魔女見習いと影の獣
 馬車の旅は終わったはずが、リアはガタガタと体を震動させながら豪勢な扉を見て硬直する。
 隣には普段と変わらぬ師匠が立っており、今にも爆発しそうな勢いで震える弟子を一瞥した。

「落ち着けオーレリア。陛下は温厚な人だ。少なくとも大巫女よりは確実に温厚だ」
「お師匠様の嘘つき、詐欺師、人でなし」
「何とでも言え。お前が馬車で爆睡してたのが悪い」
「私が寝てる間に説明してたの!? 独り言っていうのよそれ!」

 小声で抗議しているうちに、謁見の間に繋がる大扉がゆっくりと開かれてしまう。弾かれるように姿勢を正したリアは、師匠に促されるまま赤い絨毯の上を進んだ。
 玉座へ続く道の両端には槍を携えた衛兵が並び、ステンドグラスから射し込む光が穂先に反射する。鼻先を真上に向けねばならぬほど高い天井には、メリカント寺院とよく似た天窓と、善神イーリルの降臨を描いた絵画が円形に展開されていた。
 唯一神が選びし人の王──玉座に腰掛ける皇帝シルヴェスター・ガーランド=クルサードは、ヨアキムの顔がよく見える距離になると、不意に目尻をやわらげた。
 すると師匠がおもむろに片膝をついたので、リアもぎこちない動きでそれに倣う。

「よく来てくれた、ヨアキム。我が朋友よ。そして……」

 頭を垂れていたリアは、寄越された視線に気付いて思わず肩を震わせた。拍子に転倒しかければすぐさま師匠から腕を掴まれ、辛うじて持ち直す。
 忙しない師弟のやり取りに笑ったシルヴェスターは、「楽にせよ」と穏やかな口調で告げた。

「そなたがゼルフォード伯爵に手を貸してくれた、例の愛弟子だな。名は何と?」
「おっ……オーレリア・ヴィレンですッ!!」
「声がでかい」

 緊張するあまり普段の倍以上の声で名乗ってしまったリアを、ヨアキムが冷静に(たしな)める。しかして謁見の間に木霊した豪快な自己紹介に、皇帝はやはりおかしげに笑うのみ。

「元気で何より。儂の孫らは──あまり可愛げがないのでな」

 そう言ってからかうような目で見遣った先、隣の椅子に静かに腰掛けていたのはサディアスだった。あまりにも静かだったから気付かなかった、とリアが失礼なことを考えていたら、皇太子が何とも上品な笑みを祖父に返す。

「そうでしょうか。僕も昔は幼子らしく騒いでましたよ?」
「騒いでおったのは周りの者らだろうに」

 はて、とかつての問題児は白々しく首を傾げた。
 ──雑談もほどほどに、居住まいを少しばかり正したシルヴェスターは本題を切り出す。傍に控えていた近衛騎士から書簡を受け取っては、思案げに顎を摩りつつ口を開いた。

「そなたらを呼んだのは他でもない。影の精霊とやらについて、困ったことが起きてな」
「遺跡に何か異変でも?」
「いや、バザロフは大公国軍が厳重に警備をしておる。あそこ自体は問題ないのだが……」

 皇帝は書簡を近衛に返すと、暫しの逡巡を経てヨアキムに尋ねる。

「あの遺跡には元々、キーシンの秘宝が祀られていたそうなのだ。ヨアキム、心当たりはないか?」

 一瞬、リアの頭に星涙の剣が思い浮かんだが、あれは初代大公ハーヴェイ・オルブライトとヨアキムが作った四大精霊の剣であって、キーシンの秘宝とは関係ない。
 それ以外で彼女の印象に残っているものと言えば──おどろおどろしい蛇の彫刻が施された、とても不気味な柱ぐらいだろうか。

「台座がありましたね。ちょうど良かったから星涙の剣を突き刺しましたが……オーレリア、お前は見たか?」
「……」
「おい、どうした」
「あっ、ううん。台座ならエドウィンが見たって言ってたよ。欠けちゃってたみたいだけど……」

 星涙の剣が台座のすぐそばに打ち捨てられていたことも併せて告げれば、既にこの話はエドウィンから直接聞き及んでいるのか、シルヴェスターが「ふむ」と相槌を打つ。

「聞くところによると秘宝は大陸に国が興る前、いやそれより昔から存在したそうでな。大巫女殿はそれを神聖時代と呼んでおったが」
「……!」

 ヨアキムがにわかに驚愕を露わにし、その目を微かに見開いた。
 神聖時代とはその名の通り、神々が地上で暮らしていたとされる太古の時代だ。人間が生まれる以前の時期を大雑把に言い表す場合もあるが、重視されるのは神──すなわち強大な力を誇る精霊が、今日の世界を創造した期間でもあるという点だろう。
 そして昨今のメリカント寺院の研究では、精霊の中には序列があり、人間の言葉に従う四大精霊はあくまで下位のものである一方、最高位に属する複数の大精霊が創世に深く関与していたことが分かっている。
 彼らこそが現代にも語り継がれる善神イーリルや運命の女神ジスといった、歴史上で異常な存在感を放つ神々の正体ではないかとも言われるが、それはまだ憶測の域を出ない。件の大精霊が何人いたのか、どのような姿をしていたのか、名は何と言うのか、そういったことは一つも解明できていないからだ。
 そんな未だ謎多き神聖時代の秘宝がキーシンの遺跡に残されていたと聞き、間の抜けた反応をするリアの横、険しい表情を浮かべたヨアキムが口を開いた。

「神聖時代の秘宝が今もなお地上に残っているのなら、すぐに破壊するか海にでも捨てるべきです。人間ごときじゃ大精霊の力が宿った秘宝なんぞ扱えない。例えそれが精霊術師であっても」
「うむ。大巫女殿も同じ意見だった。キーシンの民に限らず、我らも知らずのうちに秘宝に手を出して、破滅を招いていたかもしれんな。して……ここからが問題なのだ」

 皇帝は悩ましげな溜息をつくと、ちらりとサディアスに目配せをする。皇太子は心得たと頷き、鳶色の瞳をオーレリアへと寄越した。

「オーレリア嬢。イヴァン王子を覚えているかい」
「え……はい。私を攫おうとした王子様ですよね」
「彼が少し前に、武器を捨てて帝国にやって来てね。てっきり和睦を受け入れたのかと思っていたら──どうか秘宝を()()()()()()()()、だとさ」

 言葉の意味を汲み取るまで、少しの時間を要した。戸惑い気味に視線をさまよわせていたリアは、やがてイヴァンの状況を理解して青褪める。そっと隣の師匠を窺い見れば、彼も同様にして顔を強張らせていた。
 各々の反応を認めたサディアスはそれまでの穏やかな笑みを抑えると、低く告げたのだった。

「エルヴァスティの大罪人、ダグラスに秘宝を持ち逃げされてしまったんだ」

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