俺様な幼なじみは24年前の約束を忘れない
柳田総合病院はちょうど院長が代替わりをした直後で、新院長はとても若く、仕事が大忙しだったらしい。
奥さまの恵理子さんは、
『主人がいつも家にいなくて…』
と淋しがり、しょっちゅう母を自宅に招いたようだ。
保育士の母も仕事があったので、なかなか付き合いが大変だったようだが、柳田家には小さな男の子が二人いて、恵理子さんが出かけるときは預かったりし、うまく交流していたようだ。
そうこうしているうちに、母に子どもができた。
恵理子さんは大喜びし、お腹の子どもが双子だとわかると、『お世話は私に任せて!』と宣言した。
生まれた私たちが女の子だったことで、恵理子さんはさらにヒートアップした。
『女の子が欲しかったのよー!』
と、私たちにお揃いの服を着せ、代わる代わる柳田家に連れていき、嬉々としてお世話をしてくれた。
驚くべきことに、私たち姉妹は、柳田家の年賀状の家族写真にも登場することになる。
私たちが生まれた年の年賀状は、
「隣の家に双子の赤ちゃんが生まれました」という謎の挨拶文に、私たちを抱く柳田家の 長男 晃介君(5歳)と二男 凌介君(3歳)の写真だったそうだ。
受け取った人たちは、『なんじゃこりゃ』と思っただろう。
でも、柳田総合病院の院長夫人に意見する人は誰もいなかった。
なので、その翌年からも、私たち姉妹は毎年柳田家の家族写真に参加をし続けることになった。
私たちが七歳の年の年賀状には、
「莉子 香子 七五三です」という挨拶文に、千歳飴を持つ私たちと、それを囲む柳田一家の写真が載せられた。
この頃には、年賀状を貰う人も感覚がおかしくなっていて、『双子ちゃん、大きくなって!』などとコメントをする人までいたそうだ。
いや、年賀状の写真が、隣家の子どもの七五三っておかしいでしょ。
慣れって恐ろしい。