魔女見習いと影の獣
「──もぉーっ!! だから言ったのに!! 罪人と親しくしても良いことないって!!」
ぐわんぐわんと響く大声。
薄暗い牢屋の中、あぐらをかいたまま唖然とこちらを見上げる赤毛の男。
リアは格子の隙間に腕を突っ込み、限界まで伸ばした手でぺしっと彼の額を指ではじく。あまり威力は出なかった。
「聞いてるのイヴァン!」
「……待て、何故お前がここに」
「あなた詐欺師に騙されたのよ、どれだけ馬鹿なことしてたか分かってるのっ?」
「待てと言ってるだろうが。取り敢えずやかましいから声を落とせ」
キーシンにおける最後の王子イヴァンは、半年前の大公国との戦で深手を負い、敗走を余儀なくされた。
帝国との和睦を受け入れればキーシンの誇りやかつての暮らしが失われることを危惧し、苦渋の末に手を組んだのがエルヴァスティの大罪人、ダグラスだった。
リアはそんな切羽詰まった王子の行動を、差し出口と分かりながらも咎めた過去があるのだが──やはり見事に嵌められてしまったようだ。誘拐されかけた被害者として、さすがに怒りたくもなる。
「あなたが秘宝を奪い返してほしいって言ったから、私のお師匠様も駆り出されることになったのよ。ついでに、一度狙われた私も皇宮に避難させられたみたい」
皇帝は武力に優れたクルサード帝国の騎士団に、エルヴァスティで一、二を争う精霊術師であるヨアキムとユスティーナを加えた体制で、大陸中で危険人物と認定されたダグラスを本格的に追い詰める算段なのだろう。
彼が神聖時代の秘宝を用いて、よからぬことを企てていることは火を見るよりも明らかだ。下手をすれば大陸に悪影響をもたらしかねないとして、各国に緊急招集が掛けたのがここ数か月の運びとなっている。
「……俺が聞いたのは、何故お前が牢に来ているのかということだ」
「え? イヴァンと話したいって言ったらサディアス様が二つ返事でいいよって」
勿論、すぐ近くに監視の騎士は置かれているけれど。
リアとはあまり顔を合わせたくなかったのか、イヴァンはこれみよがしに溜息をつく。がしがしと赤毛を掻く様を見詰めていたリアは、先ほど皇太子から聞いた話を躊躇いがちに尋ねた。
「……ねぇイヴァン、どうしてあなたの民までダグラスに付いて行っちゃったの?」
サディアス曰く、イヴァンが武器を持たずに皇宮までやって来たとき、彼は年端もいかない少年少女を引き連れて現れたという。そこに屈強な戦士たちの姿は一人もなかったとも。
あろうことかキーシンの残党は、王子を見限るばかりかダグラスの側に就いたのだ。
その旨を明かした王子は帝国に降ると同時に、戦えない子どもたちを帝国で保護するよう頼み込んだのだった。
──キーシンの復興を念頭に置いているのなら、ここは罪人と手を切るところだろうに。
リアの困惑を感じ取ったイヴァンは、ちらりとこちらを見遣っては小さくかぶりを振る。
「……言っただろう。俺は何の力も持たないと」
光華の塔の谷底で、確かにイヴァンはそんなことを言っていた。己の力不足ゆえに大公国に敗れてしまった、という意味合いかとリアは思っていたのだが、どうやら王子の苦悩は他の部分にもあったようだ。
「俺は三十年前に死んだキーシン王の……正式な後継者ではない。戦時中に孕ませた下女が産んだというだけの、言ってしまえば孤児だった」
「え……でも一応、王様の血は……」
「流れてはいる。盗みを働きながら食いつないでいたところに、キーシン王の配下が来て──俺に秘宝の所有権を与えると」
バザロフの秘宝。あれはキーシンの王位継承を示す、玉璽と共に引き継がれる宝だとイヴァンは言う。かの国が過去に大帝国として名を馳せていた頃から、国宝として厳重に管理されていたそうだ。
