魔女見習いと影の獣
 メイスフィールド大公国のゼルフォード伯爵といえば、つい最近までチャールズ・アストリーのことを指していた。
 それはまさしくエドウィンの父親で、二年ほど前に病で静かに息を引き取ったそうだ。エドウィンが一時的に戦場から戻ってきたのは、父の葬儀と爵位の引継ぎが主な目的だったのだろう。

 ──エドウィン、お父さんの最期を看取れなかったのね。

 伯爵邸に飾られた優しそうな紳士の肖像画を眺めながら、リアはつい眉を下げてしまう。

「旦那様はお眠りになるまで、ずっとエドウィン様を心配しておられましたわ。あの頃はお手紙も途絶えていましたから……はい、オーレリア様、紅茶が入りましたわ」
「あっ、ありがとうございます、グレンダさん」

 白いティーカップを受け取ったリアは、縁に描かれた細やかな花柄に視線を留めた。濃緑のラインを下地に、淡紅色の花びらが舞う様は非常に美しく気品を感じさせる。

「これ、もしかしてべドナーシュの陶器ですか?」
「まあ! よくご存じですわね、大公国ではあまり見かけませんのに」

 べドナーシュ共和国はリアの故郷エルヴァスティの隣にある国で、繊細な模様を施した陶器はいわゆる名産品なのだ。
 茶器に限らず、リアには価値がよく分からない変わった壺や、戦闘には使えなさそうな装飾剣など、とにかく意匠の凝ったものが多い。
 たまに師匠が治療の返礼品として、そういった高価なものを貰っていた。ちなみにそれらをリアが誤って砕いた経験など──絶対に数えてはいけない。

「奥様が好んで集めていらっしゃった物なんですよ」
「奥様……」

 グレンダに促され、先代伯爵チャールズの隣──美しい女性の肖像画に目を向ける。
 見覚えのある藍白の髪と、儚げな菫色の瞳。微かに笑む口元や、膝上に重ねられた白魚のような手など、どこを見ても綺麗な人だった。
 エドウィンの美貌は母親の血を色濃く継いだ結果なのだと、リアは改めて理解する。
 と同時に、この夫人が既に亡くなっていることも。
 隣にある伯爵の肖像画が四十代半ばであるのに対し、夫人は非常に若く、リアより少し歳上といった具合だった。

「……オーレリア様、少しお伺いしてもよろしいですか?」
「はい?」

 エドウィンの両親から視線を外すと、グレンダが少しばかり不安げな顔をしていた。

「エドウィン様は何か……病を患っていらっしゃるのですか? 戦が終わらぬうちに帰還なさったものですから、よほどの事情があったのではと」

 リアは慌ててティーカップを置き、何と説明しようか逡巡する。
 呪いについて明かすか否かはエドウィンに委ねた方が良いとして、この場では薬師として差障りのない内容を伝えておくべきだろうかと。

「ええと……流行り病とかではないので安心してください。戦場で負った心的外傷の経過を診ているだけですから」

 初めて戦場に赴いた兵士が、親しかった同僚の死を目の当たりにして心を病むケースは少なくない。実際問題、エドウィンも表に出していないだけで、長年の戦によって精神的に疲弊しているのは確かだ。
 呪いの治療と併せてそちらも気に掛けるべきだろう。グレンダを始めとしたこの屋敷の人たちと過ごしていれば、自ずと傷は癒えそうだが。

「わ、私どもは何をしたら良いのでしょう?」
「いつも通りで大丈夫ですよ。今はとにかく休養が大事だし……あ、あと戦場でのことはあんまり聞かないであげてください」
「それは勿論でございますわっ。エドウィン様が元の穏やかな暮らしに馴染めるよう、屋敷の者にも周知しておきます」
「はい、よろしくお願いします」

 ──やっぱり大丈夫そう。

 リアは笑顔で頷くと、冷めないうちにと紅茶を飲んだのだった。
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