アリスゲーム

第14話 ごめんなさい


 泣き止んだ女王様は偽物ジョーカーではなくなったらしく、まるで何もなかったかのような顔でお茶会へ誘われた。……いや、訂正しよう。
 ほぼ強制的に参加させられた、と言う方が正しい。

「……」

 たくさんの薔薇に囲まれた庭園と、用意された長方形のテーブル、それをぐるりと一周して等間隔に置かれた椅子。景色や、テーブルの上がとても綺麗に整理されていること以外は、帽子屋さん達のお茶会会場とそっくりである。
 それから、時計屋さんやジャックのような……いわゆる『ランク持ち』と呼ばれているらしい住人とは別の存在に初めて出会った。

(メイドと、執事……?)

 いま目の前にいるのは城の使用人なのだが……同性同士でみんな瓜二つの顔をしている。特にこれといって特筆すべき個性の無い、素朴な顔つき。
 そして全員、首筋の同じ位置にバツ印のついたハートのマークが刻まれていた。

「……あの……女王様、一つ質問してもよろしいでしょうか……?」
「うーむ、堅苦しい……敬語はよさぬか。アリスなら、どれだけ小生意気な物言いだろうと構わぬ。質問とは何じゃ? なんでも話してごらん?」
「え、ええ。その……」

 紅茶の入ったティーカップを無言で私の前に置く使用人。それを横目でちらりと視界に入れるが……常に無表情で、黙々と作業をするだけの使用人達は、まるでロボットのようだった。
 ほんの少しだけ、気味の悪さを覚えてしまうほどに。

「あの……このお城の使用人にも、ランクが」
「アリス」

 突然、耳元で鼓膜を震わせた低い声に驚いて肩が跳ねる。右隣にいるサタンを見ようにも、彼の左手が私の肩を押さえつけ、右手は顎を掴み発言を制しているため、前方を向いたまま大人しくしている事しかできない。
 視界の端に映るのは、サタンのいつになく真剣な表情。「顔が近いわ」と文句を言ってやりたいなどと考えていた時、右手がくいと顎を持ち上げてきたものだから、ほんの一瞬だけ息が詰まってしまった。

「……ランク持ち以外がいる場で、数字の話はするな」

 いいな?と問われ、私が小さく頷いたのを確認するとサタンはやっと両手を離して顔を遠ざける。

「あ、あの……何でもない、です」
「……ふむ、ならばよい」

 女王様は今にも噛みつきそうな目つきでサタンを睨みつけてから、まるで怒りを表すかのように大きな音を立てて紅茶を啜った。
 一方のサタンは素知らぬ顔で椅子に座り直し、サタンとは反対側……私の左隣に座っている白ウサギは、不意に顔を寄せて優しい微笑みを浮かべる。

「ねえ、アリス?」

 それから……風鈴が風で揺らぐような、穏やかに透き通る声で私の名前を撫でた。

「なあに? 白ウサギさん」
「アリスは、お城に住むんでしょう?」
「……え?」

 まるで「そうよね? 当たり前よね?」と同意のみを求めているかのような口調と、太陽が昇るみたいにあたたかく嬉しそうな表情。女王様を見やると、彼女は白ウサギと同じような笑顔を浮かべている。
 それはまるで……最初から選択肢を絞り、拒否権を奪ってから「決定事項なのよ」と告げているかのように思えた。

「……あの、ごめんなさい。私、時計屋さんと一緒に住んでいるから……お城には、」
「時計屋……?」

 一瞬で女王様の顔から笑みが消え、白ウサギやサタンまで大きく目を見開いて驚いた様子で私を見る。
 少ししてから、誰かの小さな笑い声が耳に届いた。
 
「……時計屋? 時計屋、愚かな……キング、じゃと……?」

 女王様の手から滑り落ちたティーカップが、カシャン!と音を立ててテーブルに着地し砕け散る。

(な、に……?)

 なぜ、みんなしてそんなに驚いた顔をするのだろうか?
 たしかに、時計屋さんは初対面で私に銃を向けたけれど殺意はなかったし、今まで一緒に過ごしていた間も私を殺そうとする素振りは一度だって見せていない。むしろ、身を呈して守ってくれた。
 同じ理論で言うならば帽子屋さんも私を殺そうとしたことはないが、これから先はまだわからない。まず、雨風が凌げてゆっくり眠りにつける家を持っているのかすら怪しい。
 ゆえに消去法で必然的に時計屋さんと一緒に住むことになった、それだけの話だ。
 どこがおかしいのだろう?

