魔女見習いと影の獣
──エドウィンの指示に従ってリアが駆け込んだ先は、セシル公子が住まうアズライト宮の庭園だった。
貴人の私的空間に無断で踏み込んだことを知り、リアは自分の首が吹っ飛ぶ様を思い浮かべたが、それは件の騎士があっさりと否定した。
「エドウィンから話は聞いた。呪いの件も、お前が精霊術師であることもな」
「あっ……そ、そうですか」
「しかし我々と別れた直後に発動するとは……言っていた通り影の獣、だな」
アズライト宮の一室にて、トラヴィスと名乗った騎士はどかりと椅子に腰を掛けるなり、何とも信じがたい顔つきで黒い靄を見詰める。
真っ黒な獣がソファにちょこんと座る様は、失礼ながらぬいぐるみに見えなくもない。
しかし先程、このぬいぐるみ──エドウィンがリアを庇うように自ら立ち塞がってくれたおかげで、トラヴィスは速やかに状況を把握することができた。すぐさま彼は二人をまとめて肩に担ぎ、アズライト宮の中へ直行。リアが軽く酔い始めた頃にこの部屋へ到着した次第だ。
「オーレリアとか言ったか。呪いについて何か掴めたことは?」
「まだはっきりしたことは……でも」
リアはちらりと獣を一瞥してから、呪いが発動した瞬間を思い返す。
「……精霊術で対抗できるものだとは、思います」
「!」
獣の頭がこちらを見上げるように動いたので、リアは笑顔で頷いておく。
しかしトラヴィスの方へ視線を戻すと、後ろの壁まで貫くような鋭い眼差しに射抜かれた。諸々の話は聞いたが見ず知らずの女は信用していない、とでも言いたげである。それは尤もだが、ここで曖昧な態度を取るわけにもいかない。
リアは頬を引き攣らせながら、獣を膝に乗せて口を切った。
「エドウィンには精霊の加護を授けたお守りを持ってもらってました。それがさっき半分に砕けてたので……呪いが精霊と全く関係ない、ってことはなさそうなんです」
大公家に伝わる呪いが精霊と全く関係のない祟りだったのなら、アミュレットは砕けなかったはずだ。二つの事象に関連性があり、なおかつ相反する属性であるからこそ力の衝突が起こったと見るべきだろう。
呪いがアミュレットを破壊した。それすなわち呪いが精霊の力を疎んじていることにならないだろうか、とリアは推測を立てた。
「エドウィンが獣になって意識がはっきりしてるのも……今回が初めてじゃない?」
膝元を覗き込めば、肯定するように獣の尻尾が縦に動く。
以前リアの手を叩き落として逃亡したときと比べて、彼はとても落ち着いている。ちゃんと人間の記憶も保持されているようだし、明日の朝までには元の姿に戻れるのではないだろうか。
──それは希望的観測が過ぎるかしら。
リアは少しばかりの逡巡を経て、未だ険しい顔をしているトラヴィスに告げた。
「後でもう一度お守りを作ってみます。そうしたら元に戻りやすくなるかもしれない」
「……。そうか。精霊術師を騙る詐欺師だったら斬り伏せようかと思っていたが、どうやら本物らしい」
「ひえ……」
面と向かって言わなくていい。
いや、呪いは大公家の重要機密なのだから当然の反応だが──しっかり説明して良かったとリアは胸を撫で下ろす。
そこではたと思い出したことは、この物騒な御仁がセシル公子の護衛騎士だということ。呪いについても詳しく知らされている辺り、大公家ととても近しい関係にあるのだろう。
ならばと、彼女は王立図書館で調べきれなかった事柄について尋ねてみた。
「トラヴィスさん、今までに呪われた人たちについて聞いても良いですか?」
「どこへ消えたかは知らんぞ?」
「ああ、そうじゃなくって……もしかしてその人たち、戦場に行ってたりしないかな、と……」
リアは初代大公とエドウィンが、時代は違えど同じ北方の戦場に身を置いていたことを話す。初代大公が呪いに掛かっていたと仮定するならば、その共通点に何かがあるのではないかと。
トラヴィスは彼女の問いに暫し考え込んでいた。記憶を遡るように、部屋に備え付けられた暖炉の闇を見詰め、やがて低く答えたのだった。
