魔女見習いと影の獣
「──まぁまぁまぁ! お帰りなさいませエドウィン様! ご無事で何よりですわ!」
「ただいま、グレンダ。心配をかけてすまなかったね」
「戦場から急に帰還なさるとお手紙を頂いたときは、エドウィン様が大怪我をしたのかと屋敷中が大騒ぎでしたのよ……あら? そちらのお嬢様は?」

 自治都市から馬で二日ほど掛けて到着したゼルフォード邸。
 エドウィンの手を借りて鞍から降りたリアは、立派な豪邸を仰ぐ暇もなく、玄関から勢いよく飛び出してきた初老の婦人に圧倒されていた。
 グレンダと呼ばれた彼女は、白髪混じりの長髪を頭頂部に引っ詰め、地味な色合いのお仕着せを身に纏っている。恐らく屋敷に長く仕えている侍女なのだろう。
 リアがフードを外して控えめに頭を下げれば、エドウィンが穏やかな声で紹介をしてくれた。

「薬師のオーレリア嬢だ。リア、彼女はグレンダ。父の代から屋敷に仕えてくれてる人で、僕の乳母でもある」
「まあ、お若いのに薬師様だなんてご立派……! オーレリア様ですわね、どうぞお見知り置きを」
「あ、は、はい、こちらこそ、グレンダさん」

 お若いのにご立派、ご立派──褒められ慣れていないせいで、その言葉だけが何度もリアの胸中に木霊する。
 彼女が一人で感動していることなど露知らず、グレンダはリアの長い黒髪や菜の花色の瞳をまじまじと見詰め、やがてハッと口を覆った。

「もしや……!! もう、エドウィン様ったら、それならそうと早く仰ってくださいませ」
「え、何が?」
「グレンダは分かっております、分かっておりますとも。ささ、中にお入りくださいな!」
「待て、グレンダ。多分何一つ理解してない、待て」
「皆様ー! エドウィン様がお客様を連れてお帰りになりましたよー!」

 今夜は祭りだと言わんばかりのグレンダの声に、屋敷からどよめきが起こる。歓声と拍手まで聞こえてきたので、リアは驚きつつ彼を窺ってみる。
 エドウィンは呆気に取られた様子で口を開けていたが、やがて恥ずかしそうに目元を隠してしまった。

「賑やかなおうちね」
「……すみません、久しぶりに帰ったので皆興奮しているようです」
「あ……もしかして戦場に行ってる間、帰ったことなかったの?」
「いえ、二年ほど前に一度だけ……それ以降は」

 キーシンとの戦が苛烈を極めているおかげで、伯爵邸の者たちは気が気でなかったことだろう。そしてそれは戦場に赴いていたエドウィンだって同じに違いない。
 だが家族同然の使用人たちと再会できても、彼は今現在も厄介な呪いに苛まれているわけで──エドウィンの複雑な胸中を何となく察したリアは、むんずと彼の手を引いて歩き出す。

「リア?」
「エドウィン、ちょっとゆっくり休んだ方が良いわ。呪いを抜きにしても、あなただいぶ疲れてるもの」
「そんなことは」
「あるの! 私は勝手に寛がせてもらうから気にしないで。ほら、グレンダさん待ってるよ」

 戦で疲弊するのは何も国や土地だけじゃない。戦っている兵士こそ身も心も弱ってしまうものだ。
 過去に何度か戦場から流れてきた負傷兵の手当てをしたことがあるが、皆一様にして顔に覇気がなかったのを覚えている。体の傷は癒えたとしても、心に深く刻まれた傷は──下手をすれば一生消えないと、師匠も言っていた。
 そして、そんな人を癒すのは、苦くて不味い良薬などではなく。

「たくさんご飯食べて、好きな人とたくさん話すことね。エドウィンがまずやるべきことは!」

 あと泥のように寝るのも良いわね、とリアは指折り数えながら後ろを振り返った。
 エドウィンは繋がれた手をじっと見詰めた後、彼女の言葉を噛み締めるように頷いて、笑ったのだった。

「分かりました」
「今の薬師っぽかった?」
「ええ、とても」
< 10 / 156 >

この作品をシェア

pagetop