陰キャな僕と彼女の二十年後
同級生の話を聞いてはいるけどいつも本読むふりしてた奴、それが僕だった。
周りで同級生たちがおしゃべりしているのに黙って下向いてる子、それが彼女だった。
僕は周りに興味があって、彼女は聞き流している風だったけど、傍から見たらどっちも陰キャだった。
どういう因果か同じ会社に就職して、僕も彼女も飲み会の隅で陰気に水飲んでる同僚になった。
陰キャが同期の華みたいな子に憧れるって話があるけど、僕と彼女はもっと小さな華に憧れた。
「芝田君はちゃんと話聞いてるからえらい。私、話に入れないから聞かないようにしちゃう」
僕が周りに興味を持っていることに気づいてくれたのは彼女だけで、小さな弱さを見せてくれた彼女が、ちょっとかわいいと思った。
「佐野さんは聞かない風にしながら時々表情変えてるよ」
僕が高校の頃から気づいていたことを打ち明けたら、彼女は困ったように、そうだねと言った。
会社の飲み会帰りにそんな話をしたことがきっかけで、僕と彼女は時々仕事以外でも話すようになった。
会社帰りに一緒にとんかつ屋でごはんを食べたり、その後にコーヒーを飲んだりはした。
でも付き合っているというには距離が遠くて、手をつないだりキスしたりしていいのか、僕はけっこう長いこと迷った。
デートらしいこともしないうちに、僕と彼女の会社の経営が傾いて、二人とも猛烈に忙しくなった。
しばらく自分のことで必死で、ある日彼女が長く休んでいることに気づいた。
おもいきって彼女のアパートを訪ねたら、ひどく痩せて目はいっぱい泣いた跡があって、どうしても放っておけなくなった。
「一緒に暮らす?」
そんなチャラいこと言う日が来るとは思ってなかったけど、言葉が口をついて出てしまったから仕方ない。
それはどうなんだろう、ちょっと考えさせてと彼女は言って、もう忘れたかなと思っていた一月後、彼女はそろそろと僕の家にやって来た。
彼女の生活はむしろちゃんとしすぎていたせいで回らなくなっていたのだと、多少いい加減な僕と暮らすうちに気づいてくれたらしい。
彼女はごはんを食べて、やらなくていいことは放っておくようになって、その頃には会社もちょっとましになった。
僕の仕事も落ち着いてきて、彼女も仕事に復帰できた。
ある日彼女と一緒に暮らして数か月して、ふと気づいた。僕も彼女も休日に一回も外に出たことがない。
「芝田君、食べたいものある?」
デートしてなかったのはこういう仕組みだったんだと今更ながらに気づいて、それから彼女がよく僕に食べたいものを訊くことにも遅れて気づいた。
パエリヤって取り寄せできるのかなと、何の気なしにぼんやり口にしたら、すごく美味しいパエリヤを夕ご飯に作ってくれて、彼女が料理上手なことを知った。
彼女が時々掃除機をかけながらかんしゃくを起こすのを見て、ばたばたいろんなものをひっくり返すのが嫌いなことと、その後しょんぼりごめんって言うのがかわいいとも知った。
相変わらずどこも出かけないけど、おうちごはんはとても充実してて、たまにしょげる彼女をつっついたりして、前より暮らしが楽しくなった。
ちなみに彼女のアパートを訪ねた日に勢いで手をつかんでしまったので、手をつなぐステップはクリアしたことになってしまった。
じゃあ次はなんて考えたけど、それを彼女も考えているのか想像したら気恥ずかしくなってきて、どこ吹く風で今日何食べようねなんていつもの話をしていた。
漫画では夏祭りとか、イルミネーションとか、そういうときにキスするんだっけ。でも最終的にはみんな密室で事に至るんだから、別に僕らひきこもりが悪いわけじゃない。
「ちゃんとしなきゃだめじゃないの」
そんな言い訳を心の中でしているうちに、母親にぶすりと言われた。
父にも母にも彼女と暮らしているのは知られていたけど、この場合母親が言ったのは結婚のことだった。
