時を越え、君を知る。


どうやら眠ってしまっていたようで、誰かが話している声が耳に入り目が覚めた。

「起きたか」
「あ…、おはようございます」

どのくらい寝てしまっていたのか分からないが、随分と頭がスッキリしているので数時間は夢の中にいたのは間違いない。部屋の主が不在なのにも関わらず寝入ってしまっていたことに申し訳なさを感じつつ、長門さんの隣にいる女の子に視線を移した。恐らく、長門さんが言っていた『陸奥』という妹さんだろう。見た目は十代後半くらいの、髪の長い女の子だ。

「俺の妹の陸奥だ。仲良くしてやってくれ」
「陸奥です! よろしくね」
「初めまして、須藤陽菜です。お世話になります」

畏まって挨拶をすると、陸奥さんは眉間に皺を寄せて私の態度に難色を示したようだった。どうかしたのかと尋ねると、海軍は男性しかおらず、同じ依り代達も男性の比率の方が大きいようで、せっかく女同士なのだから砕けた感じに接してほしいとのことだった。

「私もその…心細かったから、友達になってくれると嬉しいな。陸奥ちゃんって呼んでもいい?」
「もちろん! 私も陽菜ちゃんって呼ぶね。あ、これ、お兄ちゃんに頼まれてた服だよ。私のお古でごめんね」

綺麗に畳まれた服を渡される。

「ありがとう! 何かお礼できたら良かったんだけど…」
「いいのいいの。友達になってくれて嬉しいから。…あーあ、お兄ちゃんのフネじゃなくて私のフネに来てくれればいいのに。お兄ちゃん、俺が守るって言うんだもん。私、そこらの軍人よりは強いよ?」
「陸奥が強いのは知っているが、須藤を見付けたのは俺だ。ならば、須藤が帰るのを見届けるのが俺の義務だろう」

私達のやり取りを壁に凭れて聞いていた長門さんが溜め息混じりに口を開いた。陸奥ちゃんがじっと長門さんを見詰めて、そうして視線を私に戻す。兄妹ゆえに視線で何か感じ取ったのだろう、陸奥ちゃんは何だか諦めた顔をしていた。

「そろそろ時間だから私は行かなくちゃいけないんだけど、何か困ったことがあったらいつでも呼んでね。…陽菜ちゃんの進む先がどうか平穏でありますように」
「またお話しようね。陸奥ちゃんも、気を付けて」

気を付けて、という言葉に私はいつもより重みを感じた。この時代において、戦いが勃発すれば人々は常に命の危機と隣り合わせだ。
そう考えているうちに、陸奥ちゃんは元気良く手を降って帰っていってしまった。

「…陸奥ちゃんも戦っているんですよね」
「あいつも依り代だからな」
「…すごいなあ、…皆さん、命懸けで戦っていたんですよね。それに比べて私は…」

劣等感と表現すべきなのか、していいものなのか。平和を享受していただけの私の存在がどうにも申し訳なくなってしまった。

「…お前はそれでいいんだ。いきなりここに来て、戸惑う気持ちは分かる。だが、どうかお前は自分を見失わないでくれ」
「長門さん…?」
「何のために戦うのか、何のために俺は存在しているのか。未来から来たというお前は、その答えといっても過言ではない。俺の成し得ることのその先に、お前のように平和に生きる者が居るというのなら、それが俺の存在理由なのだろう」

だからお前はそのままで居てくれ、と長門さんは言った。

「…さて、陸奥が持ってきた服に着替えた方がいい。俺は飯を持ってくる」

再び部屋に一人になり、陸奥ちゃんが持ってきてくれた服に腕を通す。おおよそサイズは丁度良く、今まで着ていた長門さんの服を畳んでベッドの端に置いた。
コンコンとドアを叩く音が聞こえて大きめの声で返事をする。ドアの向こうから長門さんが着替えが終わったかどうか聞いてきたので、終わった旨を伝えるとドアノブを回す音の後に長門さんの姿が見えた。ふわりと食事の香りが漂ってくる。私のお腹が小さく音を鳴らし、どうか長門さんに聞かれていませんようにと願った。

「腹が減っているようだな。食事の時間が過ぎていたから主計科に言って適当に作ってもらった。口に合うといいんだが」
「わざわざありがとうございます」

長門さんが持ってきてくれたトレーには麦飯と漬け物と焼き魚が乗っていた。

「いただきます」

麦飯は初めて食べたが、身体に良さそうな味がする。漬け物や焼き魚と一緒に食べるとするなら白米よりも相性がいいかもしれない。お腹が空いていたこともあってか、いつもより早いスピードで食べ進めていく。ちらりと横目で長門さんを見ると、少しだけ口角を上げながらこちらを見ていた。

「…どうかしましたか?」
「ああ、いや。美味しそうに食べているなと思ってな」
「とても美味しいです!」
「そうか。主計科の奴等に伝えておこう。きっと喜ぶさ」

先程から長門さんの口から出てくる『主計科』という単語は乗組員の分のご飯を作っているところだろうか。どのくらいの乗組員がいるのかは分からないが、たくさんの人数が乗船しているのだろう。その手際の早さ足るや。

