魔女見習いと影の獣
非情にも廊下に締め出されたリアは、そこに立っていたエドウィンを恐る恐る見上げた。
きっちりと束ねられた藍白の髪と、青みがかった淡い菫色の双眸を、随分と久しぶりに見た気がする。
心なしか緊張した面持ちの彼から視線を外したところで、リアはまだ再会の挨拶さえしていなかったことを思い出した。
「あっ……えっと、さ、さっきはごめんなさい。久しぶり……エドウィン」
いつも通りとは行かなかったが、何とか言葉を絞り出す。ちらりと表情を窺ってみれば、エドウィンがほっと安堵を滲ませた。
「ええ、またお会いできて嬉しいです。リア」
ふと彼が背を屈めたので、反射的にリアは飛び退こうとした。しかしながら背後の扉にそれ以上の動きは制限され、後頭部を軽く打ち付けるだけに留まる。
その間にエドウィンは彼女の右手を掬い、いつもより性急に次の言葉を紡ぐ。
「長旅でお疲れのところ申し訳ないのですが……少しだけ時間を頂けませんか? あなたと話がしたいのです」
「は、話?」
「はい。二人で」
そこを分かりやすく強調したエドウィンに、一方のリアは分かりやすく狼狽した。
今二人きりになんてなったら、不審な言動ばかりする自信がある。ただでさえ美しすぎる玉顔を前にクラクラとしているのに、リアは大巫女に本音を散々ぶちまけた直後なのだ。
絶叫して逃げ出したいほど恥ずかしい。
エドウィンに先程の話は聞かれていないにしても、リアの心臓はずっと暴れっぱなしだった。
しかしここで逃げてしまったら今までと同じだ。ぎゅっと手を握って小刻みに頷けば、支えるだけだった彼の手がすぐに握り返してくれた。
「良かった。では失礼しますね」
──かと思いきや、エドウィンは引き寄せたリアの腰を両手で掴むと、そのまま強引に抱き上げてしまった。
「ぎょあァ!? なになになに、たっか! 視界が高い! ちょ」
「すみません、何だか今にも逃げられそうな気がして。リアは足が速いから追い付けない可能性もありますし……」
「あれっ、読まれてる……!? さ、さっき逃げたことはもう謝ったのに」
まるで幼い子どものように抱き上げられたリアは、どこに掴まったものかと上体を不安定に揺らす。意を決してエドウィンの頭を抱くようにしがみつけば、正解と言わんばかりにエドウィンが抱え方を変更した。
横抱きにされて体勢は安定したものの、今度は互いの顔の近さにどぎまぎしてしまう。それ以前に体の密着度が高すぎるので、限界に達したリアが目を白黒させたときだ。
「ええ、謝られましたが──許してないのでこのまま運ばせていただきますね」
「……へ……っ!?」
エドウィンに謝って許されなかったことなどあっただろうか。ない。記憶している限りはない。いつも「気にしていませんよ」と笑顔で言ってくれていた彼の、爽やかな謝罪拒否に言葉を失うリア。
本気で動揺する彼女を一瞥したエドウィンは、然して怒った様子もなく微笑を浮かべ、少し離れたところで唖然となっている護衛騎士の二人を招き寄せたのだった。
ユスティーナの滞在する部屋から離れ、エドウィンはリアを横抱きにしたまま皇宮を堂々たる足取りで進む。
宣言通り全く降ろす気配がなく、リアはすれ違う兵士や侍女からじろじろと見られる羽目になってしまった。
リアは徐々に縮こまっていきながら、羞恥で震えた手を彼の肩に押し付ける。
「ね、ねぇエドウィン、どこに向かって……というより、まだ降ろしてくれないの?」
「僕が何に怒ってるか当てられたら降ろしましょうか」
さすが優しいエドウィン、やはり救済措置は用意してくれていた。平素と変わらない甘い笑みを見上げ、リアは勢いよく挙手した。
「それなら分かるわ! えっと、私が感じ悪い態度でエドウィンを無視したこと!」
「あ、違いますね。残念」
「嘘!?」
自信満々に答えたのにあっさり否定され、リアは何故だと顔を覆う。無視されたら誰だって嫌な気分になるではないかと。
なら何がエドウィンの気に障ったのだと記憶を遡るが、アナスタシアとの婚約の噂やら何やらで頭がいっぱいだったので、よく覚えていない。