先王の配下は、何も知らずに貧しい生活をしていたイヴァンに秘宝を継がせ、半ば無理やり王子の座に据えた。彼は武術を中心にさまざまな教育を叩き込まれたが、それを素直にありがたく享受できるはずもなく。
盗人上がりの王子の心を支えていたのは──彼が以前から面倒を見ていた戦災孤児たちだった。彼らがいなければ、大公国の戦であっさり命を落としていた自信があると、イヴァンは自嘲気味に苦笑する。
「元から俺は傀儡に過ぎん。散り散りになったキーシンの民を搔き集めるための、お飾りの将だった。だから……奴らが裏切ったことに、何ら疑問はないな」
「そんな……その人たち根性腐りきってるわね」
「思ったよりボロカス言うな」
「ごめんなさい、つい」
しかしリアは発言を撤回する気はなかった。
イヴァンは軍の旗印として戦に駆り出され、分不相応であると自覚しながらも役目を全うしようと必死に足掻いていた。深手を負ってもなお、キーシンの未来のために奮闘していたというのに──使えないと断じるや否やあっさり切り捨てるなんて、ド畜生の他に相応しい呼び方があるだろうか。ある気がするが思い付かない。
憮然とした表情のリアを一瞥し、イヴァンはふと息をつく。
「俺としては肩の荷が下りた気分だ、奴らに執着する理由もない。問題は秘宝がダグラスの手に渡ったことであって……あれだけは取り戻さなければならん。帝国に頭を下げてでもな」
語る面差しはまさしく王子のそれだった。イヴァンは自らを母親や配下からも見放された者として卑下するが、大層な肩書きなどなくとも長年キーシンのために戦ってきた一人の男であることに違いはないはず。
己の行いを悔やむように瞑目した王子に、リアは目線を合わせるべく膝をついた。
「イヴァン、秘宝について詳しく教えて。罪人の足跡はサディアス様たちが追ってくれるから──精霊術師はそいつの狙いを阻止するわ。約束する」
格子の間から右手を差し出す。呆気に取られた様子で顔を上げたイヴァンは、暫しの逡巡の末、バザロフの秘宝に関して語ったのだった。
ぐわんぐわんと響く大声。
薄暗い牢屋の中、あぐらをかいたまま唖然とこちらを見上げる赤毛の男。
リアは格子の隙間に腕を突っ込み、限界まで伸ばした手でぺしっと彼の額を指ではじく。あまり威力は出なかった。
「聞いてるのイヴァン!」
「……待て、何故お前がここに」
「あなた詐欺師に騙されたのよ、どれだけ馬鹿なことしてたか分かってるのっ?」
「待てと言ってるだろうが。取り敢えずやかましいから声を落とせ」
キーシンにおける最後の王子イヴァンは、半年前の大公国との戦で深手を負い、敗走を余儀なくされた。
帝国との和睦を受け入れればキーシンの誇りやかつての暮らしが失われることを危惧し、苦渋の末に手を組んだのがエルヴァスティの大罪人、ダグラスだった。
リアはそんな切羽詰まった王子の行動を、差し出口と分かりながらも咎めた過去があるのだが──やはり見事に嵌められてしまったようだ。誘拐されかけた被害者として、さすがに怒りたくもなる。
「あなたが秘宝を奪い返してほしいって言ったから、私のお師匠様も駆り出されることになったのよ。ついでに、一度狙われた私も皇宮に避難させられたみたい」
皇帝は武力に優れたクルサード帝国の騎士団に、エルヴァスティで一、二を争う精霊術師であるヨアキムとユスティーナを加えた体制で、大陸中で危険人物と認定されたダグラスを本格的に追い詰める算段なのだろう。
彼が神聖時代の秘宝を用いて、よからぬことを企てていることは火を見るよりも明らかだ。下手をすれば大陸に悪影響をもたらしかねないとして、各国に緊急招集が掛けたのがここ数か月の運びとなっている。
「……俺が聞いたのは、何故お前が牢に来ているのかということだ」
「え? イヴァンと話したいって言ったらサディアス様が二つ返事でいいよって」
勿論、すぐ近くに監視の騎士は置かれているけれど。
