魔女見習いと影の獣
異なる刃が目にも止まらぬ速さでかち合い、交差するや否や甲高い音を立てて離れる。
剣を大きく振られたにも関わらず、細身の剣士は平静を保ったまま片手で床を突く。
自分より一回り大柄な男を相手に、力勝負を挑むなど以ての外。しかして斬り合いに応じるのも──異国の刃はその形状ゆえに捕らえづらく、滑らせた刃であっという間に首を持っていかれることだろう。
「きゃあーっ! 危ない、スターシェス様!」
後方から金切り声が飛ぶ。
眼前に差し迫る刃を一瞥し、スターシェス──皇女アナスタシアはわずかな動きでそれを躱した。束ねた金髪がはらりと散れば、刺青の戦士が立て続けに追撃を行う。
キーシンの剣術はとにかく攻撃的だ。切断に特化した剣は非常に鋭く、そして驚くほど軽い。反撃の暇を与えることなく、最後は鍛え抜かれた体躯から繰り出される強撃で、素早く獲物を仕留める。
身一つで凶暴な獣を狩るキーシンの民らしい戦法だと、アナスタシアは苦笑をその唇に刻んだ。
「君たち、もう少し下がっていなさい!」
サロンから逃げ遅れてしまった令嬢たちは、青褪めながらも皇女の命令にこくこくと頷いて後ずさる。
キーシンの戦士は戦えぬ者に手出ししないと聞くが、巻き添えを食う可能性は否定できない。令嬢たちが身を寄せ合って後退したところで、アナスタシアは戦いの場をホールから狭い廊下へと移した。
次々と襲い来る攻撃を上手く受け流し、時には攻勢に出る素振りも見せながら。
最中、こつりと踵が壁に当たった瞬間に、獲物を捕捉した刃が勢いよく振られた。アナスタシアの首を刎ね飛ばす軌道に、絶望的な悲鳴が上がったのも束の間。
「っ!?」
飛び散る木屑。
刃が捉えたのは白い首筋ではなく、ちょうどアナスタシアの後ろにあった木製の扉だった。その鋭い切れ味が仇となり、剣は深々と扉の表面に突き刺さる。
致命の一撃を見事に回避した皇女は、立ち上がる力を利用し、そのまま勢いよく敵を斬り付けようとしたが。
「──その格好、まだ続けていらしたのか」
ふっと視界を大きな手に塞がれ、体を強く抱き込まれる。
驚くよりも先に呻き声が床へ落ち、アナスタシアの頬に触れる逞しい胸板が上下した。視界を塞がれたまま引き摺られるようにしてホールへ連れ戻されれば、ようやくその手が外される。
「どうも、お久しぶりですね。アナスタシア姫」
剣を鞘に納めながら、仄かな笑みと共に挨拶をしたのは黒髪の偉丈夫。
日に焼けた健康的な肌と、旅装に包まれていてもなお分かる広い肩。
アナスタシアは暫し呆けたのち、唖然とした面持ちはそのままに彼の腕を強く掴んだ。
「トラヴィス!? 何故ここに!?」
「城下に行こうとしたんですがね。敵の侵入を受けて急遽こちらに。……で、貴女は何故まだ避難しておられないのです?」
皇女の額に滲む汗をひょいと拭ったトラヴィスに、その手慣れた仕草を目撃した令嬢たちから絶叫が上がる。キーシンの戦士が屋内へ侵入して来たときよりも激しい悲鳴だ。
彼女らの抗議めいた声に気付かぬまま、やんわりと咎められたアナスタシアは前のめりになって言い返す。
「あの子たちを置いて逃げられるわけないじゃないか。それに……私も戦えるようになった。トラヴィスも見ただろうっ?」
「ん……まあ見てましたが……」
皇女が胸元で抱き締めている細身の剣。微かに震える手と、少しばかり青くなった唇を順に見たトラヴィスは、そこでかぶりを振った。
「実戦経験はほぼゼロでしょうに。緊急時はご自分の命を最優先し、皇室の一人として自覚ある行動をお願いしますよ」
「あ……すまない」
冷たく叱られてしまい、アナスタシアは返す言葉もなくしゅんと肩を落とす。スターシェスの堂々とした姿しか見たことのない令嬢たちからは、またもや批難の視線がトラヴィスへぶつけられたが。
「とは言え、姫」