「……十年前に呪いで失踪した御方は、紛争の鎮圧に向かったことがあるはずだ。戦場は北方……キーシンの近くだった」
貴人の私的空間に無断で踏み込んだことを知り、リアは自分の首が吹っ飛ぶ様を思い浮かべたが、それは件の騎士があっさりと否定した。
「エドウィンから話は聞いた。呪いの件も、お前が精霊術師であることもな」
「あっ……そ、そうですか」
「しかし我々と別れた直後に発動するとは……言っていた通り影の獣、だな」
アズライト宮の一室にて、トラヴィスと名乗った騎士はどかりと椅子に腰を掛けるなり、何とも信じがたい顔つきで黒い靄を見詰める。
真っ黒な獣がソファにちょこんと座る様は、失礼ながらぬいぐるみに見えなくもない。
しかし先程、このぬいぐるみ──エドウィンがリアを庇うように自ら立ち塞がってくれたおかげで、トラヴィスは速やかに状況を把握することができた。すぐさま彼は二人をまとめて肩に担ぎ、アズライト宮の中へ直行。リアが軽く酔い始めた頃にこの部屋へ到着した次第だ。
「オーレリアとか言ったか。呪いについて何か掴めたことは?」
「まだはっきりしたことは……でも」
リアはちらりと獣を一瞥してから、呪いが発動した瞬間を思い返す。
「……精霊術で対抗できるものだとは、思います」
「!」
獣の頭がこちらを見上げるように動いたので、リアは笑顔で頷いておく。
しかしトラヴィスの方へ視線を戻すと、後ろの壁まで貫くような鋭い眼差しに射抜かれた。諸々の話は聞いたが見ず知らずの女は信用していない、とでも言いたげである。それは尤もだが、ここで曖昧な態度を取るわけにもいかない。
リアは頬を引き攣らせながら、獣を膝に乗せて口を切った。
「エドウィンには精霊の加護を授けたお守りを持ってもらってました。それがさっき半分に砕けてたので……呪いが精霊と全く関係ない、ってことはなさそうなんです」
大公家に伝わる呪いが精霊と全く関係のない祟りだったのなら、アミュレットは砕けなかったはずだ。二つの事象に関連性があり、なおかつ相反する属性であるからこそ力の衝突が起こったと見るべきだろう。
呪いがアミュレットを破壊した。それすなわち呪いが精霊の力を疎んじていることにならないだろうか、とリアは推測を立てた。
「エドウィンが獣になって意識がはっきりしてるのも……今回が初めてじゃない?」
膝元を覗き込めば、肯定するように獣の尻尾が縦に動く。
以前リアの手を叩き落として逃亡したときと比べて、彼はとても落ち着いている。ちゃんと人間の記憶も保持されているようだし、明日の朝までには元の姿に戻れるのではないだろうか。
──それは希望的観測が過ぎるかしら。
リアは少しばかりの逡巡を経て、未だ険しい顔をしているトラヴィスに告げた。
「後でもう一度お守りを作ってみます。そうしたら元に戻りやすくなるかもしれない」
「……。そうか。精霊術師を騙る詐欺師だったら斬り伏せようかと思っていたが、どうやら本物らしい」
「ひえ……」
面と向かって言わなくていい。
いや、呪いは大公家の重要機密なのだから当然の反応だが──しっかり説明して良かったとリアは胸を撫で下ろす。
そこではたと思い出したことは、この物騒な御仁がセシル公子の護衛騎士だということ。呪いについても詳しく知らされている辺り、大公家ととても近しい関係にあるのだろう。
ならばと、彼女は王立図書館で調べきれなかった事柄について尋ねてみた。
「トラヴィスさん、今までに呪われた人たちについて聞いても良いですか?」
「どこへ消えたかは知らんぞ?」
「ああ、そうじゃなくって……もしかしてその人たち、戦場に行ってたりしないかな、と……」
リアは初代大公とエドウィンが、時代は違えど同じ北方の戦場に身を置いていたことを話す。初代大公が呪いに掛かっていたと仮定するならば、その共通点に何かがあるのではないかと。
トラヴィスは彼女の問いに暫し考え込んでいた。記憶を遡るように、部屋に備え付けられた暖炉の闇を見詰め、やがて低く答えたのだった。
「……十年前に呪いで失踪した御方は、紛争の鎮圧に向かったことがあるはずだ。戦場は北方……キーシンの近くだった」