夏の花火があがる頃
 次の日、寝不足のまま仕事に行った。
 
 睡眠不足の身体に、バンコクの蒸し暑さは厳しい。

「大丈夫ですか?」

 心配そうに覗き込む飯塚に「問題ない」と答え、悠也は昨日の夜に萌と電話をしたことを心の底から後悔していた。

 もう二度と、夜中に彼女と電話はしたくなかった。
 
 早く日本に帰って、めぐみに会いたい。
 
 その日は、半分接待なようなもので、バンコク市内にある店舗に行き、実際にどんな真珠が売っているのか案内してくれるとのことだった。

「タイは、世界五大宝石集散地で、他の国はアメリカ、ベルギー、イスラエル、インドがあります。タイにはいくつか大きな宝石市場がありますが、今日はバンコク市内にあるJTCに行きましょう」

 訛りのきつい日本語で、ぺぺは悠也達に言った。

 泊まっているホテルから車で二十分ほどの場所に、JTCと呼ばれる宝石市場はあった。

「宝石市場っていうから、もっと古めかしいのを想像してました。テントみたいな」

 まるで老舗の高級デパートのような建物を見て、飯塚がぼそりと呟いた。

 それを聞いて、ぺぺは大きな声をあげて笑う。

「そんな建物だったら、宝石、盗まれちゃうね!」

 ぺぺの話によると、元々は宝石専門の建物だったが、それだけでは経営が厳しく、大規模工事があった後、おもちゃ屋さんや洋服屋さんも店舗として入っているとのことだった。

「実際にデパートと同じなんですね」

「そうだね。地下に我々の店もあるから、行きましょう」
 
 ぺぺに案内されて、到着した店舗で悠也は一粒の真珠のネックレスに目を奪われた。

 小ぶりだが、虹色に輝くその真珠を見て、めぐみのことが思い浮かんだ。

 彼女に似合うだろうなと思ったのだ。

「これ……」

「見てみますか?」

 ニヤリと笑って、ぺぺはタイ語で店員にネックレスを指差し言った。

「いや、仕事中なので」

 断ろうとしたが、店員もぺぺもあまり気にしていないように見えた。

「日本人の悪いところ。仕事中だろうが、なんだろうが、出会ったものは捕まえないとダメ。諦めて見逃したら、もう出会えない」

 ぺぺは、ショーケースから出したネックレスを悠也の方に差し出す。

「……」

「日本語でなんと言う。イチゴイチコ……」

「一期一会ですか?」

「そう!それ」

「よく、そんな言葉知ってますね」

「むかし、日本語教えてくれた女性が教えてくれました。彼女も大事な出会いでした」

 遠いむかしを慈しむような表情を浮かべて、彼は言った。

 ぺぺにうまく乗せられてしまったような気がしなくもないが、めぐみを思い出した商品ではあるので土産として買って帰るのも悪くないと思った。

 渡せる機会などないかもしれない。

 だが、悠也は少しだけ満たされたような気持ちになった。
 
 飯塚は気に入った商品はなかったようで、手ぶらのままだった。

「あれ?沢口さん、彼女さんにですか?」

 手に下げた紙袋を見て、飯塚は冗談めかした口調で悠也に尋ねた。

「まあ、そんなんところ」

 一瞬ではあるが飯塚が「え」と小さな声を出すのを、悠也は気がつかないふりをした。
< 55 / 75 >

この作品をシェア

pagetop