「あんたじゃない、とは言ってないからね」

「あんたじゃない、とは言ってないからね」

　出産予定日から逆算して、職場には三ヶ月後に退職する意を伝えた。次は引っ越し先を見つけることだけれど、これがなかなか上手く行かない。どうせなら誰も知らない場所に行こうと決めたのだけれど、そもそもそれが漠然としすぎていて、まとまらない。一週間考えて南にしようと決めたのだけれど、休みの日に物件を見に行ける時間もなければ費用もないわけで、ネットで賃貸情報を漁る日々。退職する前に契約は済ませておきたいし、出産する病院だって探して決めておかなければならないのに、前途多難だ。

「紗由理」

　はぁ。今日もまた帰ったらネットか。しんどい。
　そんな愚痴をため息ひとつにまとめて吐き出し、改札を抜けて駅から出れば、もう逢わないと突き放して、着信拒否とSNSをブロックした男がそこにはいた。
　勘弁してよ。
　そう吐き捨てようにも、ここは多くの人が行き交う駅前。知らないふりをするのは容易いけれど、名前を連呼されたらたまったものではない。

「……何？」
「話、してぇ」
「私は話すことなんてないよ」
「だろうな」
「分かってるなら、」
「でも、俺はある」
「……」
「着拒にブロック……俺と縁切りてぇのは分かったから、お前がそう望むなら、これで最後にするから、話……してぇ」

　話があるのだろうことは分かっていた。だからって、それを大人しく聞くつもりは微塵もなかったのに、彼はずるい。

「……これで、最後だからね」

　そんな風に弱々しく言われたら、私が断れないのを、この男は、きっと、知ってる。