夏の花火があがる頃
 残業を始めて三時間。

 定時が十七時なのにも関わらず、既に時計の針は二十時を過ぎていた。

 仕事が終わり、スマートフォンを確認すると、メッセージが一件入っていた。柏木から「食事はいつにしますか?」と入っていた。

 これから北池袋の自宅に帰って、二十一時。帰宅して食事を作る気力も残っていなかったので「今夜でしたら」と無茶を振る。

 突然竿を投げつけられて、釣られる魚はいないだろう。

 そんな風に考えながら帰宅する準備をしていたら、魚はあっという間に食いついてきた。

 少しだけ申し訳ないような気持ちになって「柏木さんの都合の良い場所で大丈夫です」と伝えると数秒のうちに「渋谷で」と返信が来た。

 指定された店は、渋谷駅のハチ公出口から出て徒歩十分の場所にあった。

 古びた汚い居酒屋通りを抜けて、裏路地に入ると小さなマンションがある。

 地下へと続く階段を降りるとそこには小綺麗なダイニングバーがあった。

 柏木は仕事で少しだけ遅れてくるらしく、めぐみは先に店に入る。

 見かけよりも広い店内には、大きなプロジェクターがかけられており、ファッション映画でアカデミー賞を受賞した女優の出演映画が音なしで映し出されていた。

 円卓には黒いアームチェアが四脚置いてあり、キャンドルランプが灯されている。

 飲み物は柏木が来てからの方が良いかと思い、迷っていると当の本人が慌てた様子で登場した。

 相当慌てて来たのだろう。息が上がっている。

「すみません。待ちました?」

「大丈夫ですよ。まずかけてください」

 やはり子犬のような人だと、心の中で思いながらめぐみはアームチェアを指して行った。
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