夏の花火があがる頃

 今後のスケジュールを柏木と他の社員の人々と打ち合わせをした後、開封作業をしてその日の仕事は終わってしまった。

 宮舘からは、そのまま会社に戻らず、直帰していいと指示を受けている。

 柏木は本社に用事が出来てしまったと、先に戻ってしまった。

 どちらにしても、今日は食事などしている暇はなかったようだ。

 工事現場の人々も帰宅をするというので、めぐみも一緒に外へ出た。

 ビジネスビルの中は、帰宅しようとするビジネスマン達が、疲れた表情を浮かべて外に向かっている。

 その中には残業組もいるようで、ビルの外にあるコーヒーショップでコーヒーを購入し、ビルの中に戻ってくる人もいた。

 夜になるとカップル達や、家族連れ、夫婦や女子会などでレストランを利用する人達も多く、昼間には見かけなかった層も増えている。

 たくさんの人達が行き交う中で、一人の男性に視線が釘付けになった。

 向こうもめぐみの視線に気がついたのか、顔を上げた瞬間、驚いたような表情を浮かべた。

「めぐみ?」

 懐かしい声がした。

 少し、低くて、柔らかい声。

 こちらを見つめる二重まぶたも、少しだけ厚みのある唇も、何も変わっていない。

 蘇る記憶をかき消すように、めぐみは踵を返して走り出す。

 息が上がった。

 心臓が壊れてしまうほど、激しく鼓動がなっている。

 このまま壊れてしまうのかもしれない。いや、壊れてしまうならその方がよかった。

 沢口悠也(さわぐちゆうや)

 忘れもしない人、忘れられない人。

 忘れたいと思っていた人だった。

 東京駅に到着して、慌てて改札の中へ入る。

 四番線と書かれたホームに向かって階段を駆け上がり、到着したばかりの山手線へと駆け込んだ。

 上野、池袋方面と書かれた液晶画面を見てホッとため息をつく。

 それと同時に頬に涙が溢れていることに気がついた。

 慌てて鞄の中からハンカチを取り出して、涙を拭く。

 桃色のハンカチに、黒いマスカラがこびり付いた。

 知らないふりをすればよかったのに、あれではめぐみ本人だと相手に伝えてしまったと同じだ。

 自分の行動に後悔しつつ、あのビルの中に入る時には気をつけないといけない。

 彼女は、自分を律した。

 彼に近づいてはいけない。それは、彼女が決めたことだった。

 次の日の朝は、土砂降りの雨だった。

 休日だったが、めぐみは仕事をすることに決めた。

 仕事をしている時が、何も考えなくて済むからだ。

 思い出したくない過去が脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消える。

 仕事のことを無理矢理押し込んで、何とか自分を保った。

 FURADAのインテリアの他に、田園調布に在住している老夫婦の家のインテリアを変えて欲しいという依頼も預かっている。

 忙しくてよかった。

 自分を落ち着かせるように、めぐみは心の中で呟いた。

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