元書店員ですが、転生したら貴族令嬢になっていました!

「ヴィクターさんオカエリナサイ」

 リンネが横から屈託なく声をかける。

「あれ?ヴィクター早かったね」

「ああ、思ったより早く片付いたからな」

 ヴィクターも妻にだけは優しい口調になる。

(絶対嘘だな……俺が来るから巻きに巻いたね)

 仕事中、にこりとも笑わずに1秒でも早く家に帰るために凄まじい勢いで周りの人々を威圧しているヴィクターの姿が何故かとても簡単に想像ついてしまう…。まぁ兄としてはそれくらい妻思いの旦那の方が安心ですけどね。

 エリックとヴィクターが就いている仕事とは、王太子直属の密偵である。我が国の王太子は様々な階級の密偵を飼っているのである。エリックやヴィクターのような貴族階級の子息たちの密偵は他に数名いて、主に、反国家的思想を持っていたり、領地で国には言えない搾取や詐欺をしているなどの問題のある貴族の内情を調べるのが仕事だ。それゆえ、独身の貴族密偵は、時には口の軽い貴族未亡人に近づいたりする必要性が出てきて、エリックやヴィクターのような容姿端麗な男性ばかりが選ばれている。

 社交界でヴィクターが未亡人ばかりを相手に浮名を流している、というのは仕事のためにであって彼は一度も一線を超えたことはない。彼より貞操観念が緩いエリックも、さすがに口の軽い貴族未亡人を相手にすると、あることないことを噂で流されて外堀を埋められる、となったら人生終わるので手を出したことはない。
 ヴィクターが王太子直々に婚約の祝福を貰いにいったのは、もう女性に近づく仕事はしませんよという彼の静かな決意表明でもあった。実際結婚をしている密偵はその類の仕事は王太子はさせていない。

「で? 何が大好きなんだ?」

(あ、まだ拘ってらっしゃった……)

 リンネ命のヴィクターが見逃すわけはなかったか。

「マカロニグラタンが、だけど?」

 しれっと言ってやると、ようやくヴィクターの表情が微かに綻んだ。いや君もう結婚してるんだからいい加減余裕もってちょうだい、と心の中でつっこみをいれる。

「そうか。凛音のマカロニグラタンは最高にうまいからな」

 リンネはにこにこしながら先に歩いて行って厨房のドアを開けて待っている。彼女の耳に入る前にとエリックが小声でヴィクターに話しかける。

「ヴィクター、あとでちょっと仕事の話を」

「わかってる、あいつの話だな」

 すぐに真剣な表情になったヴィクターが頷いた。
 
 そう、王太子の命を受けて、エリックが今調べているのは、アリアナを婚約詐欺に陥れた、ファビアン・スミスについてであった。
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