リアとはあまり顔を合わせたくなかったのか、イヴァンはこれみよがしに溜息をつく。がしがしと赤毛を掻く様を見詰めていたリアは、先ほど皇太子から聞いた話を躊躇いがちに尋ねた。
「……ねぇイヴァン、どうしてあなたの民までダグラスに付いて行っちゃったの?」
サディアス曰く、イヴァンが武器を持たずに皇宮までやって来たとき、彼は年端もいかない少年少女を引き連れて現れたという。そこに屈強な戦士たちの姿は一人もなかったとも。
あろうことかキーシンの残党は、王子を見限るばかりかダグラスの側に就いたのだ。
その旨を明かした王子は帝国に降ると同時に、戦えない子どもたちを帝国で保護するよう頼み込んだのだった。
──キーシンの復興を念頭に置いているのなら、ここは罪人と手を切るところだろうに。
リアの困惑を感じ取ったイヴァンは、ちらりとこちらを見遣っては小さくかぶりを振る。
「……言っただろう。俺は何の力も持たないと」
光華の塔の谷底で、確かにイヴァンはそんなことを言っていた。己の力不足ゆえに大公国に敗れてしまった、という意味合いかとリアは思っていたのだが、どうやら王子の苦悩は他の部分にもあったようだ。
「俺は三十年前に死んだキーシン王の……正式な後継者ではない。戦時中に孕ませた下女が産んだというだけの、言ってしまえば孤児だった」
「え……でも一応、王様の血は……」
「流れてはいる。盗みを働きながら食いつないでいたところに、キーシン王の配下が来て──俺に秘宝の所有権を与えると」
バザロフの秘宝。あれはキーシンの王位継承を示す、玉璽と共に引き継がれる宝だとイヴァンは言う。かの国が過去に大帝国として名を馳せていた頃から、国宝として厳重に管理されていたそうだ。
先王の配下は、何も知らずに貧しい生活をしていたイヴァンに秘宝を継がせ、半ば無理やり王子の座に据えた。彼は武術を中心にさまざまな教育を叩き込まれたが、それを素直にありがたく享受できるはずもなく。
盗人上がりの王子の心を支えていたのは──彼が以前から面倒を見ていた戦災孤児たちだった。彼らがいなければ、大公国の戦であっさり命を落としていた自信があると、イヴァンは自嘲気味に苦笑する。
「元から俺は傀儡に過ぎん。散り散りになったキーシンの民を搔き集めるための、お飾りの将だった。だから……奴らが裏切ったことに、何ら疑問はないな」
「そんな……その人たち根性腐りきってるわね」
「思ったよりボロカス言うな」
「ごめんなさい、つい」
しかしリアは発言を撤回する気はなかった。
イヴァンは軍の旗印として戦に駆り出され、分不相応であると自覚しながらも役目を全うしようと必死に足掻いていた。深手を負ってもなお、キーシンの未来のために奮闘していたというのに──使えないと断じるや否やあっさり切り捨てるなんて、ド畜生の他に相応しい呼び方があるだろうか。ある気がするが思い付かない。
憮然とした表情のリアを一瞥し、イヴァンはふと息をつく。
「俺としては肩の荷が下りた気分だ、奴らに執着する理由もない。問題は秘宝がダグラスの手に渡ったことであって……あれだけは取り戻さなければならん。帝国に頭を下げてでもな」
語る面差しはまさしく王子のそれだった。イヴァンは自らを母親や配下からも見放された者として卑下するが、大層な肩書きなどなくとも長年キーシンのために戦ってきた一人の男であることに違いはないはず。
己の行いを悔やむように瞑目した王子に、リアは目線を合わせるべく膝をついた。
「イヴァン、秘宝について詳しく教えて。罪人の足跡はサディアス様たちが追ってくれるから──精霊術師はそいつの狙いを阻止するわ。約束する」
格子の間から右手を差し出す。呆気に取られた様子で顔を上げたイヴァンは、暫しの逡巡の末、バザロフの秘宝に関して語ったのだった。