夏の花火があがる頃
第9話 動揺する日常
「話がしたい」

 柏木にそう言われてから、一週間が経った。

 返事を返さないというのは、卑怯なことだと分かっているが、どうしようもなく足が竦む。

 柏木と付き合っていくからには、過去に起こったことも、自分のこの状況も全て話をして受け入れてもらわないといけない。

 果たして柏木は、それを望んでいるのだろうか。

 大事にされていないと言えば、めぐみはかなりの薄情者だ。

 彼は一緒にいる人を誠心誠意大事にしようとする人間だと思う。

 彼が誠意を持って向き合おうとしているのに、めぐみはこのままでいいのだろうか。

 そして、自分が背負っているこの重荷を、彼に投げつけてしまってもいいのだろうか。

 そんなことを考えているうちに、あっという間に一週間が経ってしまった。

 考えたくないことがある時は、今まで滞っていたのが嘘のように仕事が捗る。

 コンテストの課題が発表された。「幸せな家族の家」というのがテーマだった。

 幸せとはどのようなものだろうか。と思ったが、めぐみが絶対に手に入らないものだろうと思うと、案外簡単なものなのかもしれない。

 その日は終電ギリギリまで働いていた。

 Ipadを充電しながら電子ペンシルでイメージ図を描く。

 昔は絵の具やコピックト呼ばれるカラフルなペンで色をつけていたが、最近はデジタル化が進行してきてIpadさえあれば道具を用意しなくても仕事ができるようになってきた。

 夜になると、日差しの強かった日中とは異なり、幾分か涼しい風が吹いてくる。

 空気が少しだけぬるくなると、まだ夏は来ないよと言われているようで、安心する。

 あの夏から何年が経ったのだろうか。

 思い出したくない記憶をギリギリまで引き出しては、自虐して忘れたふりをする。

 何度この行為を繰り返せば、気がすむのだろう。

 前に進んでいるようで、進んでいない。まるで時の中に置き去りにされてしまったような感覚だ。
 片付けが終わって、帰る支度をしているとスマートフォンが着信を告げる。

 柏木だった。催促するつもりなのだろう。きっと怒っている。

 腹を括って、めぐみは電話に出る。
 
 さすがにこれ以上無視を続けることはできない。

「もしもし……」

「よかった。出た」

 柏木の声が安心したような声色だったことで、めぐみもホッとした。

 先日のことを少し後悔しているような、そんな口調だった。

 顔が見えないので、なんとも言えない。

「……連絡してなくて、本当にすみません」

「いいよ。俺も申し訳なかった」

 先日のことを指しているのだと思った。

 本来であれば怒らなくてはいけないのだろうが、めぐみは怒る気になどなれなかった。

「……」

「今夜、時間ある?」

 覚悟を決めなくてはならないようだった。

 別れ話だろうか。

 柏木がポジティブな話を持ってくるとは到底思えなかった。

「はい」

「じゃあ、今夜俺の部屋でいいかな?実は明日から出張なんだけど、荷造り終わってなくて」

「大丈夫ですよ。何か欲しいものありますか?」

「新しい門出にシャンパンとか?」

「わかりました」

「うそうそ、手ぶらでおいで。気をつけておいでね」

 優しい言葉を残して、柏木は電話を切った。

 優しさに甘えすぎてしまったのかもしれない。

 彼がいなくなることを想像したら、めぐみはひどく寂しい気持ちになった。
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