独占欲に目覚めた次期頭取は契約妻を愛し尽くす~書類上は夫婦ですが、この溺愛は想定外です~
私は返答に困り、小さく『ありがとうございます』と答え、さらに続けた。

『ですが、私は仕事を引き継いだだけです。素地を作ってくださったのは前任の楢崎さんや橋本さんです』
『謙虚だね。でも、きみでなければ取れなかった案件も多いと聞くよ。法人部門ばかりが重要視されていた従来の営業姿勢では、うちも時代に置いていかれてしまう。お父上もきみも、本当に文治には欠かせない人間だと思っているよ』

うつむいてしまいそうになるのを耐える。面と向かって褒められるのが苦手なのだ。特に信頼している頭取からの言葉だ。素直に嬉しいし、それを報告し推挙してくれただろう越野支店長に感謝の気持ちでいっぱいになった。

『そんなきみに、今日は大事な相談をもってきた。梢くん、本店営業部に来てくれないか?』

突然の要請だった。私は驚いて、引いていた顎をあげ、頭取の顔を見た。一瞬言葉が出ない。

『転勤……ということですか?』

私の職群は総合職だが、異動は県内のみというのが暗黙の了解が行内にはある。銀行員の常として、三年から五年で異動はあるし、父と同じ店舗にはならないような配慮はされる。
それがいきなり東京の本店営業部? 通常ではあり得ない人事だ。
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