「お互いいい年なんでしょう。相手の親御さんだって心配してるんじゃないかしら」
その年なら子どものことを放っておいてくれと言い返すには、僕はずっと父と母に心配をかけてきた。
およそ友達らしい友達もいたことがなく、かろうじて登校拒否にはならなかったものの、いつも暗い顔で学校に通っていた僕が心の内を話すのは父と母だけだった。
でも母さん、まだキスもしてないんだよとは言えなかった。僕と彼女がごはんを一緒に食べ始めて五年、一緒に暮らしている時間を含めると、そろそろ七年が経とうとしていた。
「親御さんにあいさつに言っていいかな」
勇気を出して彼女に打ち明けて、彼女の両親のところを訪ねた。
「あの子は昔からゆっくりの子だったから、急がないでほしい」
彼女の両親はというと、大体彼女と過ごしていて想像がついていたけど、心配性で、優しい人たちだった。
「あの子とよく話して決めてくれればそれでいいよ」
今すぐには緊張してとても無理だけど、そのうち食卓を囲んで、少し深い話もできそうな気がした。
家に帰ってきて、彼女とテーブルを挟んで黙った。彼女の両親の言う通り、二人で話して決めることなのだった。
「僕は、結婚はしてもしなくても、どちらでもいいけど」
そのとき何かを考えたつもりはなくて、何か理由を思い浮かべたわけでもなかった。
「他の人と結婚することは、一生ないから」
根拠とか何もなくて、ただ心からそう思ったから言った。
「じゃあ」
彼女はたぶん彼女の両親と僕だけが知ってる、むずかゆそうな笑顔で言った。
「結婚しよ」
そうして僕らは結婚することになって、両親に報告しに行った。
呼ぶ友達もいないし、結婚式の代わりに、海の近くの山の上で写真を撮った。
籍を入れて、はじめて泊りがけで旅行をして、一日の終わりに二人で温泉に入った。
出会って二十年経ったねと、電気を消しながら彼女が言った。そういえばもうそんなになるのだと、僕は不思議な思いがした。
次の二十年はもっとすぐなんだろうねと言って、僕は初めて彼女とキスをした。
周りで同級生たちがおしゃべりしているのに黙って下向いてる子、それが彼女だった。
僕は周りに興味があって、彼女は聞き流している風だったけど、傍から見たらどっちも陰キャだった。
どういう因果か同じ会社に就職して、僕も彼女も飲み会の隅で陰気に水飲んでる同僚になった。
陰キャが同期の華みたいな子に憧れるって話があるけど、僕と彼女はもっと小さな華に憧れた。
「芝田君はちゃんと話聞いてるからえらい。私、話に入れないから聞かないようにしちゃう」
僕が周りに興味を持っていることに気づいてくれたのは彼女だけで、小さな弱さを見せてくれた彼女が、ちょっとかわいいと思った。
「佐野さんは聞かない風にしながら時々表情変えてるよ」
僕が高校の頃から気づいていたことを打ち明けたら、彼女は困ったように、そうだねと言った。
会社の飲み会帰りにそんな話をしたことがきっかけで、僕と彼女は時々仕事以外でも話すようになった。
会社帰りに一緒にとんかつ屋でごはんを食べたり、その後にコーヒーを飲んだりはした。
でも付き合っているというには距離が遠くて、手をつないだりキスしたりしていいのか、僕はけっこう長いこと迷った。
デートらしいこともしないうちに、僕と彼女の会社の経営が傾いて、二人とも猛烈に忙しくなった。
しばらく自分のことで必死で、ある日彼女が長く休んでいることに気づいた。
おもいきって彼女のアパートを訪ねたら、ひどく痩せて目はいっぱい泣いた跡があって、どうしても放っておけなくなった。
「一緒に暮らす?」
そんなチャラいこと言う日が来るとは思ってなかったけど、言葉が口をついて出てしまったから仕方ない。
それはどうなんだろう、ちょっと考えさせてと彼女は言って、もう忘れたかなと思っていた一月後、彼女はそろそろと僕の家にやって来た。
彼女の生活はむしろちゃんとしすぎていたせいで回らなくなっていたのだと、多少いい加減な僕と暮らすうちに気づいてくれたらしい。
