惡ガキノ蕾
   ~スルメと水筒とパパの土下座~
 その"あの時"は、あたしが小学校三年生の時だった。当然、双葉は四年生で一樹が五年。
 運動会まで後一週間位だつたかなあ、多分。あたし達の小学校って運動会でも一・二年生はお昼までだから、基本的にお弁当は無しなのね。まあそれでも、お兄ちゃんとかお姉ちゃんが居る子達は、お父さんお母さんと一緒にお弁当食べてそのまま残ってるし、兄妹が居ない子でも、一旦帰ってお昼ご飯食べてからなら、戻って来るのは勿論自由なんだけどさ。去年迄はパパ達とお昼ご飯を食べてたあたしも、その年はいよゝ三年生。クラスの誰と一緒にお弁当食べようかなあとかって、大分テンション上がってたんだよね、きっと。 あれは…運動会の四・五日前、確か晩ご飯の時だったと思うけど、何を思ったかあたしは突然立ち上がって宣言したんだ。遠足とか運動会の前のワクワクしてフワフワするちょっと不思議なあの感じ、みんなも覚えてるでしょ。「お弁当持って行く時、あたしキュアキュアの水筒がいい!!」思い返して見ても、家の中だっていうのに無駄にでかい声だったわ。キュアキュアってのは、その当時あたし達小学生の女の子に絶大な人気のあったアニメで、一年生から六年生まで女子の間では、嫌いなんて言ったら仲間外れにされる位の大人気だったんだ。その頃はパパが現場に持っていく馬鹿でかい水筒を除けば、我が家に水筒は他に二つしかなくて、一つはピンクのキュアキュア、もう一つはじいちゃんが買って来てくれたんだけど、PUMAのPを一樹が油性マジックで塗り潰しちゃったトリッキーな●UMAの水筒。しかもそれ、ピュ―マのマークの上に競馬の騎手みたいなのが落書きされてるシルバ―の男物。一樹は日曜日によくじいちゃんと出掛けてたから、多分その影響だとは思うんだけど、笑えないし、何よりその絵はセンスの欠片《かけら》さえも見付からないひどい出来映えだった。「じゃあ俺は親父の水筒持っていく!!」と、嬉しそうな一樹。自動的にシルバ―の水筒を持っていく事になった双葉は何も言わなかった。パパとじいちゃんもそんな双葉を何も言わず、ただ黙って見ていたっけ。あたしは双葉の気持ちを思い遣るにはまだゝ子供過ぎたし、頭の中は、キュアキュアの水筒持ってみんなに羨ましがられながら調子に乗ってる妄想で一杯だった。だから、パンチの効いたジョッキ―水筒抱えて運動会に行く姉の気持ちを考える余裕なんて、頭の何処《どこ》にも無かったんだよね、我ながら情けない話だけど。この頃、双葉はもう一人前のお姉ちゃんで、対してあたしは…今もだけど妹として半人前だったて事だと思う。
 ──んで、そんな事があった次の日。茶の間には、ストーブの火で鯣《するめ》を炙る《あぶる》じいちゃんと、ビール片手にじいちゃんの目を盗んでは鯣をくすねるのに夢中なパパの姿が在った。時は夕刻、暮れ六つ。テ―ブルに置いてあった携帯が震えて、ガラケ―開いたパパが「誰だ?こいつ」って。…「はい桜木。……はい。………はい。……はい。どうもすみません。……はい、分かりました。…10分位で…はい。あ、それで一樹は何を?……ああ、はい。どうもすみませんでした。じゃこれから……失礼します」謝ってるパパなんて見たこと無かったから、何事かと思ったけど、電話切った後のパパは楽しそうに笑ってた。「ちょっと出てくる」って言って、残ってたビ―ルを一気に飲むと、作業着の上着を引っ掛けてね。「何だって?」って訊いたじいちゃんに「水筒」ってパパ。途端にじいちゃんお茶吹き出しちゃって、暫く《しばらく》噎せて《むせて》たっけ。それからパパはバイクの鍵を取り掛けて、少し考えた後、鍵掛けから自転車の鍵を選んで外したんだ。「あたしも行く」何処へ、何しに行くのかだって分かんなかったけど、あたしは当然のように言ったんだと思う。よっぽどの事が無ければ、この頃のあたしはパパから離れなかったから。「寒いよ」って顔をしかめるにパパにも、マフラ―巻き付けながら「だいじょうぶ」って。双葉はじいちゃんの膝の上で、あの時も黙って鯣齧って《かじって》た。それから二人して自転車で向かったのは、あたしが今居るス―パ―の1階、ホ―ムセンターの方だった。
