魔女見習いと影の獣
「皇太子殿下! キーシンの首長を捕縛いたしました!」
玉座の間に届けられた一報を受け、皆が胸を撫で下ろした。
隠し通路より避難したシルヴェスターに代わり皇宮全体の指揮を執っていたサディアスも、相好を少しばかり崩しては「ご苦労」と短く言葉を掛ける。
「首長は牢に繋いでおけ、後で王子に会わせる」
「御意に。投降しない者は如何なさいますか」
「手向かうようなら始末せよ。ただし逃げる者は追うな」
「はっ」
将校の男が一礼し、すぐさま踵を返した。
初めから負け戦と承知の上だったのか、既に半数以上の敵が武装を解き投降の意を示していると聞いたが、それでも往生際の悪い者はいる。現首長を始めとする、イヴァン王子を傀儡として扱っていた一部の者らは、みな激しく抵抗することだろう。
だが女神ジスの名を復活させるためとは言え、大罪人などと手を組んだのが運の尽きだ。後先を考えられぬ愚か者にはここで潔く散ってもらう。
──今後のキーシンに必要なのは、彼らではない。
「サディアス殿下、姫君をお連れいたしましたよ」
「ん?」
ふと声を掛けられて振り返ってみれば、頬に見事な手形をつけたトラヴィスと、避難し遅れていた従妹の姿がそこにあった。
珍しく不機嫌さを丸出しにしているアナスタシアを一瞥し、サディアスはへらりと口角を上げる。
「無事で良かったよアーシャ。ところで何故バロウズ卿を殴ったんだい」
「十年ほど嘘をつかれていたので罰しました」
「可哀想に。それは卿が悪いね」
トラヴィスが密かに頬を引き攣らせていることを知りつつ、しれっと従妹の味方についておいた。
何はともあれ皇族で安否不明だったのはアナスタシアで最後だ。皇女の親衛隊、もといサロンの令嬢たちの無事も確認できたため、ひとまず深刻な被害は免れた──と言いたいところだが。
「ゼルフォード卿は?」
「先にオーレリアを追わせました。報告が遅れて申し訳ありません」
「いや、それで良いよ」
わざわざ皇宮に匿ったというのに、まんまと大罪人ダグラスに奪われてしまったオーレリア。それから彼女の師であるヨアキムは手当てを終えたものの、まだ意識が戻っていないと聞いた。
大公家の恩人たる師弟を救えずして、此度の事件を終わらせるわけには行くまい。
「バロウズ卿、大巫女殿を北門に連れて来てくれるかい。すぐにゼルフォード卿の後を追う」
「御意」
「それとアーシャ、お前は陛下をお守りするように」
「はい、殿下」
二人に指示を下したサディアスは、近衛から渡された外套を手にしつつ外へ向かった。
いまだ騒々しさを残す皇宮の大広間。外の光がサディアスの瞼を狭める頃、大勢の騎士に拘束された血塗れの男とすれ違う。
瞳だけを動かしてそちらを見れば、憎悪に満ちた形相が彼を出迎えた。額に刻まれた刺青は煮え滾る怒りに歪み、剥き出しの歯から震えた息が抜ける。
手負いの獣のごとく唸り、今にも襲い掛かって来そうな男を一瞥し、しかしてサディアスは何を言うこともなく歩を進めた。
「女神ジスを、己を脅かす神を殺せて満足か!? 君主を気取る冒涜者どもめ!!」
背を向けた途端、男が口汚く罵る。すかさず周囲の騎士が取り押さえたが、なおも男の──首長の声は続いた。
「神は人の為あらず! 欲にまみれたイーリルの徒に、大陸の覇権など握れるものか!」
サディアスはその言葉にふと足を止め、溜息交じりに振り返る。
鳶色の瞳に呆れを宿した彼は、冷ややかな声音で息巻く男へ告げた。
「まだそのような話をしているのか……道理で戦が終わらぬわけだ」
「何をっ……」
「我らが何度、貴様らに和睦を申し入れたと思っている。キーシンの文明を滅ぼすわけではないと、何度説明したと思っている? それをことごとく撥ねつけ、互いの犠牲を増やし続けたのは他でもない貴様らであろう」
そもそも帝国は、祖父は覇権などを握るために戦を起こしたのではない。大陸各地に乱立していた神と、それゆえに生じる戦を無くすため、実弟と共に征服戦争に踏み切ったのだ。
のちに善神イーリルの信仰が大きな悲劇を生んだこともあったが、それは事実上の覇者となった帝国への罰であると同時に、真の平穏を手にするために必要な時間でもあった。
征服戦争と魔女狩りを経て、居丈高だった教会もようやく変わりつつあるというのに。
その前向きな変化を、キーシンの民は──否、この男はひとつも受け入れようとしなかった。
「老害が、いつまでそこにいるつもりだ。時代はとっくに変わっているぞ」
神の下に命尽きるまで戦う時代は、三十年前に終わったのだ。
イヴァンが子どもたちを連れて亡命した理由を、果たしてこの男は理解できたのだろうか。
サディアスは未だ憎しみに溺れたままの刺青を睨み下ろし、牢獄へ連行するよう騎士に促したのだった。
