契約結婚のはずが、極上弁護士に愛妻指名されました
「お父さん、これ……」

 事務所の近くにある評判のいい高級仕出し屋の料理長の名刺だった。
 父が懇意にしている仕出し屋で、なにかがあると父はここを使う。上品な味で渚もここの卵焼きが大好きだった。

「免許を取ってもそれだけじゃ店はできんだろう。渚に本当にその気があるなら、独立できるように面倒をみてくださるそうだ。専門学校へも通えるようにしてくださる」

「お父さん」

 渚の目からまた涙が溢れる。
 ぽたぽたと頬を伝う涙が名刺に落ちた。

「お父さん、ありがとう……」

 あのキッチンでの諍いのあと、渚は和臣から結婚を決めた時の話を聞いた。父は和臣に『渚をよろしく』と頭を下げたのだという。
 和臣の実家へも出向いてくれた。
 きっと今回も渚のために、頭を下げてくれたのだ。
 優しい母とは違い、厳しくて口うるさい父は渚と千秋とはいつも距離のある存在だった。でも大切に大切に思われていたことは、母となにも違いはなかった。
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