 入口から一番近くに居た店員さんに「桜木です」ってパパが頭下げて、それ見たあたしも頭下げて。その店員さんの後に付いてあたし達が向かったのが、お店の奥。バックヤ―ドって言うの?あの、お店の人しか入れないような処。擦れ違うおばさん達が「店長、お先に失礼しまーす」とか挨拶してるの聞いて、(ああ、この人偉い人なんだあ)って、子供ながらに思ったのは覚えてる。コウチョウ・テンチョウ、なんか似てるし。
 ……案内された部屋にはあたし達の幼馴染みで、一樹と同級生の太一《たいち》と力也《りきや》のお母さん達が先に来ていて、他の店員さんと何かボソボソと話をしていた。「すいません」とか「申し訳ありません」とかって、会話の合間ゝに聞こえてきて、それに合わせてお母さん達、ロボットみたいに何回もゝ頭下げてた。一樹と太一、力也の三人は長いテ―ブルの前に並んで座らされていて、太一と力也の前には機械の部品?みたいな物がそれぞれ一つずつ置いてあった。後から分かったんだけど、それって、その頃一樹の学年の男子の間で流行ってた自転車の部品なんだって。レ―ザ―光線みたいな光が出るライト。男の子ってそういうの好きじゃない?、何がいいんだか分かんないけど。…そんで、肝心の一樹の前に置かれていたのは……、キュアキュアの水筒だった。家にあるのと色違いの赤いやつ。それ見たパパは一樹の前に立つと、その頭に黙って左手で触れたんだ、ポンポンって撫でるようにね。それから一樹の顔を見て軽く頷くと、今度は店長さんの前まで歩いていって土下座したの。「すみませんでした!!!」って、耳が痛くなる位の馬鹿でかい声出して。いきなりだったのと、桁違いの声のでかさに店長さん、ほんと、ぽか―んって感じで暫く《しばらく》固まってた。ううん、店長だけじゃなくて何人か居た他の店員さんも。お母さん達と太一と力也、おまけにあたしも。だけどその時、一樹だけが「ガタンッ」って。椅子が倒れる程の勢いで立ち上がったんだ。…泣いてた。土下座してるパパの背中、唇噛んで睨み付けながら。そんな…そんな一樹見て、なんだか分かんないけど気付いたらあたしも泣いてた。パパの首の後ろ、作業着の刺繍がだんゝぼやけてきて、多分一樹の目にも同じように濡れた櫻の花が見えていたんだと思う。あれって何だったんだろう。言葉に出来ないあの気持ちって。悔しいようなあの……。思い返して見ると、一樹の泣き顔見たのもあの時が最後だと思う。もしかしたらだけど、泣かないって決めた日なのかもね、あの日が。…初めてって事もあったのか、少しだけお説教されて、その日はそれでお仕舞い。盗もうとした品物はそれぞれが買い取るという事で、お母さん達にも叱られはしたけど、それ以上のお咎め《おとがめ》は無かったんだ。それからは…何故だかパパはご機嫌で、帰る時には一樹も太一と力也とお揃いのライト買って貰っちゃって、あたしは焼き芋を手に入れた。家に着いたら、玄関開ける前にパパが一樹に水筒の入った袋渡してさ。一樹からその袋渡されて開けた時の双葉の顔、超~笑顔でめっちゃ可愛いかったなあ…。よく小説とかでパッと花が咲いたようなとか言うじゃない、ほんとそんな感じだった。ポンコツの蛍光灯も頑張って、一瞬部屋の明るさが増した気がしたもん。あ…、あたしも食べきれなかった焼き芋が半分入った袋渡したんだけど、それに付いてはほぼゝシカトだった気がする。──でね、これは内緒なんだけど、あたし見ちゃったんだよね。その日の夜中、トイレに起きた時じいちゃんが押し入れになんか仕舞ってんの。…それから三年位してじいちゃん死んじゃったんだけど、そのあとみんなで片付けしている時に、押し入れから多分その時じいちゃんが仕舞い込んでた袋が出てきて、それ見てあたしも「あっ!」って。なんかいきなりあの夜見た光景がフラッシュバックして、袋開けてみたんだ。中から出てきたのは……赤いPUMAの水筒。パパ大笑いしてた。嬉しそうに……。 

「──。──様。…お客様。」
 ………あん?…あっ、
「はい。はい、はい」
 いけねっ。ぼ―っとしてたわ。
「こちらになります」
「へっ?」 
「こちらが5枚切りになりますが」
あんのか―い!
 おばさんに丁寧にお礼を言って店を出ると、小さな兄妹の姿はもう何処にも無かった。家に着いてなんて言おうか迷ってたら、5枚切りの食パンを見た双葉が「どうせなら3枚じゃね」と、独り言のように呟いた。
 あたしは「洗濯物乾いたかなあ」と聞こえない振りして階段を上がる。
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