそうですけどね。怖っ。
振り返ってもう一度二人を目で追うと、手を引く男の子のスピードに女の子が付いていけてないのと、タイムセールコーナーの前に出来た人溜まりに阻まれて《はばまれて》、かなりモタついている様子。そこで再びおばさんに目を戻す。おばさんが睨み付けている先には当然、小さな二人組の大泥棒が居た。何か厭なもんでも見るみたいなおばさんの険しい眼差し。――決めた。
おばさんの進んで来る直線上、通路のほぼ真ん中。その場所にあたしは少し足を広げて立った。
「すいません」
おばさん、ごめんね。って気持ちも、胸の中の半分……いや、そのまた半分位は有る。「はい」と答えたおばさんの目線は、未だにあたしの後方に固定されたまま。
「あの~、食パンなんですけど…」
「はい。どうかしましたか?」
なんだか、ちょっとイラついているような感じが伝わって来るのは気のせいでしょうか。でもいいんですか?あたしはお客様ですよ。゙お客様は神様です″って有名なあれ、知ってますよね。
「5枚切りを探してるんですけど、見つからなくて…」
そう。4枚でも6枚でも駄目。5枚じゃなきゃ食べられないんだという確固たる決意を言外に込める。
「あー、そうですか、分かりました。少々お待ち下さい…」
ちょっと二人の方を目で追う素振りを見せたけど、諦めたのか、幻の5枚切りを探し始めるおばさん。‥ごめんなさい。人混みに消えて行く小さな背中を見送るあたしの頭の中には、小さい頃のあたし達兄妹の姿が浮かんでいた。場所の所為《せい》もあったのかな。そう言えばあの時もこのスーパーだったっけ…。
「昨日の火事で、今月に入って三軒目なんだってよ」
起きて来た一樹の前におみおつけを置いて、鮭の焼け具合を確かめる。
「誰か怪我したの?」とあたし。
鮭とご飯をカウンターに並べて丸椅子に座る。お新香を切らしていたから、替わりに紅白の蒲鉾《かまぼこ》を二切れ添えてお茶を濁した。
「サンキュ。いただきます!」
おみおつけを一口啜って一樹が続ける。
「いや、今んとこ……味噌汁うまっ!…三軒共、家に誰も居ねえ時に火出してるし、早めに鎮火出来てっから、怪我人は今んとこ出てねえって話だったけどな」
「そうなんだ」
──…一樹の話に依ると《よると》、昨日を含めて火事になった三軒は、同じ町内と言う訳じゃないけど、あたし達の家から一番近い家までが約三百メートル、他の二軒も一キロと離れていない場所に在るらしかった。あたし達の家は、北綾瀬駅と言う東京メトロ千代田線の終点に当たる駅から歩いて10分位の処で、東京都と埼玉県の県境近くに在って、ギリで東京にぶら下がってるような感じの場所に在る。家を出て、ちょっと考え事でもして歩こうものなら、5分もしない内にそこはもう埼玉だべ、てな位置取り。火事に遭った三軒の家は、千代田線の線路とほぼ平行に流れる川に沿う形で、概ね《おおむね》直線上に在った。…あ、川って言うのは、夜にきむ爺と歩くあの川の事ね。
外階段を降りてくる控え目な音が聞こえて、裏口に双葉が顔を見せる。一樹の隣に腰を下ろしたその顔を見て、冷ました緑茶を置いた。
「飲み過ぎた…」
知ってる。ご飯は?って聞く心算《つもり》で目を合わせると、首を振ってグラスに手を伸ばす双葉。
「お茶うまっ…」
声小っさ。
カウンターの中に入って来た一樹が、シンクの中に空いた器と「ごちそうさん」を浸して出て行く。
「いってらっしゃい」あたしと双葉の声が揃った。パパ譲りの作業着。背中に咲いた小さな櫻の刺繍が一輪、朝日にキラリと反射してみせる。
「もう一回寝てくる…」
一樹の食器と自分のグラスを洗った双葉が、1分前に降りて来た外階段を軽くない足取りで上がって行く。あたしは煙草をくわえてマッチを擦ると、スマホの留守電メッセージを再生した。
「ピー…。ああ…今日ちょっと遅くなっちまうからぁ…晩飯何か取って先に喰ってて…ああ…後、一樹と双葉の電話…電源が入ってねえとか電波が届かねえとか情けねえ事言ってから……はなみ頼んだよ…お願いな……ブツツ」
──了解。今日はいい天気になりそうだよパパ。
裏口から外に出て、真っ青な空を見上げる。微かな暖かさの真ん中に向かって大きく躰を伸ばして深呼吸したら、なんかちょっと元気出てきた。よし、今日もいってみよう。
そこから冬の貴重な晴れ間を逃がさないよう、午前中の内に大量の洗濯物をベランダに飾りつける。少し昼寝した後、散々苦労して行方不明だった手袋の片割れをポストの中から見付け出すと、買い物に出掛ける事にした。30キロカロリー程消費して見えてきた四階建ての建物は、一階はホームセンター、二階が目指す処のスーパーって造り。あ、30キロカロリーは自転車で5分位走った時のカロリー消費量なんだって。まぁなんてたって、この店がこの辺りの食材置いてるスーパーじゃ一番でっかいし、品揃えも豊富なのだ。そういう訳で、平日の真っ昼間だっていうのになかゝの混み具合なのも致し方ない。三階、四階、屋上と3フロアが駐車場になってるから、遠くから来てる人も結構居るみたいだしね。この辺りに元々在った商店街はすっかり廃れ《すたれ》ちゃって、きむ爺はよく、「活きのいい魚を置いてる店がねえ」なんて文句言ってるんだけど…。そう言えば、町の魚屋さんて少なくなったと思わない?これも世知辛い世の流れってやつですかねえ。消費税もまた上がるとか上がらないとかニュースで言ってたし、ガソリンの値段は一向に下がんないし…は―ぁ……、皆さんお元気ですか!?
