アリスゲーム
第28話 イカレウサギという存在
「放っておけばよかったのにさ!」
「……そんな事できるわけないだろ」
本人が目の前に居ても関係なしに、更にオブラートに包みもせず直球で文句を言う性格のジャックは、先ほどのあれこれについての不満を面と向かって私にこぼしている。
「キングがアリスの世話を焼くのは、勝手にしたら良いんじゃないかと思ってるけど……このままじゃあ、自分の身を滅ぼすぜ? キング」
時計屋さんの隣に腰掛けているジャックは、時計屋さんが逃げられないよう肩に腕を回したまま耳元に口を寄せて呟いた。
「……お前までエースと似たような事を言うのはやめろ。俺がどうするかは、もう自分の意思で決める事ができるんだ……俺は、好きにさせてもらう」
時計屋さんはジャックの腕をやや強引に振り払うと、立ち上がってティーポットにお湯を注ぎ始める。
ジャックはといえば、塩対応にめげる事も気にする様子もなく「ははっ! ま、そうだよな!」と相変わらずの笑顔を浮かべていた。
「……あの……私、気分転換に出かけてくるわ」
「……アリス、俺も一緒に行こうか?」
「……大丈夫よ。ありがとう、時計屋さん」
心配そうに眉を寄せて私を見る彼に、精一杯の笑顔を向けて玄関をくぐる。
その間、ジャックはずっと何か考え込んでいるかのように遠くを見ていた。
***
森の中をしばらく歩いて辿り着くのは、帽子屋さん達がいつもお茶会をしている公園。
「帽子屋さん、ごきげんよう」
「アリス……!?」
突然の来訪でとても驚かせてしまったらしく、彼はこちらを向くと同時に片手に持っていた食べかけのマフィンをころりと落としてしまった。
「あ、」
地面へ着地した拍子に土の衣をまとってしまったマフィンを、名残惜しそうな眼差しで見つめる帽子屋さん。
思わず笑ってしまうと、彼は「おい、笑うな」と頬を朱色に染めて私を睨みつけた。
「まったく……来るなら先に時計屋に伝えて、」
「あら、来ちゃまずかったのかしら? 不快にさせてしまったのなら、大人しく帰るとするわ」
「…………いや、嬉しい……帰る必要はない……」
いよいよ耳まで真っ赤になっている帽子屋さんを見て、ついつい口元が緩んでしまう。
少しの間を置いてから「座るか?」と隣の席を指差した彼に、
「いいえ……今日は、遠慮するわ。ありがとう」
そう言って笑みを向ければ、「そうか、わかった」とやわらかい微笑みを返され、今度は私の頬に熱が集まる番だった。
「……あれ?」
そこでようやく違和感に気が付く。
いつもの公園。そのはずだけれど、いつもと違う……何かが、足りない気がした。
何だった?思い出せ……いつもと違うもの、足りないものを。
(……!!)
あ、
「ね、ねえ……帽子屋さん。イカレウサギ、は?」
ああ、そうだ。
いつもなら、私の姿を見た瞬間に凄まじい速さで駆け寄って来て、何度も私の名前を呼び、嬉しそうに笑いながら紅茶やお菓子を差し出してくれていたイカレウサギの姿が、今日はどこにも見当たらない。
(珍しい……)
いつもイカレウサギが腰掛けていた席を眺めていると、全く感情のこもっていない帽子屋さんの冷たい声が鼓膜を震わせた。
「ああ、イカレウサギか。アイツは消えた」
消え、た……?
「……え? えっと……どこかへ行ってしまったの? それとも、家出?」
そもそもこの場所を『家』と呼んでいいのかすら疑問ではあるが、この際そんな細かい事はどうでもいい。
「いいや。言葉通り、そのままの意味だ。目視できる『イカレウサギという存在』は消えた」
帽子屋さんは無表情のまま、先ほどと同じ話を繰り返す。
そのままの意味で、消えた?それは……つまり、
「イカレウサギは、消えてしまったって……もう、この国のどこにもいないって……そういう意味……?」
「ああ、そうだ。元々“そういうルール”だった。アリスが気にする必要はない」
帽子屋さんはこくりと小さく頷いてから、興味無さげに溜息をついて呑気に紅茶を飲み始めてしまった。
(どう、いう……どういう、こと?)
存在が消えただなんて。
彼は当たり前かのように言うけれど、私には一つも理解ができていない。
「そんな……そんな、の……」
戸惑いを隠しきれず、おぼつかない足取りでその場から走り去った。
逃げる理由なんてどこにもないというのに、なぜか……あの場所に今は、私が居てはいけない気がする。
(白ウサギ、白ウサギに会いたい……っ、サタンは? どこに行ったの?)