玉座の間に届けられた一報を受け、皆が胸を撫で下ろした。
隠し通路より避難したシルヴェスターに代わり皇宮全体の指揮を執っていたサディアスも、相好を少しばかり崩しては「ご苦労」と短く言葉を掛ける。
「首長は牢に繋いでおけ、後で王子に会わせる」
「御意に。投降しない者は如何なさいますか」
「手向かうようなら始末せよ。ただし逃げる者は追うな」
「はっ」
将校の男が一礼し、すぐさま踵を返した。
初めから負け戦と承知の上だったのか、既に半数以上の敵が武装を解き投降の意を示していると聞いたが、それでも往生際の悪い者はいる。現首長を始めとする、イヴァン王子を傀儡として扱っていた一部の者らは、みな激しく抵抗することだろう。
だが女神ジスの名を復活させるためとは言え、大罪人などと手を組んだのが運の尽きだ。後先を考えられぬ愚か者にはここで潔く散ってもらう。
──今後のキーシンに必要なのは、彼らではない。
「サディアス殿下、姫君をお連れいたしましたよ」
「ん?」
ふと声を掛けられて振り返ってみれば、頬に見事な手形をつけたトラヴィスと、避難し遅れていた従妹の姿がそこにあった。
珍しく不機嫌さを丸出しにしているアナスタシアを一瞥し、サディアスはへらりと口角を上げる。
「無事で良かったよアーシャ。ところで何故バロウズ卿を殴ったんだい」
「十年ほど嘘をつかれていたので罰しました」
「可哀想に。それは卿が悪いね」
トラヴィスが密かに頬を引き攣らせていることを知りつつ、しれっと従妹の味方についておいた。
何はともあれ皇族で安否不明だったのはアナスタシアで最後だ。皇女の親衛隊、もといサロンの令嬢たちの無事も確認できたため、ひとまず深刻な被害は免れた──と言いたいところだが。
「ゼルフォード卿は?」
「先にオーレリアを追わせました。報告が遅れて申し訳ありません」
「いや、それで良いよ」
わざわざ皇宮に匿ったというのに、まんまと大罪人ダグラスに奪われてしまったオーレリア。それから彼女の師であるヨアキムは手当てを終えたものの、まだ意識が戻っていないと聞いた。
大公家の恩人たる師弟を救えずして、此度の事件を終わらせるわけには行くまい。
「バロウズ卿、大巫女殿を北門に連れて来てくれるかい。すぐにゼルフォード卿の後を追う」
「御意」
「それとアーシャ、お前は陛下をお守りするように」
「はい、殿下」
二人に指示を下したサディアスは、近衛から渡された外套を手にしつつ外へ向かった。
いまだ騒々しさを残す皇宮の大広間。外の光がサディアスの瞼を狭める頃、大勢の騎士に拘束された血塗れの男とすれ違う。
瞳だけを動かしてそちらを見れば、憎悪に満ちた形相が彼を出迎えた。額に刻まれた刺青は煮え滾る怒りに歪み、剥き出しの歯から震えた息が抜ける。
手負いの獣のごとく唸り、今にも襲い掛かって来そうな男を一瞥し、しかしてサディアスは何を言うこともなく歩を進めた。
「女神ジスを、己を脅かす神を殺せて満足か!? 君主を気取る冒涜者どもめ!!」
背を向けた途端、男が口汚く罵る。すかさず周囲の騎士が取り押さえたが、なおも男の──首長の声は続いた。
「神は人の為あらず! 欲にまみれたイーリルの徒に、大陸の覇権など握れるものか!」
サディアスはその言葉にふと足を止め、溜息交じりに振り返る。
鳶色の瞳に呆れを宿した彼は、冷ややかな声音で息巻く男へ告げた。
「まだそのような話をしているのか……道理で戦が終わらぬわけだ」
「何をっ……」
「我らが何度、貴様らに和睦を申し入れたと思っている。キーシンの文明を滅ぼすわけではないと、何度説明したと思っている? それをことごとく撥ねつけ、互いの犠牲を増やし続けたのは他でもない貴様らであろう」
そもそも帝国は、祖父は覇権などを握るために戦を起こしたのではない。大陸各地に乱立していた神と、それゆえに生じる戦を無くすため、実弟と共に征服戦争に踏み切ったのだ。
のちに善神イーリルの信仰が大きな悲劇を生んだこともあったが、それは事実上の覇者となった帝国への罰であると同時に、真の平穏を手にするために必要な時間でもあった。
征服戦争と魔女狩りを経て、居丈高だった教会もようやく変わりつつあるというのに。
その前向きな変化を、キーシンの民は──否、この男はひとつも受け入れようとしなかった。
「老害が、いつまでそこにいるつもりだ。時代はとっくに変わっているぞ」
神の下に命尽きるまで戦う時代は、三十年前に終わったのだ。
イヴァンが子どもたちを連れて亡命した理由を、果たしてこの男は理解できたのだろうか。
サディアスは未だ憎しみに溺れたままの刺青を睨み下ろし、牢獄へ連行するよう騎士に促したのだった。