魔女見習いと影の獣
4.用法容量を守ったお付き合い
「──ああ、悪かったな。急だったから一部屋しか用意できなくて」
やって来るなり全く悪びれていない声で謝ったトラヴィスに、エドウィンは笑顔のまま頬を引き攣らせた。
昨晩、リアとベッドの譲り合いの末に共寝をうっかり受け入れかけた身としては、文句の一つでも言ってやりたいところだが──窮地を救われた恩があるので控えておく。
そしてその思い切りが良すぎる精霊術師見習いの彼女は、夜のうちにカウチからベッドに移した。彼女が眠りに落ちた頃を見計らって寝床を入れ替えたが、幸い朝日が昇っても起床する気配はない。
「オーレリアは寝てるのか」
「ええ、昨日は……二度ほど精霊術を行使していましたから、疲れが出たのかもしれません」
「そうか。なら先にお前に話しておこう」
リアが水の精霊を呼び、新しいアミュレットを創り上げる瞬間はトラヴィスも確認済みだ。ちらりとエドウィンの首に掛けられた銀のロケットを一瞥し、彼は静かに口を切る。
「過去に呪いを受けた三名について調べてきた。まずは二代目の大公殿下だな。彼は魔女狩りが終わってすぐ、十七年ほど前に失踪したわけだが……数か月前、領内北方で起きた内乱の鎮圧に向かわれていたようだ」
「……」
「十五年前、大公家の親類であるウェルシア公爵も北西のライコフとの戦に参加し、ひと月と経たずに失踪。そして……」
「ルース伯爵が十年前、北方の異教徒と交戦し、そのまま行方不明になったのでしたね」
続きを引き継いだエドウィンは、リアの読みが当たったことに苦虫を嚙み潰したような顔をしてしまった。
呪われた者の共通点など、知ってはいても気にしたことがなかった。十八年前に魔女狩りが終わって以降もメイスフィールは方々で戦の絶えぬ国だったがゆえに、さして注目すべき事柄でもないと。
だがそこに大公国の北──キーシン方面で起きた戦という奇妙な要素が加わったことで、呪いとの関連性はぐっと高まる。
「ついでに他の大公家の人間が自ら戦地に赴いた記録も漁ってみたが、これまた面白いほど北方に行ってない」
「……北へ向かった者だけが、呪いを受けている……」
「そう考えて良いかもしれんな」
呪いの鍵は初代大公ハーヴェイ・オルブライトの死の真相と、北方の大地で起きた戦。
さてどうしたものか。二十七年前に急死したと言われている初代大公の最期を知る人間など、このメイスフィールドにはいない。
いるとすれば隣のクルサード帝国の皇帝であり、ハーヴェイの実兄でもあるシルヴェスター・ガーランド=クルサード唯一人だろう。
だが皇帝が弟の死について語ったことは今までに一度もなく、教会から何を追及されても頑なに口を噤んでいると聞く。それが単に死者を惜しむ気持ちから来る行動であると、エドウィンは今まで理解していたが──恐らく別の理由があると見た方がいい。
「俺はもう少し初代大公殿下について調べてみよう。セシル様のご協力があれば、皇帝陛下に直接問い質すことも可能だろう。まあ……かなり時間は掛かるが」
「僕のことなら気にしないでください。呪いの調査は大公家のためだと言ったでしょう」
エドウィンは難しげな表情を消し、穏やかな笑みでそう告げた。
セシルとトラヴィスが初代大公の最期について調べてくれるのなら、こちらは北方の大地の調査に専念できる。キーシン一帯の伝記や宗教に関する資料を集め、精霊に詳しいリアに精査してもらうのも良いかもしれない。となれば、暫くは国立図書館に籠ることになりそうだ。
「……ところで全く起きる気配がないぞ。あの娘」
「そういえば遅いですね」
はたと気付いて、エドウィンは寝室へ続く扉を見遣る。トラヴィスと話している間に起きてくるかと思ったが、物音ひとつ聞こえてこない。
リアはいつも朝早くに起きて、身支度を完全に済ませた状態でエドウィンの前に現れる。戦場での暮らしが長かった身としては、毎朝元気な姿を見れることが一種の安らぎとなっている節が無きにしも非ず。
それはともかく。体調を崩している場合もあるだろうと、彼はそっと寝室の前に立った。
「リア? ……起きていますか?」
扉に手を掛けた瞬間、エドウィンはハッと右手を離した。
──何だ?
