魔女見習いと影の獣
 エドウィンは庭園をゆったりとした歩調で進み、やがて伯爵邸の中へと戻る。
 夜会に使用される饗宴の間や、客人を接待するための東の間、大人数をもてなすときに開かれる広い食堂。部屋の用途によって壁の色や装飾がそれぞれ異なり、されど統一感のある造りは見る者を退屈させない。
 半ば放心状態で美しい伯爵邸を見学し終えたリアは、二階の中央広間でわけもなく汗を拭ってしまった。

「途中から息止めてたわ。凄い屋敷ね……」
「息はしてくださいね。少しは楽しめましたか?」
「めちゃくちゃ楽しめました」

 真剣な表情で答えれば、エドウィンが笑いまじりに頷く。
 彼と初めて出会った日に比べると、やはりその笑顔も明るく爽やかだ。いや彼は元から爽やかなのだが、自治都市では少し面窶(おもやつ)れしていた。

 ──これで呪いさえ祓うことが出来れば万事解決なのにな。

 部屋に戻ったらもう一度だけ師匠に伝言を送って、精霊にまつわる逸話を片端から洗ってみよう、とリアが思案げに腕を組んだとき。

「リア、近いうちに大公宮に行かなければならないのですが……一緒に来ますか?」
「え? 大公宮?」
「はい。セシル公子殿下から久しぶりに会おうと文が届きまして」

 セシル・オルブライト=メイスフィールド。次期大公の座に就くと言われている、大公家の長男だ。
 公子はまだ十歳と幼く、エドウィンが戦地へ赴く前からとても懐いていたそうな。昔よく遊んでくれた兄のような存在が無事に帰国したと聞き、急いで手紙を(したた)めたのだろう。何と健気で可愛らしいことか。

「殿下にお会いした後、国立図書館を訪ねようかと。あそこにはメイスフィールドの建国記などが置かれていますから」
「あ! それ読みたい! 私も入って大丈夫なの?」
「ええ。入館の許可証を渡しますので、それがあれば問題ありませんよ」
「ありがとうっ」

 リアはつい両手でガッツポーズをしてしまった。
 平民ゆえ閲覧できる範囲は限られるだろうが、国立図書館なら過去の──初代メイスフィールド大公についての記録が読めるだろう。彼は征服戦争で華々しい功績を残したと聞くし、多少の脚色はあれどその活躍は詳しく残されているはずだ。
 もしかしたら大公家に今起きている呪いに、何か関連する事柄が見付かるかもしれない。

「グレンダに支度を頼んでおきますね。では」
「うん?」

 支度?
 リアが目を瞬かせたことにも気が付かず、エドウィンは執務部屋へ戻ってしまった。



 その後、嬉々としてリアの前に現れたのは、件のグレンダだった。
 彼女は数人のメイドが運んできた衣裳櫃(いしょうびつ)を開き、仕立てのよい服を次々とリアに合わせていく。わけが分からぬまま着せ替え人形になっていたリアは、グレンダがパステルピンクのドレスをずるりと引き摺り出してきた時点で我に返った。

「うわわわわ!? 待ってグレンダさん! これ何の時間ですか!?」
「あら! エドウィン様からお支度を、と指示を受けたのですが……お聞きになっていませんか?」

 さりげなく華やかなドレスを櫃に押し戻しながら、リアは疑問符を浮かべる。
 曰く大公宮へ向かうのなら、それなりの装いをしなくてはならないそうだ。貴族は当然として、宮へ出入りする商人も例外ではない。君主の住まう家にぼろ布でも纏って行こうものなら、たちまち衛兵に捕縛されることだろう。
 それは極端な例としても、ちゃんとした服の一着も用意できないのかと、文官や貴族から白い眼を向けられてしまうことは往々にしてある。
 エドウィンはそんな不愉快な事態を防ぐために、リアの身なりを整えるようグレンダに言ったのだ。

「なるほど、それは難儀な……って、いやでも、さすがに貴族のお嬢さんみたいなドレスは……」
「ふふ、オーレリア様は控えめですのね。ですが」

 グレンダは上品に口を隠しながら笑うと、視線だけで周囲を見るよう促す。
 恐る恐る周りを見てみれば、そこには一様にキラキラと瞳を輝かせるメイドの姿が。既にその手にはそれぞれ衣裳が抱えられている。
 彼女らから異様な熱視線を浴びたリアは、つい後ずさる。
 しかして大股に間合いを詰めたメイドたちは、そこから鼻息荒く語り出した。

「薬師様! 若い女性をこれでもかと飾り立てる機会、そう易々と手放すわけには参りませんわ!」
「その綺麗な御髪も前からずっと結い上げてみたいと思っておりましたのよ!」
「エドウィン様が新しく購入してもよいと仰ったのです、どうか遠慮せず!」
「お、お手柔らかにぃ!!」

 釣られて大声で返したリアは、用意された衣装の中でも比較的質素で、それでも品のあるものを激闘の末に勝ち取ったのだった。
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