夏の花火があがる頃

 目が覚める。雨の音は止んでいた。

 オレンジ色の夕焼けが部屋の中に差し込んでいる。

 部屋の中にはホットケーキの良い香りが充満していた。

「ごめん。勝手に台所借りた。あと果物」

「大丈夫です」

「爆睡だったね」

「すいません」

「よだれ垂れてたよ」

「嘘!」

「嘘」

 ケラケラと笑いながら「寝起きだけど、食べられる?」と盛り付けたパンケーキを柏木は出してくれる。

「食べる。美味しそう」

「思ったより上手にできた」

 フォークを渡されて、パンケーキを口に運ぼうとした瞬間、柏木の質問に身動きが取れなくなった。

「ねえ、慎吾って誰?」

 部屋の中に嫌な沈黙が流れた。頭の中がめぐみは真っ白になった。

「ごめんね。俺、誤魔化すのとか、知らないふりって苦手でさ」

「……」

「正直に言ってくれればそれを信じるから、教えてくれない?言いたくなかったら、無理はしなくてもいいけど」

 浮気じゃない。彼は……。

 喉まで音が出そうになるが、声にならない。

 記憶が蘇り、めぐみの中を支配してく。

 思考が鈍くなっていった。

 思い出すことを脳が拒否をする。名前すら言葉にできないほどに。

「……」

「言えないような事って解釈するべきなのかな?」

「……」

 このまま無言で時が過ぎるのを待てば、いくら優しい柏木でも離れていくだろう。

 当たり前だ。

 裏切ってはいけない。

 ちゃんと理油を説明しなくてはならない。

「……裏切ってるって事で解釈していい?」

 小さく首を振る。

 違うと言いたい。

 涙が溢れていた。

 息がうまくできない。

 どう説明すればいいのか、もう分からない。

 悠也の顔が頭に浮かぶ。

 頼ってはいけないと、頼る事をしてはいけないとあの頃決めた。

 それなのに、心のどこかで助けて欲しいと思ってしまっている自分がいる。

「……めぐみ」

 静かに名前を呼ばれる。

 ずるいと分かっているのに、このまま何もなかったかのように抱きしめて欲しいと思っている自分がいた。

 世の中はそんな都合よくできていない。

 相手と誠心誠意向き合って、ちゃんと恋人同士になるのに、何もできないまま、依存しているだけの状態だ。

 これを恋人と呼ぶことができるのだろうか。

「ご、ごめん…なさい……」

 掠れるような小さな声で、呟いた。

 絞り出した声が、柏木に届いているかどうかわからなかった。

 小さなため息を柏木がつくのが聞こえた。

 終わる。

 そう思った瞬間、唇が重なった。

 無言で行為が始まった。

 衣服が剥がされようが、されるがままだった。

 フォークをガラステーブルの上に置く。

 パンケーキはきっともう冷めてしまっている。

 めぐみのことを気遣う風でもなく、柏木はめぐみの中に入ってきた。

 圧迫感が彼女の身体を襲った。

 泣くこともできないまま、抱かれた。

 こんなことで許されるとは思っていない。

 しかし、柏木の気持ちが幾分か晴れるなら、それでいいと思う。

 思い出したくない過去に囚われて、恋人を失いそうになっているにも関わらず、諦める気持ちの方が強くて、めぐみは自分に呆れた。
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