落ち込む皇女の顔をそっと覗き込んだ彼は、いつもの脱力した笑みに穏やかな色を滲ませる。
「剣の扱いに関しては驚きました。俺が知らない間に随分と努力なさったんですね」
──とてもご立派です。
低い囁きが耳朶に、速まった心臓にまで馴染む。
アナスタシアはボルドーに彩られた瞼を不意に閉ざすと、片手で顔ごと覆ってしまう。それから心底参ったように深い溜息をつき。
「…………ひ、姫、姫と呼ぶなさっきから……!!」
熱した鉄を水に浸すが如く。音が鳴りそうな勢いで赤面する皇女を見下ろし、トラヴィスはさりげなく令嬢たちの視線を遮りつつ笑った。
「姫は姫でしょう。例え──トラヴィス・シムとかいう田舎騎士の戯言を真に受けて、剣術を嗜んだり男装をしたりしていても」
「今は令嬢たちの前なのだからスターシェスと……って、戯言? きゃっ!?」
ぐいと体が引き上げられ、あっという間にアナスタシアは彼の肩に担がれてしまう。思わず飛び出たか細い悲鳴にハッと口を覆えば、トラヴィスが切り替えるように踵を返した。
「さて、陛下の元へ行きましょうかね」
「まままま待てトラヴィス! 戯言とは何だ!? おなごに興味がないから私とは婚約しないと昔言ったではないか!」
「それで『よし男装しよう』と思う辺り、皇室の血を感じざるを得ませんな。まあその格好もお似合いですが」
「茶化すなトラヴィスっ、お前もしかして男色ではなかったのか!? ただ私との婚約を拒否するためだけにあんな嘘を──トラヴィスッ!!」
衆目も体裁も忘れて必死に叫ぶアナスタシアと、真面目に取り合おうとしないトラヴィス。二人が騒がしく遠ざかる姿を、令嬢たちは無言で見送り、ちらりと顔を見合わせる。
女性を虜にする美麗な貴公子スターシェスがあそこまで取り乱す姿を、彼女らは初めて目撃したわけだが……。
「……良いですわね……一途で乙女なスターシェス様も……」
ちょっと騙されやすいところもまた趣深い。
しみじみとした呟きに、一同は深く頷いたのだった。
剣を大きく振られたにも関わらず、細身の剣士は平静を保ったまま片手で床を突く。
自分より一回り大柄な男を相手に、力勝負を挑むなど以ての外。しかして斬り合いに応じるのも──異国の刃はその形状ゆえに捕らえづらく、滑らせた刃であっという間に首を持っていかれることだろう。
「きゃあーっ! 危ない、スターシェス様!」
後方から金切り声が飛ぶ。
眼前に差し迫る刃を一瞥し、スターシェス──皇女アナスタシアはわずかな動きでそれを躱した。束ねた金髪がはらりと散れば、刺青の戦士が立て続けに追撃を行う。
キーシンの剣術はとにかく攻撃的だ。切断に特化した剣は非常に鋭く、そして驚くほど軽い。反撃の暇を与えることなく、最後は鍛え抜かれた体躯から繰り出される強撃で、素早く獲物を仕留める。
身一つで凶暴な獣を狩るキーシンの民らしい戦法だと、アナスタシアは苦笑をその唇に刻んだ。
「君たち、もう少し下がっていなさい!」
サロンから逃げ遅れてしまった令嬢たちは、青褪めながらも皇女の命令にこくこくと頷いて後ずさる。
キーシンの戦士は戦えぬ者に手出ししないと聞くが、巻き添えを食う可能性は否定できない。令嬢たちが身を寄せ合って後退したところで、アナスタシアは戦いの場をホールから狭い廊下へと移した。
次々と襲い来る攻撃を上手く受け流し、時には攻勢に出る素振りも見せながら。
最中、こつりと踵が壁に当たった瞬間に、獲物を捕捉した刃が勢いよく振られた。アナスタシアの首を刎ね飛ばす軌道に、絶望的な悲鳴が上がったのも束の間。
「っ!?」
飛び散る木屑。
刃が捉えたのは白い首筋ではなく、ちょうどアナスタシアの後ろにあった木製の扉だった。その鋭い切れ味が仇となり、剣は深々と扉の表面に突き刺さる。
致命の一撃を見事に回避した皇女は、立ち上がる力を利用し、そのまま勢いよく敵を斬り付けようとしたが。