「甘いものは好きか?」
「はい、好きです」
「そうか。ならば今度は甘味を持ってこよう。間宮が来れば羊羮がおすすめなのだが、あいにく合流する予定がなくてな」

間宮…? と、麦飯を咀嚼しながら心の中で考えているとその疑問が伝わったのか、説明してくれた。
補給艦間宮。艦艇に食糧を補給する役割を担っているフネのことで、なんでも間宮羊羮なるものが人気があるらしく、とても美味しいのだとか。他にもラムネやアイスなど、普段の艦隊生活ではなかなか食べることのできないものが作られているフネとのことだった。

「アイスやラムネなどは須藤の時代にもあるだろう? よく食べていたのか?」
「ありますよ。私はアイスをお風呂上がりによく食べていました」
「風呂上がりにか。確かに夏場はいいかもしれんな」

冬でも炬燵に入りながら食べていたっけ、なんて自分のいた時代に想いを馳せた。私の時代では当たり前にできることなのに、ここではそれが贅沢なこと。
ご飯の残りを頬張りながら、当たり前を当たり前にできることの有り難さを実感していた。


迷子になるから一人で歩き回らないようにと念を押されながら、長門さんに艦内を案内してもらったのが、次の日のことだった。乗組員さんの朝は早く、私が長門さんに呼ばれて部屋の外に出た頃にはもう艦隊勤務が始まっていた。

「今は甲板掃除をしている頃合いだ。中腰の姿勢でやらなくてはならないから辛いと嘆いていたな。…ほら、今まさに怒られている者がいる」

甲板に近付くにつれ、怒号が聞こえてくる。

「鬼の山城、地獄の金剛、音に聞こえた蛇の長門…」
「…? 長門さん蛇なんですか?」
「海兵団の頃からこんな歌があったと乗組員に聞いたんだ。地獄の訓練を表現しているらしいが。確かに、山城や金剛は厳しいな」
「会ってみたいような…怖いような…」
「まァ、あいつらも国を護るため、乗組員達を死なせないために厳しくしてるのだろう」

そう言いながら、怒られている乗組員さんを見る長門さんの手には『海軍精神注入棒』と書かれた棒が握られている。用途はあまり聞きたくないので、そっと視線を外した。その時代それぞれに伝統がある。良し悪しは別として。しかし、並々ならぬ厳しい訓練のもと、国を護るべく戦う兵士が育つのだろう。生半可な志では到底不可能なことだ。
乗組員さん達の中には、私より若い人もたくさんいる。同じ人間であるはずなに、背負っているものの大きさが違い過ぎていて、それは推し測ることのできないものだ。

「…須藤? 大丈夫か?」

私達、現代人はどうだろうか?
恵まれた環境に生を受け、ほとんどは戦争を経験したことのない人達ばかりの世の中だ。私もその一人に過ぎない。平和が当たり前で、その時の流れに己を任せ、漂う。

「皆、生きる権利がある、幸せになる権利があるはずなのに…。どうして、生まれた時代が違うだけで、こんなにも生きる環境が違うのでしょうか」

国のためにと戦う命は、これからたくさん散ってゆく。

「…お前が思い悩むことはないだろう。俺達は今を生き抜かなくてはならないんだ。それと同じようにお前も未来を生きなくてはならない。生きる環境は確かに違うだろう。だが、それが課せられた運命ならば、それに従うまでだ」

課せられた運命。目の前の彼は、戦艦の依り代という大きな運命を背負っている。どうだろう、彼は、長門さんは幸せなのだろうか。そこに彼の意思はあるのだろうか。
幸せか? などという問いは決して、投げ掛けてはいけないのだと分かっている。長門さんは戦艦長門としての運命を丸ごと、受け入れているのだから。

「…なぜ泣くんだ」
「いいえ、いいえ、私は泣いていません、」

移り行く時代の中で、多くの犠牲で平和が成り立っているということを、人々はきっと忘れていく。人々の記憶から薄れてしまう。悲しい悲しい出来事はいつか歴史に溶けてしまう。私はこの時代へ来たから、こうして想うことができるようになっただけなのだ。そうでなければ、薄れゆく記憶を思い返すことなどできなかった。

「戦争を知らないことは良いことだと思う。平和になったということだからな。お前はお前の時代を大切に想えばいい。俺はこの戦争を終わらせるために戦う。そうして得た未来を守るのは、須藤、お前達未来を生きる者の務めだ」

長門さんは手に持っていた海軍精神注入棒を傍らに立て掛け、私の涙を少し乱雑に指先で拭った。

「…せっかく磨いた甲板を濡らしてしまうと、怒られるぞ?」
「……すみません」
「俺達は、俺は、幸せなのだろうな。出会ったばかりだというのに、こうしてお前に考えてもらえるのだから」

乗組員さんの怒号を背に、私は長門さんに手を引かれ甲板を後にした。握られた手のひらは暖かく、この人も確かに生きているのだと、いよいよ涙腺は崩壊してしまった。
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