あなたしか知らない
♢8


夜中に玄関の音がした。
楓はまだ電気もつけずにそのままソファーに座ったままだった。

帰ってきた⋯⋯

食卓もそのままだった⋯⋯


真一がソファーに座った。
帰った時に玄関と廊下に電気をつけて、部屋に入って暗い部屋で座ったままの楓のシルエットを見て、真一は電気をつけなかった。

廊下からの扉の一部がすりガラスなので、そこからと、扉が薄く開いているので、その隙間から、廊下のあたたかな暖色の光が漏れ、余計、電気をつけないリビングは異様だった。


「そんな顔して、何心配してんの? 」


と真一が言った。
少し酔っ払ってるようだった、ワインか何かだろうか。
あの女の人と?


「はっ、馬鹿らしい! 」


と突然真一が大きな声で言って、ソファーの背に勢いよく身をあずけ、ソファーの背もたれのまま、顔が天井をむく。
そのまま、大きな手で額から前髪を掴み、ギューと握った。


「ああ言う女は言いふらすからな。ちょうど楓がいるから、しなくても全然おかしくない」


(しなくても?何を? )


「しないのと、出来ないのと、見分けはつかない」


(⋯⋯ )


真一が何を言っているのか、よく分からなかった。
でもその言いふらす人と、一緒にいたいんじゃないのか、楓のいないところで会って、10日ぶりに帰ってきて、一緒に出て行って、


「浮気するわけがない」


と真一は吐き出すように急に言った。


「できないんだよ! オレは! 安心したか? 」


真一はそれから、自虐的な笑みを浮かべた。


「別に、あんな女、普通でも欲しくもないけどな」


でも、と真一は血の滲むような声で続けた。


「でも、お前とも出来ないんだよ! 」


吐き捨てるように。
傷つきながら長年の深い傷を凝縮したような。


「イライラするんだ、楓としたいんだ」


楓は何て答えたらいいのかわからなかった。
さすがにおかしいと思っていた、その事を彼は言ってる。
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