彼女はごはんを食べて、やらなくていいことは放っておくようになって、その頃には会社もちょっとましになった。
僕の仕事も落ち着いてきて、彼女も仕事に復帰できた。
ある日彼女と一緒に暮らして数か月して、ふと気づいた。僕も彼女も休日に一回も外に出たことがない。
「芝田君、食べたいものある?」
デートしてなかったのはこういう仕組みだったんだと今更ながらに気づいて、それから彼女がよく僕に食べたいものを訊くことにも遅れて気づいた。
パエリヤって取り寄せできるのかなと、何の気なしにぼんやり口にしたら、すごく美味しいパエリヤを夕ご飯に作ってくれて、彼女が料理上手なことを知った。
彼女が時々掃除機をかけながらかんしゃくを起こすのを見て、ばたばたいろんなものをひっくり返すのが嫌いなことと、その後しょんぼりごめんって言うのがかわいいとも知った。
相変わらずどこも出かけないけど、おうちごはんはとても充実してて、たまにしょげる彼女をつっついたりして、前より暮らしが楽しくなった。
ちなみに彼女のアパートを訪ねた日に勢いで手をつかんでしまったので、手をつなぐステップはクリアしたことになってしまった。
じゃあ次はなんて考えたけど、それを彼女も考えているのか想像したら気恥ずかしくなってきて、どこ吹く風で今日何食べようねなんていつもの話をしていた。
漫画では夏祭りとか、イルミネーションとか、そういうときにキスするんだっけ。でも最終的にはみんな密室で事に至るんだから、別に僕らひきこもりが悪いわけじゃない。
「ちゃんとしなきゃだめじゃないの」
そんな言い訳を心の中でしているうちに、母親にぶすりと言われた。
父にも母にも彼女と暮らしているのは知られていたけど、この場合母親が言ったのは結婚のことだった。
「お互いいい年なんでしょう。相手の親御さんだって心配してるんじゃないかしら」
その年なら子どものことを放っておいてくれと言い返すには、僕はずっと父と母に心配をかけてきた。
およそ友達らしい友達もいたことがなく、かろうじて登校拒否にはならなかったものの、いつも暗い顔で学校に通っていた僕が心の内を話すのは父と母だけだった。
でも母さん、まだキスもしてないんだよとは言えなかった。僕と彼女がごはんを一緒に食べ始めて五年、一緒に暮らしている時間を含めると、そろそろ七年が経とうとしていた。
「親御さんにあいさつに言っていいかな」
勇気を出して彼女に打ち明けて、彼女の両親のところを訪ねた。
「あの子は昔からゆっくりの子だったから、急がないでほしい」
彼女の両親はというと、大体彼女と過ごしていて想像がついていたけど、心配性で、優しい人たちだった。
「あの子とよく話して決めてくれればそれでいいよ」
今すぐには緊張してとても無理だけど、そのうち食卓を囲んで、少し深い話もできそうな気がした。
家に帰ってきて、彼女とテーブルを挟んで黙った。彼女の両親の言う通り、二人で話して決めることなのだった。
「僕は、結婚はしてもしなくても、どちらでもいいけど」
そのとき何かを考えたつもりはなくて、何か理由を思い浮かべたわけでもなかった。
「他の人と結婚することは、一生ないから」
根拠とか何もなくて、ただ心からそう思ったから言った。
「じゃあ」
彼女はたぶん彼女の両親と僕だけが知ってる、むずかゆそうな笑顔で言った。
「結婚しよ」
そうして僕らは結婚することになって、両親に報告しに行った。
呼ぶ友達もいないし、結婚式の代わりに、海の近くの山の上で写真を撮った。
籍を入れて、はじめて泊りがけで旅行をして、一日の終わりに二人で温泉に入った。
出会って二十年経ったねと、電気を消しながら彼女が言った。そういえばもうそんなになるのだと、僕は不思議な思いがした。
次の二十年はもっとすぐなんだろうねと言って、僕は初めて彼女とキスをした。