「じゃあ、私が呑気に城門までほいほい出て行ったこと?」
「いえ、ちゃんと護衛を付けていたではありませんか。まあ、あまり役には立っていなかったですけど」
ぼそりと付け加えられた低い呟きに、びくっと後続の二人が肩を揺らす。リアにしてみれば十分に丁寧な仕事をしていると思うのだが、エドウィンから見るとそうでもなかったらしい。
益々彼のお怒りポイントが分からなくなってきたリアは、取り敢えず次の回答を探して唸り始める。
「うう……エドウィンが話してるところに、城門からいきなり大声で呼んだこと?」
「どこに怒る箇所が?」
「あ、あれ? じゃあ、手紙に薬草のことばっかり飽きもせず書いたこと」
「リアから頂く手紙は何でも嬉しいですよ。全て大切に保管しています」
「ふぐぅっ」
ニヤついてしまった。咄嗟に両手で頬を押し揉みながら、しかしてリアはとうとう沈黙する。
結局、正解に掠りもしなかった彼女は降ろしてもらえないまま、目的地──自分が滞在している部屋に到着してしまった。
実はエドウィンが故意に人通りの多い廊下を選び、それによって無駄な遠回りをしていたことなど、残念ながらリアは知る由もない。ついでに、彼の姿を見た複数の令嬢が絶句していたことも。
客間のソファにすとんと降ろされたリアは、ようやっと訪れた解放に額を拭う。しかし安心するにはまだ早い。今から彼女はエドウィンの話とやらを聞かねばならないのだ。
──な、何の話だろう。婚約? 婚約か?
アナスタシアとの婚約の噂が頭から離れず、強張った顔でリアは身構える。がちがちに緊張している彼女を見てどう思ったのか、エドウィンは逡巡の末、ソファの前に片膝をついた。
「リア」
「な、なに?」
「消毒液はお持ちですか。薄めたもので構いませんので」
「え? あるけど……」
消毒液?
怪我でもしたのかとリアが彼の手を広げたり裏返したりする傍ら、エドウィンは柔和な笑顔を維持したままこう告げたのだった。
「消毒、しなければいけませんよね。リア」
きっちりと束ねられた藍白の髪と、青みがかった淡い菫色の双眸を、随分と久しぶりに見た気がする。
心なしか緊張した面持ちの彼から視線を外したところで、リアはまだ再会の挨拶さえしていなかったことを思い出した。
「あっ……えっと、さ、さっきはごめんなさい。久しぶり……エドウィン」
いつも通りとは行かなかったが、何とか言葉を絞り出す。ちらりと表情を窺ってみれば、エドウィンがほっと安堵を滲ませた。
「ええ、またお会いできて嬉しいです。リア」
ふと彼が背を屈めたので、反射的にリアは飛び退こうとした。しかしながら背後の扉にそれ以上の動きは制限され、後頭部を軽く打ち付けるだけに留まる。
その間にエドウィンは彼女の右手を掬い、いつもより性急に次の言葉を紡ぐ。
「長旅でお疲れのところ申し訳ないのですが……少しだけ時間を頂けませんか? あなたと話がしたいのです」
「は、話?」
「はい。二人で」
そこを分かりやすく強調したエドウィンに、一方のリアは分かりやすく狼狽した。
今二人きりになんてなったら、不審な言動ばかりする自信がある。ただでさえ美しすぎる玉顔を前にクラクラとしているのに、リアは大巫女に本音を散々ぶちまけた直後なのだ。
絶叫して逃げ出したいほど恥ずかしい。
エドウィンに先程の話は聞かれていないにしても、リアの心臓はずっと暴れっぱなしだった。
しかしここで逃げてしまったら今までと同じだ。ぎゅっと手を握って小刻みに頷けば、支えるだけだった彼の手がすぐに握り返してくれた。
「良かった。では失礼しますね」
──かと思いきや、エドウィンは引き寄せたリアの腰を両手で掴むと、そのまま強引に抱き上げてしまった。
「ぎょあァ!? なになになに、たっか! 視界が高い! ちょ」
「すみません、何だか今にも逃げられそうな気がして。リアは足が速いから追い付けない可能性もありますし……」
「あれっ、読まれてる……!? さ、さっき逃げたことはもう謝ったのに」