「時計屋か……」

 顎に片手を置き、何か考える素振りを見せるサタン。一方で、白ウサギはとても心配そうな眼差しを私に向けている。

「なぜ……なぜ、キングなのだ……」

 やや俯き加減で苦虫を噛み潰したような顔をして、ぼそりと言葉を落とした女王様に「だって、一番安全そうだから……」と返した瞬間、彼女は付近に咲いていた薔薇をむしり取り、両手で力任せにテーブルを叩いた。

「だめじゃ、だめじゃ……アリス、だめじゃ。あああ……ならん! あ奴だけはならん!! 今すぐ時計屋の首を刎ねろ!!」

 両手で頭をかきむしり、ヒステリック……いや、癇癪を起こしてしまった女王様。
 彼女は例の大きな鎌を再び取り出すと、辺り構わず薔薇の木やテーブルを切りつけ始め、ついには使用人にまで襲いかかる。
 そんな女王様を白ウサギが背後から取り押さえつつなだめていると、サタンは背もたれに体を預けて紅茶を飲み言葉を落とした。

「時計屋は……キングだな」
「え、ええ……そうね」
「……ああ、そうだ。キングだ」

 彼は私の同意に対し、肯定で返してくる。
 意味が理解できずにぽかんとする私を横目で見るなり、サタンは呆れたようにうなだれて溜め息を吐いた。

「な、なによ!? 言いたいことがあるのなら、もっとはっきりと」
「キングは、王。クイーンは女王。ここまで言えば、ガキでも分かるか?」

 半分やけくその言い方である。
 だが、そこまで説明されてからやっと言葉の意味を理解した。
 キングとクイーン、王と女王。と、言うことは……答えなんて、一つしかない。

「……時計屋さんと女王様は、夫婦……?」
「正しくは『夫婦だった』だ。今は違う……色々と、な」

 一つの国に王と女王がいるのはおかしなことだが、時計屋さんと女王様が過去に夫婦の関係だったなら、あの突然のヒステリーにも納得がいった。
 昔のこととは言え、夫であった者の所にぱっと出の小娘が住んでいるだなんて、誰だって良い気分はしないだろう。

「あ、あの……っ! 女王様、ごめんなさい! 私、知らなくて、」

 ああ、おかしいわ……知らなかったから、なんだって言うの?
 だから許して欲しいだなんて、ただ私が楽になりたいがためのわがままじゃない。

「大丈夫、大丈夫よアリス。私は大丈夫、大丈夫……私はアリスが好きだから、そうじゃ大好きよ。大好きだから……例えルール違反の男でも、大丈夫じゃ。あやつのそばでアリスが安心できるなら、ああ……私は……時計屋、ルール違反の卑怯者めが……一人だけ逃げおった。ルールから、まんまと逃げおった……許せぬ……じゃが、アリスがそれを許したから……そうじゃ、アリスが許可したんじゃったな? ああ、大丈夫よ、アリス。私は時計屋と違う。最後まで『クイーン』を演じられるから、大丈夫。大丈夫、大丈夫」

 直後に、断末魔のような叫び声を上げて女王様はかぶりを振る。

(あ、あ……)

 どうしたらいいのか、わからない。怖くてたまらない。罪悪感で押しつぶされそうだ。

(わたしの、せいで)

 溢れ出した涙で視界が歪み、力の入らなくなった体がガクガクと震え始める。
 どうすればいいのか、もう……わからない。 あたまのなかが、まっしろなの。

「……めん、な、さ……ごめんな、さい……ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」

 何もわからないけど、覚えていないけど、これだけは知っている。
 こうして謝り続ければ、“いつかは”許してもらえるという事だけは。

「ごめんなさい、ごめんなさい……! ごめんなさい!」
「アリス……」

 よくきこえない。
 なんだか遠くで、白ウサギの声がする。

「ごめんなさい、ごめんなさい……ごめんなさい……たしが、わたしのせいで、」
「……大丈夫だ、もういい。アリス……大丈夫だから」
(あ……)

 耳元で囁かれたサタンの声は脳の奥まで優しく響き、涙の溢れ出る目を彼の片手が覆い隠した。
 視界が暗闇に包まれた瞬間、後ろからふわりと抱きしめられるのがわかる。サタンの長い髪が私の頬をくすぐり、再び波音のように優しい声が鼓膜を震わせた。

「アリス、大丈夫……もう、大丈夫だ」
(……あれ? 前にも、同じことを)

 目を閉じると、彼の片手が頭をゆっくりと撫でる。少しして、視界を覆っていたサタンの手がゆっくりと離れ、瞼に刺さる光に気づきそっと目を開けた。

「アリス……?」
「と……時計屋、さん?」

 どういう事なのか、目の前には時計屋さんが立っていて……なぜか私は、いつもの時計屋さん宅へ帰って来たのだと、辺りを見渡してから理解する。
 相変わらずの気怠げな彼の様子を見て緊張の糸が解けたのか、足腰の力が抜けてしまいその場に座り込んだ。

「……ごめんなさい……」
「えっ……どうした? アリス」

 止まりかけていた涙が再び溢れて、一粒のしずくが頬を伝い落ちる。
 なぜ、時計屋さんに謝っているかわからない。なぜさっき、女王様のことがあんなに怖かったのかわからない。

「……ごめんなさい」

 貴方を覚えていなくて、ごめんなさい。
 時計屋さんだけではない。みんな、みんな……この国に来てから初めて顔を合わせたはずなのに、記憶には一欠片も残っていないというのに……なぜか、以前にも会った事があるような気がするのだ。
 けれど結局、なにも覚えておらず思い出すことも叶わない。私には、何もわからないまま。

「……アリス、泣かないでくれ……お願いだから」

 涙を拭ってくれる、時計屋さんの大きな手。その優しさがひどくあたたかくて、涙を止める方法を忘れてしまっていた。
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