契約結婚のはずが、極上弁護士に愛妻指名されました
 だが一方で、名前で呼び合う、ただそれだけのことにこれほどまでにこだわってしまった自分自身にも驚きを感じていた。
 あの時、仮にも結婚しているというのにまったく自分には興味がない様子の渚に、原因不明の苛立ちを感じて衝動的に彼女を腕に閉じ込めた。
 業務中よりも緩く結ばれた黒い髪から香るどこか懐かしいような無垢な香り。思わず触れた頬は見た目通り柔らかく、蜜を湛えた桜色の唇が、甘く和臣を誘った。
 もしあの時、荷物が届かなければ、自分はどうしていただろう……。
 和臣は長い長いため息をついて目を閉じた。
 いったい俺は、なにをやっているんだ。
 彼女とはそんなことをするために結婚したのではない。
 ただ彼女の夢を叶えるために必要だからそうしただけなのだ。
 それなのに……。
 真っ白な頬を染めて『和臣さん』と口にする渚を見るだけで、正体不明の満足感と温かい何かが胸に広がった。
 そして、あの苛立ちをあっというまに消し去った。
 味噌の容器を返してやると、無罪放免とばかりに安心して、渚はまたダンボールの中身に夢中になった。放っておいたらすぐにでもまたキッチンに立ちかねない勢いで。
 とりあえず夕食が冷めるからと食卓へと促して、同居開始の日以来のふたりきりの食卓を囲んだが、それはまるで証人尋問かのごとく質問責めだった。
 どんな米を作っているのか、野菜はどれだけやるのか、どうやってやるのかなど。さすがは食を勉強しているだけあって生産者に対する興味は尽きないようだ。
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