魔女見習いと影の獣
 一人で王宮の入口に立ったリアは、駄々広い天井と、クリーム色の階段に敷かれた藍の絨毯を見渡し、ふうと息をつく。
 師匠の付き添いで王宮に参内した経験は何度かあれど、それはまだ足元も覚束ないほど幼い頃のことだ。既に記憶も薄れている。
 エントランスホールに集う大勢の人々を観察してみると、やはり歳若い男女が多かった。そわそわと待ち人の姿を探す青年や、頻りに自身の姿を手鏡で確認する少女、幸せそうな顔で寄り添い、奥の広間へと向かう恋人。

 ──完全に場違いだわ。

 リアは神妙な面持ちで口元を覆った。
 もし知っている人に見られたらどうしたらいいのか。アハトなんて「相手もいないのに何で来たんだ?」とからかってくるに決まっている。そんなの自分が聞きたいくらいなのに。
 かと言ってイネスに化粧やドレスまで貸してもらった手前、回れ右して帰るわけにも行かず。

「うーん……料理だけ食べて帰ろうかな。デザート美味しいって聞くし」

 またもや食欲に従って今宵の予定を決めたリアは、渋々と厚手の外套を脱ぎ、歩み寄ってきた侍女に預ける。
 リアが身に纏うのは、肩と背中が大きく開いた、淡い菫色のドレスだった。腰の辺りからふわりと広がるスカートの裾は、前側が少しばかり短く裁断され、散りばめられたスパンコールの煌めきの下に細い足首が覗く。
 薄手のショールを肩から掛け直したリアは、それでも心許ない衣装に二の腕を摩った。

「う、眩しい──」

 そうしていよいよダンスホールの扉をくぐれば、火の精霊によって彩られた無数の燭台がリアを包み込む。
 賑やかな声と音楽が充満する景色の遥か上空、円形の巨大な天窓が、美しい極光の星空をまあるく切り取って空間の一部とし、幻想的な景色を生み出している。 
 不思議とそれは、彼女がいつも星見の間で見るものよりも、いっとう華やかな気がした。

「……リア?」

 こつ、と床を鳴らす靴音に、リアは間の抜けた顔で振り返る。
 そこに立っていたのは、まるで御伽噺から出てきたような美しい人物だった。
 黒を基調とした詰襟の礼服、いつものようにきっちりと束ねられた藍白の髪。左肩を覆うマントのせいか、元から溢れ出ていた気品が更に洗練され──。

「ってエドウィン!?」

 互いに相手の姿を黙って凝視すること数秒、リアは見知った仲である彼の存在をようやく認識する。
 途端に羞恥が込み上げてきたリアは、慌ただしくショールで自分の格好を隠して後ずさった。

「うわわわわびっくりしたぁ!? 何でエドウィンがここに! わ、私は誰かに誘われたらしいんだけど、多分イタズラだろうしもうご飯だけ食べて帰ろうかと」
「あ、誘ったのは僕ですね」
「イタズラじゃなかったごめんなさい! えっ?」

 動揺したまま捲し立てていたリアの時がピタッと止まれば、おかしげに笑ったエドウィンが静かに歩み寄る。

「せっかくアイヤラ祭について教えていただいたのに、ろくに満喫できていなかったものですから。謹慎も解けたことですし、良ければリアと楽しみたいと思って」

 彼は星見の間での夜を指して語りつつ、白い手袋に包まれた左手をそっと差し出した。

 ──エドウィンって発光でもしてるのかしら。眩しいわ。

 そんな馬鹿なことを考えながら、おずおずと優しい手を取れば、菫色の瞳が嬉しそうに細められる。
 彼は時折こうして、元々の穏やかな顔を幼げに崩すことがあった。リアにとっては少々心臓に悪いが、どこか少年のような可愛さを感じるのも事実で。
 熱い首筋を隠すように俯くと、頭上からやわらかな声が降ってくる。

「……そのドレス、リアが選んだのですか?」
「えっ? ううん、イネスのお下がりなんだけど、これが良いよって」
「そうですか。後でお礼を言っておかないといけませんね」

 いやに上機嫌な彼を不思議に思い、リアはその理由を尋ねるつもりで首を傾げた。
 しかしエドウィンは同じように小首を傾げて微笑むと、とぼけるような声で囁く。

「今日は一段と可愛いですね」
「ぶぁッ……な、何を急に……!」
「あなたがホールに入ってきた時から思っていましたよ、別に急じゃありません」
「私にとっては急よ! も、もう過剰なリップサービスは禁止──わっ?」

 照れると逃げ癖が出てしまうのか、段々と腰が引けてきたリアをエドウィンが容易く抱き寄せる。
 流れで手の甲に口付けた彼は、何事も無かったかのような振る舞いでその手をホールの奥へと導いた。

「さて、一曲お願いできますか。リア」
「え、いや、えっ、待って待って、私踊ったことない」
「公的な場でもありませんし、皆さん好きに踊っているようですよ?」
「でもエドウィンはその公的な場で踊ってきた人なのでは!?」

 伯爵ともなれば社交界にも顔を出すだろうし、付き合いで令嬢とダンスをすることだって珍しくない。
 つまりエドウィンは音楽やダンスの教育をきっちりと受けているわけで、ド平民のリアがその技術に付いていけるはずがなかった。
 無理無理と首を振る彼女に笑いながら、されどお構いなしにホールの中央まで進んだエドウィンは、緊張をほぐすように華奢な背中を摩る。

「大丈夫、難しいことは考えなくていいから」

 そっと顔を寄せて囁かれてしまえば、リアはもう頷くしかなかった。勿論それは諦めでも何でもなく──踊る間、彼の手を握っていられることに気付いたからだった。

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