その一瞬を駆け抜けろ!

わたしが部室に戻ると、
同期で中距離専門の【橋本 咲】が
ロッカーの方を向いてジャージから
私服に着替えているところだった。

咲は、
背中でわたしの気配を感じ取ると

「薫、おつかれさまーっ!

もうみんな先に帰っちゃったよー?
帰りにモスに寄って帰るんだってさー
薫は、どうするー?」

と、言われるもわたしは、返事ができずに
ドア付近にそのまま立っていると、

咲は、わたしが返答しないことを
不思議に思ったようで、

「そんなとこ突っ立たまんま
どうしたの?薫ー??

あっ!沢田さん、なにか用事だったの?」

と、再び声をかけてくれた。


その咲の言葉にわたしは、いままで
張り詰めていたものがプツンと切れるかのように、
静かに椅子に腰かけ、前かがみになりながら、
頭を抱えた。

わたしのことを心配した咲が少し慌てて、
わたしの顔を覗き込むと

ようやく
今しがた沢田さんから言われた言葉たちを
ぽつぽつと話すことができた。

咲は、着替えが終わると、
わたしの正面に座りなおして、
じっと話に耳を傾けてくれていた。

話が終わると、
咲が『ふぅ…』とひとつ息を吐き、


「わたしさ、ぴょんぴょん跳ねて
楽しそうに走る薫の走り、好きだよ。
見てるだけで元気もらえるもん」


「わたしなんてさ、毎日毎日
練習についていくのも必死で、
楽しむ余裕なんてないんだー。

でも速く走れるようになりたいから、
練習してるだけなんだよ。

人に何かを感じてもらえるような
走りができる薫が羨ましいな、って思うよ?」

と言いながら、わたしの手をそっと握ると

「でも沢田さんは、それだけじゃ
納得できないって言ってるんだね?」

と言い、少し考えると


「……そっかー…
沢田さん、薫に期待してるんだ!

でもでも!女子に対して、
なんか言い方がちょっと気に食わない!

もっとさーロマンチックに言ってほしくない?
『君の一番になる姿を見てみたい!』とかさー

わたし、夢見過ぎかな?

沢田さんにそんなこと言われたら、
俄然、やる気出るのにさー」

と怒りと呆れを顕にし始めた咲に、

「そっかぁ、
わたしも怒ってもいいとこだったよね!」
と、言いながら笑ってしまった。
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