──入口でカートにカゴを載せて、冷蔵庫の中をざっと思い浮かべる。
…野菜売り場から回って、あれ買ってこれ買って…なんてスケジュールを立てていると…おっと、ちょっと早目の蜜柑!高っ。あたしも双葉も蜜柑は大好き。…なんだけど、果物は高い内は旨くねえってじいちゃん言ってたしなあ。云うことを聞いてここは我慢、我慢。一息つく間も無く、今度は横の鮮魚コーナーで筋子に三割引きシール付き発見。からの即ゲット。しかもラスイチ。よし!今日きむ爺が帰る時に持たせてあげようっと。ん?‥なんだ?背中に悪寒を感じて周囲を見回すと、斜め後ろにあたしを…、正確に言うとあたしのカゴに入っている三割引き筋子を恨めしそうに見詰めるおばさんが居るのに気が付いた。さては……狙ってたのか、YO!!!
♪ガチで都会のルールは早い者勝ち♪
♪買い物慣れした主婦躊躇しガチで躰
ガチガチ♪
♪よう!が済んだら逃げるがカチYO!!!♪
…と、リリックを背中で語って、黙ってあたしは歩き去る。ヤバい、今のこの後ろ姿、写真撮ってインスタに載せたいわ。横に筋子三割引きを並べてね。(それじゃあ)とおばさんに流し目をくれて、コンビとトリオでパックされた秋刀魚《さんま》達を横目に鮮魚コーナーを抜ける。…あれっ、なんか忘れてる気がするけどなんでだろ…なんだっけ?…
「!」そうだ。双葉に食パン頼まれてたんだった。赤、白、青、オレンジ、ピンク、黒、緑、紫、イエロー、虹の色よりカラフルなドリンク売り場を過ぎて、お目当てのパンコーナーへ。双葉の好みは厚切りだから、買うのは何時も4枚切りなんだけど、4枚、4枚、4枚切りは‥‥。棚から棚へと探しながら歩いていたあたしの両の目は、食パンより先に通路の真ん中で立ち止まっている小さな背中で止まった。小学校の低学年位に見える小さな背中の持ち主は、一点を見詰めて固まっている。その女の子の思い詰めたよな真剣な表情に気を引かれて、目と一緒に足も止めたあたしは、何の気なしにその視線の先にピントを合わせた。……おっと~、パッと見女の子と背丈もそう変わらない男の子が、お菓子売り場でなにやらごそゝやってるのが見えた。ってか見えちゃった。あたしの視線の先でその男の子は手にしたブツを乱暴にポケットの中に押し込むと、一目散で此方《こちら》に向かって駆けて来る。んっ?と一瞬息を止めたあたしの脇で女の子の手を取ると、立ち止まる事無くそのまま走り抜けて行った。
二人の後ろ姿を見送って振り向いたら、今度はスーパーのエプロンを付けたおばさんが恐ろしい形相で近付いて来るのが見えた。ってか見えちゃった。どうやらあたし以外にも目撃者が居たらしい。余計なお世話だけど、今のおばさんの顔トプ画にしたら、確実に友達とかフォロワーの数は減りそうですけどね。怖っ。
振り返ってもう一度二人を目で追うと、手を引く男の子のスピードに女の子が付いていけてないのと、タイムセールコーナーの前に出来た人溜まりに阻まれて《はばまれて》、かなりモタついている様子。そこで再びおばさんに目を戻す。おばさんが睨み付けている先には当然、小さな二人組の大泥棒が居た。何か厭なもんでも見るみたいなおばさんの険しい眼差し。――決めた。
おばさんの進んで来る直線上、通路のほぼ真ん中。その場所にあたしは少し足を広げて立った。
「すいません」
おばさん、ごめんね。って気持ちも、胸の中の半分……いや、そのまた半分位は有る。「はい」と答えたおばさんの目線は、未だにあたしの後方に固定されたまま。
「あの~、食パンなんですけど…」
「はい。どうかしましたか?」
なんだか、ちょっとイラついているような感じが伝わって来るのは気のせいでしょうか。でもいいんですか?あたしはお客様ですよ。゙お客様は神様です″って有名なあれ、知ってますよね。
「5枚切りを探してるんですけど、見つからなくて…」
そう。4枚でも6枚でも駄目。5枚じゃなきゃ食べられないんだという確固たる決意を言外に込める。
「あー、そうですか、分かりました。少々お待ち下さい…」
ちょっと二人の方を目で追う素振りを見せたけど、諦めたのか、幻の5枚切りを探し始めるおばさん。‥ごめんなさい。人混みに消えて行く小さな背中を見送るあたしの頭の中には、小さい頃のあたし達兄妹の姿が浮かんでいた。場所の所為《せい》もあったのかな。そう言えばあの時もこのスーパーだったっけ…。