「──その格好、まだ続けていらしたのか」
ふっと視界を大きな手に塞がれ、体を強く抱き込まれる。
驚くよりも先に呻き声が床へ落ち、アナスタシアの頬に触れる逞しい胸板が上下した。視界を塞がれたまま引き摺られるようにしてホールへ連れ戻されれば、ようやくその手が外される。
「どうも、お久しぶりですね。アナスタシア姫」
剣を鞘に納めながら、仄かな笑みと共に挨拶をしたのは黒髪の偉丈夫。
日に焼けた健康的な肌と、旅装に包まれていてもなお分かる広い肩。
アナスタシアは暫し呆けたのち、唖然とした面持ちはそのままに彼の腕を強く掴んだ。
「トラヴィス!? 何故ここに!?」
「城下に行こうとしたんですがね。敵の侵入を受けて急遽こちらに。……で、貴女は何故まだ避難しておられないのです?」
皇女の額に滲む汗をひょいと拭ったトラヴィスに、その手慣れた仕草を目撃した令嬢たちから絶叫が上がる。キーシンの戦士が屋内へ侵入して来たときよりも激しい悲鳴だ。
彼女らの抗議めいた声に気付かぬまま、やんわりと咎められたアナスタシアは前のめりになって言い返す。
「あの子たちを置いて逃げられるわけないじゃないか。それに……私も戦えるようになった。トラヴィスも見ただろうっ?」
「ん……まあ見てましたが……」
皇女が胸元で抱き締めている細身の剣。微かに震える手と、少しばかり青くなった唇を順に見たトラヴィスは、そこでかぶりを振った。
「実戦経験はほぼゼロでしょうに。緊急時はご自分の命を最優先し、皇室の一人として自覚ある行動をお願いしますよ」
「あ……すまない」
冷たく叱られてしまい、アナスタシアは返す言葉もなくしゅんと肩を落とす。スターシェスの堂々とした姿しか見たことのない令嬢たちからは、またもや批難の視線がトラヴィスへぶつけられたが。
「とは言え、姫」
落ち込む皇女の顔をそっと覗き込んだ彼は、いつもの脱力した笑みに穏やかな色を滲ませる。
「剣の扱いに関しては驚きました。俺が知らない間に随分と努力なさったんですね」
──とてもご立派です。
低い囁きが耳朶に、速まった心臓にまで馴染む。
アナスタシアはボルドーに彩られた瞼を不意に閉ざすと、片手で顔ごと覆ってしまう。それから心底参ったように深い溜息をつき。
「…………ひ、姫、姫と呼ぶなさっきから……!!」
熱した鉄を水に浸すが如く。音が鳴りそうな勢いで赤面する皇女を見下ろし、トラヴィスはさりげなく令嬢たちの視線を遮りつつ笑った。
「姫は姫でしょう。例え──トラヴィス・シムとかいう田舎騎士の戯言を真に受けて、剣術を嗜んだり男装をしたりしていても」
「今は令嬢たちの前なのだからスターシェスと……って、戯言? きゃっ!?」
ぐいと体が引き上げられ、あっという間にアナスタシアは彼の肩に担がれてしまう。思わず飛び出たか細い悲鳴にハッと口を覆えば、トラヴィスが切り替えるように踵を返した。
「さて、陛下の元へ行きましょうかね」
「まままま待てトラヴィス! 戯言とは何だ!? おなごに興味がないから私とは婚約しないと昔言ったではないか!」
「それで『よし男装しよう』と思う辺り、皇室の血を感じざるを得ませんな。まあその格好もお似合いですが」
「茶化すなトラヴィスっ、お前もしかして男色ではなかったのか!? ただ私との婚約を拒否するためだけにあんな嘘を──トラヴィスッ!!」
衆目も体裁も忘れて必死に叫ぶアナスタシアと、真面目に取り合おうとしないトラヴィス。二人が騒がしく遠ざかる姿を、令嬢たちは無言で見送り、ちらりと顔を見合わせる。
女性を虜にする美麗な貴公子スターシェスがあそこまで取り乱す姿を、彼女らは初めて目撃したわけだが……。
「……良いですわね……一途で乙女なスターシェス様も……」
ちょっと騙されやすいところもまた趣深い。
しみじみとした呟きに、一同は深く頷いたのだった。