幸福音
「……なに?」

椎名は机だけではなく、俺のことまで叩きそうだったから仕方なく返事をする。

軽く椎名を睨んでみるけれど、椎名は俺の冷たい視線を感じていないようだ。



「ねえっ! この動画に映っているの、瀬川くんだよね!?」



そう言って椎名は俺に携帯を見せてくる。

その携帯の画面を見た瞬間。

俺はその手を掴んで、教室を飛び出した。



「もーっ。急に引っ張らないでよー」



携帯を落としちゃう、とか言っているけど、そんなのはどうでもいい。

むしろ携帯落として、その動画のデータを飛ばしてくれ。


思わず廊下で座り込んだ俺。

そんな俺と目線を合わせるように椎名もしゃがむ。



「ねぇねぇ。ストリートピアノ、やっているんで、」

「やってない」


「でも、この動画に映っているの、」

「映っていない」



椎名の言葉を端から否定していく俺。

否定していて思った。

これって、否定じゃなくて肯定しているようなもんだろ。


俺の反応に口角を上げる椎名。

それは微笑みなんかじゃない。

マドンナが悪魔に変わった瞬間だ。




「瀬川くんってさ。陰キャのフリして、実は陽キャ?」

「……どちらでもない」



陰キャとか陽キャとか、俺にとってはどうでもいい。

どうでもいいから、今すぐその動画を消してくれ。

俺が黒いコートを羽織っているその姿を。

俺が都庁で鍵盤を叩いているその演奏を。

俺が群集に囲まれているその動画を。



「今すぐ消してくれ……」



俺は土下座する勢いで頼んだのに。
< 3 / 18 >

この作品をシェア

pagetop