まるで幼い子どものように抱き上げられたリアは、どこに掴まったものかと上体を不安定に揺らす。意を決してエドウィンの頭を抱くようにしがみつけば、正解と言わんばかりにエドウィンが抱え方を変更した。
横抱きにされて体勢は安定したものの、今度は互いの顔の近さにどぎまぎしてしまう。それ以前に体の密着度が高すぎるので、限界に達したリアが目を白黒させたときだ。
「ええ、謝られましたが──許してないのでこのまま運ばせていただきますね」
「……へ……っ!?」
エドウィンに謝って許されなかったことなどあっただろうか。ない。記憶している限りはない。いつも「気にしていませんよ」と笑顔で言ってくれていた彼の、爽やかな謝罪拒否に言葉を失うリア。
本気で動揺する彼女を一瞥したエドウィンは、然して怒った様子もなく微笑を浮かべ、少し離れたところで唖然となっている護衛騎士の二人を招き寄せたのだった。
ユスティーナの滞在する部屋から離れ、エドウィンはリアを横抱きにしたまま皇宮を堂々たる足取りで進む。
宣言通り全く降ろす気配がなく、リアはすれ違う兵士や侍女からじろじろと見られる羽目になってしまった。
リアは徐々に縮こまっていきながら、羞恥で震えた手を彼の肩に押し付ける。
「ね、ねぇエドウィン、どこに向かって……というより、まだ降ろしてくれないの?」
「僕が何に怒ってるか当てられたら降ろしましょうか」
さすが優しいエドウィン、やはり救済措置は用意してくれていた。平素と変わらない甘い笑みを見上げ、リアは勢いよく挙手した。
「それなら分かるわ! えっと、私が感じ悪い態度でエドウィンを無視したこと!」
「あ、違いますね。残念」
「嘘!?」
自信満々に答えたのにあっさり否定され、リアは何故だと顔を覆う。無視されたら誰だって嫌な気分になるではないかと。
なら何がエドウィンの気に障ったのだと記憶を遡るが、アナスタシアとの婚約の噂やら何やらで頭がいっぱいだったので、よく覚えていない。
「じゃあ、私が呑気に城門までほいほい出て行ったこと?」
「いえ、ちゃんと護衛を付けていたではありませんか。まあ、あまり役には立っていなかったですけど」
ぼそりと付け加えられた低い呟きに、びくっと後続の二人が肩を揺らす。リアにしてみれば十分に丁寧な仕事をしていると思うのだが、エドウィンから見るとそうでもなかったらしい。
益々彼のお怒りポイントが分からなくなってきたリアは、取り敢えず次の回答を探して唸り始める。
「うう……エドウィンが話してるところに、城門からいきなり大声で呼んだこと?」
「どこに怒る箇所が?」
「あ、あれ? じゃあ、手紙に薬草のことばっかり飽きもせず書いたこと」
「リアから頂く手紙は何でも嬉しいですよ。全て大切に保管しています」
「ふぐぅっ」
ニヤついてしまった。咄嗟に両手で頬を押し揉みながら、しかしてリアはとうとう沈黙する。
結局、正解に掠りもしなかった彼女は降ろしてもらえないまま、目的地──自分が滞在している部屋に到着してしまった。
実はエドウィンが故意に人通りの多い廊下を選び、それによって無駄な遠回りをしていたことなど、残念ながらリアは知る由もない。ついでに、彼の姿を見た複数の令嬢が絶句していたことも。
客間のソファにすとんと降ろされたリアは、ようやっと訪れた解放に額を拭う。しかし安心するにはまだ早い。今から彼女はエドウィンの話とやらを聞かねばならないのだ。
──な、何の話だろう。婚約? 婚約か?
アナスタシアとの婚約の噂が頭から離れず、強張った顔でリアは身構える。がちがちに緊張している彼女を見てどう思ったのか、エドウィンは逡巡の末、ソファの前に片膝をついた。
「リア」
「な、なに?」
「消毒液はお持ちですか。薄めたもので構いませんので」
「え? あるけど……」
消毒液?
怪我でもしたのかとリアが彼の手を広げたり裏返したりする傍ら、エドウィンは柔和な笑顔を維持したままこう告げたのだった。
「消毒、しなければいけませんよね。リア」