俯いたままハートの城へ続く道を一心不乱に走り続けていると、不意に誰かとぶつかってしまい足を止める。
呼吸を落ち着かせながら顔を上げ、謝罪を伝えようとした――だが、目の前に立つ人物を見て言葉を飲み込んだ。
「あれ? そんなに急いでどこに行くのかな? アリス」
「く……黒、ウサギ……」
「……そんな事できるわけないだろ」
本人が目の前に居ても関係なしに、更にオブラートに包みもせず直球で文句を言う性格のジャックは、先ほどのあれこれについての不満を面と向かって私にこぼしている。
「キングがアリスの世話を焼くのは、勝手にしたら良いんじゃないかと思ってるけど……このままじゃあ、自分の身を滅ぼすぜ? キング」
時計屋さんの隣に腰掛けているジャックは、時計屋さんが逃げられないよう肩に腕を回したまま耳元に口を寄せて呟いた。
「……お前までエースと似たような事を言うのはやめろ。俺がどうするかは、もう自分の意思で決める事ができるんだ……俺は、好きにさせてもらう」
時計屋さんはジャックの腕をやや強引に振り払うと、立ち上がってティーポットにお湯を注ぎ始める。
ジャックはといえば、塩対応にめげる事も気にする様子もなく「ははっ! ま、そうだよな!」と相変わらずの笑顔を浮かべていた。
「……あの……私、気分転換に出かけてくるわ」
「……アリス、俺も一緒に行こうか?」
「……大丈夫よ。ありがとう、時計屋さん」
心配そうに眉を寄せて私を見る彼に、精一杯の笑顔を向けて玄関をくぐる。
その間、ジャックはずっと何か考え込んでいるかのように遠くを見ていた。
***
森の中をしばらく歩いて辿り着くのは、帽子屋さん達がいつもお茶会をしている公園。
「帽子屋さん、ごきげんよう」
「アリス……!?」
突然の来訪でとても驚かせてしまったらしく、彼はこちらを向くと同時に片手に持っていた食べかけのマフィンをころりと落としてしまった。
「あ、」
地面へ着地した拍子に土の衣をまとってしまったマフィンを、名残惜しそうな眼差しで見つめる帽子屋さん。
思わず笑ってしまうと、彼は「おい、笑うな」と頬を朱色に染めて私を睨みつけた。
「まったく……来るなら先に時計屋に伝えて、」
「あら、来ちゃまずかったのかしら? 不快にさせてしまったのなら、大人しく帰るとするわ」
「…………いや、嬉しい……帰る必要はない……」
いよいよ耳まで真っ赤になっている帽子屋さんを見て、ついつい口元が緩んでしまう。
少しの間を置いてから「座るか?」と隣の席を指差した彼に、
「いいえ……今日は、遠慮するわ。ありがとう」
そう言って笑みを向ければ、「そうか、わかった」とやわらかい微笑みを返され、今度は私の頬に熱が集まる番だった。
「……あれ?」
そこでようやく違和感に気が付く。
いつもの公園。そのはずだけれど、いつもと違う……何かが、足りない気がした。
何だった?思い出せ……いつもと違うもの、足りないものを。
(……!!)
あ、
「ね、ねえ……帽子屋さん。イカレウサギ、は?」
ああ、そうだ。
いつもなら、私の姿を見た瞬間に凄まじい速さで駆け寄って来て、何度も私の名前を呼び、嬉しそうに笑いながら紅茶やお菓子を差し出してくれていたイカレウサギの姿が、今日はどこにも見当たらない。
(珍しい……)
いつもイカレウサギが腰掛けていた席を眺めていると、全く感情のこもっていない帽子屋さんの冷たい声が鼓膜を震わせた。
「ああ、イカレウサギか。アイツは消えた」
消え、た……?
「……え? えっと……どこかへ行ってしまったの? それとも、家出?」
そもそもこの場所を『家』と呼んでいいのかすら疑問ではあるが、この際そんな細かい事はどうでもいい。
「いいや。言葉通り、そのままの意味だ。目視できる『イカレウサギという存在』は消えた」
帽子屋さんは無表情のまま、先ほどと同じ話を繰り返す。
そのままの意味で、消えた?それは……つまり、
「イカレウサギは、消えてしまったって……もう、この国のどこにもいないって……そういう意味……?」
「ああ、そうだ。元々“そういうルール”だった。アリスが気にする必要はない」
帽子屋さんはこくりと小さく頷いてから、興味無さげに溜息をついて呑気に紅茶を飲み始めてしまった。
(どう、いう……どういう、こと?)
存在が消えただなんて。
彼は当たり前かのように言うけれど、私には一つも理解ができていない。
「そんな……そんな、の……」
戸惑いを隠しきれず、おぼつかない足取りでその場から走り去った。
逃げる理由なんてどこにもないというのに、なぜか……あの場所に今は、私が居てはいけない気がする。
(白ウサギ、白ウサギに会いたい……っ、サタンは? どこに行ったの?)
俯いたままハートの城へ続く道を一心不乱に走り続けていると、不意に誰かとぶつかってしまい足を止める。
呼吸を落ち着かせながら顔を上げ、謝罪を伝えようとした――だが、目の前に立つ人物を見て言葉を飲み込んだ。
「あれ? そんなに急いでどこに行くのかな? アリス」
「く……黒、ウサギ……」