夏の花火があがる頃
「お疲れ様」

 ホテルの部屋の前で、悠也は飯塚に言った。

 仕事もひと段落つき、明日帰国となっていた。

 解放感を充分に味わいながら、悠也と飯塚は先ほどまでバーで飲み明かしていた。

「あの、沢口さん」

「ん?」

「本当ありがとうございます」

「頑張ったのは、飯塚さんでしょ。この契約成立はうちの会社にとっても大きいから、自信を持っていいと思うよ」

 営業スマイルを繰り出して、悠也は彼女に言った。

 きっと彼女は今回の件で大きく成長していくだろう。
 
 じゃあ、おやすみ。
 
 そう言って、部屋に入ろうとした際、飯塚が悠也に抱きついて「好きです」と消え入りそうな声で呟いた。

 飯塚の豊満な胸が、柔らかく悠也の身体に触れる。

「……」

「迷惑なのはわかっています。きっと沢口さん、彼女とかいらっしゃるとおもいます。でも好きです」

 めぐみが、こんな風に言ってくれればいいのに。心の中で小さくため息をついた後、「ありがとう。でも、ごめんね」と優しく突き放した。 

「……わかってます。沢口さん、優しいから。でも……」

「ごめん。彼女じゃない子以外とは、そういうことしないんだ」

 飯塚の豊満な柔らかい胸を、自分から引き離して悠也は淡々と言った。ここで抱いてもデメリットしかない。

 それに、今彼女を抱いてしまえばめぐみのところへは戻れないような気がした。

 萌のこともある。

 これ以上重たい荷物を抱えるのは、厄介にもほどがあった。

「一晩だけでいいです。ご迷惑をおかけしないですから……」

「飯塚さん。飲み過ぎだよ。明日の朝、冷静になって話をしよう」

 あくまで職場の先輩だという姿勢を崩さず、悠也は飯塚に言った。

 不服そうな表情を浮かべ、泣きながら彼女は部屋の中へ戻っていく。

 中村に「だから言ったろ。ってか抱かなかったのかよ。勿体無い」と言われてしまうだろうなとか、彼女と今後どのように仕事をしていくべきか、ぼんやり考えながら、ホテルの部屋に戻ることも出来なくて悠也は一旦その場を後にした。

 湿気の強いバンコクの空には、珍しく雲があまりかかっておらず星が綺麗に輝いている。

 早く日本に帰って、めぐみに会いたい。

 慎吾のことを、一旦ちゃんとめぐみと話をしよう。

 お互いどう思っているのか、今後彼女と自分はどうなっていくべきなのか。

 そして、萌のことも整理をしなければならない。
< 56 / 75 >

この作品をシェア

pagetop