取っ手が氷のように冷たい。いくら金属製だからと言って、真冬でもないのにここまで冷えるだろうか。
怪訝な表情で扉と壁の継ぎ目に指を翳せば、確かな冷気がそこに触れた。
「開けますよ──」
嫌な予感に背を押され、エドウィンは躊躇なく扉を開く。すると視界にきらきらとした光の粒が舞い、部屋に侵入したエドウィンを冷たい風がひと撫でした。
足元に漂うは白い霧。
ベッドの上で静かに眠る娘の周りには、いつか見た光がじっとその目覚めを待っている。
それは決して彼女の穏やかな眠りを見守るものではなく──何か本能的な危険を感じさせた。
異様な光景にエドウィンは言葉を失いかけたが、指先が悴むほどの寒さの中、リアを眠らせておくわけにはいかない。
「リア!」
彼が意を決して声を張り上げ、ベッドへ駆け寄る。
リアの近くに浮いていた光が瞬時に消え失せ、白い霧もじわりと滲むように治まっていく。室温がようやくまともになった頃、エドウィンは毛布に包まっている彼女を抱え上げ、寝室の外へ出たのだった。
やって来るなり全く悪びれていない声で謝ったトラヴィスに、エドウィンは笑顔のまま頬を引き攣らせた。
昨晩、リアとベッドの譲り合いの末に共寝をうっかり受け入れかけた身としては、文句の一つでも言ってやりたいところだが──窮地を救われた恩があるので控えておく。
そしてその思い切りが良すぎる精霊術師見習いの彼女は、夜のうちにカウチからベッドに移した。彼女が眠りに落ちた頃を見計らって寝床を入れ替えたが、幸い朝日が昇っても起床する気配はない。
「オーレリアは寝てるのか」
「ええ、昨日は……二度ほど精霊術を行使していましたから、疲れが出たのかもしれません」
「そうか。なら先にお前に話しておこう」
リアが水の精霊を呼び、新しいアミュレットを創り上げる瞬間はトラヴィスも確認済みだ。ちらりとエドウィンの首に掛けられた銀のロケットを一瞥し、彼は静かに口を切る。
「過去に呪いを受けた三名について調べてきた。まずは二代目の大公殿下だな。彼は魔女狩りが終わってすぐ、十七年ほど前に失踪したわけだが……数か月前、領内北方で起きた内乱の鎮圧に向かわれていたようだ」
「……」
「十五年前、大公家の親類であるウェルシア公爵も北西のライコフとの戦に参加し、ひと月と経たずに失踪。そして……」
「ルース伯爵が十年前、北方の異教徒と交戦し、そのまま行方不明になったのでしたね」
続きを引き継いだエドウィンは、リアの読みが当たったことに苦虫を嚙み潰したような顔をしてしまった。
呪われた者の共通点など、知ってはいても気にしたことがなかった。十八年前に魔女狩りが終わって以降もメイスフィールは方々で戦の絶えぬ国だったがゆえに、さして注目すべき事柄でもないと。
だがそこに大公国の北──キーシン方面で起きた戦という奇妙な要素が加わったことで、呪いとの関連性はぐっと高まる。
「ついでに他の大公家の人間が自ら戦地に赴いた記録も漁ってみたが、これまた面白いほど北方に行ってない」
「……北へ向かった者だけが、呪いを受けている……」
「そう考えて良いかもしれんな」
呪いの鍵は初代大公ハーヴェイ・オルブライトの死の真相と、北方の大地で起きた戦。
さてどうしたものか。二十七年前に急死したと言われている初代大公の最期を知る人間など、このメイスフィールドにはいない。
いるとすれば隣のクルサード帝国の皇帝であり、ハーヴェイの実兄でもあるシルヴェスター・ガーランド=クルサード唯一人だろう。
だが皇帝が弟の死について語ったことは今までに一度もなく、教会から何を追及されても頑なに口を噤んでいると聞く。それが単に死者を惜しむ気持ちから来る行動であると、エドウィンは今まで理解していたが──恐らく別の理由があると見た方がいい。
「俺はもう少し初代大公殿下について調べてみよう。セシル様のご協力があれば、皇帝陛下に直接問い質すことも可能だろう。まあ……かなり時間は掛かるが」
「僕のことなら気にしないでください。呪いの調査は大公家のためだと言ったでしょう」
エドウィンは難しげな表情を消し、穏やかな笑みでそう告げた。
セシルとトラヴィスが初代大公の最期について調べてくれるのなら、こちらは北方の大地の調査に専念できる。キーシン一帯の伝記や宗教に関する資料を集め、精霊に詳しいリアに精査してもらうのも良いかもしれない。となれば、暫くは国立図書館に籠ることになりそうだ。
「……ところで全く起きる気配がないぞ。あの娘」
「そういえば遅いですね」
はたと気付いて、エドウィンは寝室へ続く扉を見遣る。トラヴィスと話している間に起きてくるかと思ったが、物音ひとつ聞こえてこない。
リアはいつも朝早くに起きて、身支度を完全に済ませた状態でエドウィンの前に現れる。戦場での暮らしが長かった身としては、毎朝元気な姿を見れることが一種の安らぎとなっている節が無きにしも非ず。
それはともかく。体調を崩している場合もあるだろうと、彼はそっと寝室の前に立った。
「リア? ……起きていますか?」
扉に手を掛けた瞬間、エドウィンはハッと右手を離した。
──何だ?
取っ手が氷のように冷たい。いくら金属製だからと言って、真冬でもないのにここまで冷えるだろうか。
怪訝な表情で扉と壁の継ぎ目に指を翳せば、確かな冷気がそこに触れた。
「開けますよ──」
嫌な予感に背を押され、エドウィンは躊躇なく扉を開く。すると視界にきらきらとした光の粒が舞い、部屋に侵入したエドウィンを冷たい風がひと撫でした。
足元に漂うは白い霧。
ベッドの上で静かに眠る娘の周りには、いつか見た光がじっとその目覚めを待っている。
それは決して彼女の穏やかな眠りを見守るものではなく──何か本能的な危険を感じさせた。
異様な光景にエドウィンは言葉を失いかけたが、指先が悴むほどの寒さの中、リアを眠らせておくわけにはいかない。
「リア!」
彼が意を決して声を張り上げ、ベッドへ駆け寄る。
リアの近くに浮いていた光が瞬時に消え失せ、白い霧もじわりと滲むように治まっていく。室温がようやくまともになった頃、エドウィンは毛布に包まっている彼女を抱え上げ、寝室の外へ出たのだった。